先日、雑誌『清流』のために、新作『終(つい)の信託』を撮った周防正行監督にインタビューをしてきた。
『終の信託』は、終末医療の現場で一人の女医の決断が引き起こす事件の顚末を描いた作品で、これまでの明るい大衆的なエンターテインメントを志向してきた彼の映画とは異なり、まるでポーランドのキェシロフスキを思わせる渋く沈鬱なダークなトーンの画面が印象的で、ヒロインを演じた草刈民代のハードなベッドシーンまであるのには驚いた。
思えば、周防さんが、こういう<濡れ場>を撮ったのは、デビュー作『変態家族・兄貴の嫁さん』(84)以来ではないだろうか。
周防さんも、その話題に触れると、「なんだか撮り方を忘れちゃって」などど苦笑していたが、そういえば、私が最初に周防監督にインタビューしたのは、もはや、三十年近く前のことになる。
周防正行監督の『変態家族・兄貴の嫁さん』は、全編のカットが小津安二郎の映画へのオマージュに終始するという恐るべき大胆不敵なピンク映画で、初号試写を見た蓮實重彦さんが、当時、『話の特集』で連載していた「シネマの扇動装置」で大絶賛したことから、その名前が一挙に映画ファンの間で広まったことはよく知られている。
当時、私も、早速、新宿の歌舞伎町にあったピンク映画の封切館に見に行った。すると、『変態家族・兄貴の嫁さん』が始まると同時に、熱狂的ハスミファンと思しき数人の若い女性グループがどかどかと入ってきて、映画が終わると、回りの中年男たちの怪訝そうな視線を浴びながら、さっと出ていくフシギな光景を目撃している。
この時代は、前年に、黒沢清監督が『神田川淫乱戦争』(助監督に周防さんがついている)を撮るなど、ピンク映画が異常な熱気に包まれていた時代で、私も、ずいぶん見ているが、なかでも、<ユニット・ファイブ>と呼ばれた若い映画監督の集団の存在がとても気になっていた。
そこで『月刊イメージフォーラム』の一九八年五月号で「現代日本映画の座標」という特集を組み、彼らにインタビューを試みたのだ。座談会のメンバーは、磯村一路、福岡芳穂、水谷俊之、米田彰、周防正行の五人で、皆、高橋伴明監督の助監督出身である。
当時、高橋監督がディレクターズ・カンパニーへの参加を機に、高橋プロを解散したので、五人で青山に事務所をつくり、活動拠点にすると抱負を語ってくれた。ユニット・ファイブは、私とほぼ同世代ということもあり、彼らのつくるピンク映画は当時、すでに退潮気味であった日活ロマンポルノよりもはるかに刺激的であった。
ユニット・ファイブのメンバーの中では水谷俊之監督『視姦白日夢』(83)にもっとも衝撃を受けた。コピー機セールスマンの男(山路和弘)の日常を描いた作品で、男が、次第に妄想と現実の区別がつかなくなり、無人の高速道路で、全裸の妻をナイフでメッタ刺しにして殺害する幻想シーンなど、劇場のスクリーンで見ていて、思わず、めまいが起きそうになったほどだ。
その当時のピンク映画では、高橋伴明監督の『襲られた女』(81)が一部で絶賛されていた。しかし、私は、このロベール・アンリコの『冒険者たち』へのオマージュともいうべきパセティックな青春映画に感銘を受けつつも、全共闘世代特有の、あまりにホモ・ソーシャルで過剰なセンチメンタリズムが気になってもいたので、『視姦白日夢』の水谷俊之こそ、自分と同世代の感受性をもっともヴィヴィッドに体現する映画作家ではないかと思えたのだ。
明らかに、ユニット・ファイブでは水谷さんと周防さんが、高橋伴明監督のウェットなセンチメンタリズムからもっとも無縁な、乾いたポップで同時代的な感覚を濃厚に感じさせ、いわゆる当時の流行語でいえば、<ポストモダンな感覚のピンク映画>がようやく出現したように思われた。
ほかのメンバーの作品にも触れておこう。
福岡芳穂監督では『凌辱!制服処女』(85)という作品が強く印象に残っている。
米田彰監督の作品では『虐待奴隷少女』(83)が忘れがたい。この映画は、山路和弘が、白痴の女の子を引き受けたものの、最後に棄ててしまう悲惨な話だったが、これは、驚くべきことに、フェリーニの『道』(54)のザンパノとジェルソミーナの関係のあからさまな変奏なのだった。
米田監督は、座談会でももっとも寡黙で、ほとんど発言しなかったような記憶があるのだが、とてもシャイな方だった印象がある。
それにしても、「虐待奴隷少女」の濃密なセンチメンタリズムは師匠・高橋伴明以上で、いまどき、こんな反時代的な情趣纏綿たる作品を撮る監督がいるのかと驚き、逆に感動したのを覚えている。
磯村一路監督では、中年の不倫のカップルの行方を追う『愛欲の日々 エクスタシー』(85)が鮮烈だった。まるで<愛の不毛>を謳った初期のミケランジェロ・アントニオーニを思わせるような、独特のアンニュイの感覚が画面を覆い尽くしているのだ。さらに、主人公たちと対照的に、最後に心中を遂げる無邪気な若いカップルが登場するが、このエピソードは、明らかに山川方夫の傑作ショートショート『赤い手帖』にインスパイアされたものであった。
磯村監督は、愛欲を怜悧なまなざしでとらえている点では、ユニット・ファイブの中は最も成熟していた映画作家だったといえるかもしれない。
後年、磯村監督は、田中麗奈主演の『がんばっていきまっしょい』(98)で大ブレイクし、青春映画の旗手のごとく賞揚されたが、私は未だに、彼の最高傑作は、この『愛欲の日々 エクスタシー』だと思っている。
周防正行監督は、その後、『ファンシイダンス』(89)、『シコふんじゃった』(92)、『Shall we ダンス?』(96)、『それでもボクはやってない』(07)と寡作ながら、大ヒット作、ベストワン作品を連打し、文字通り、日本映画界を代表する映画監督になったのは周知のとおりである。
あれは、十数年ぐらい前だっただろうか、銀座の映画館で小津安二郎をめぐるイベントがあり、出かけたところ、偶然、席が隣あわせとなったのが周防さんで、その後、有楽町のガード下の飲み屋で一献、傾けたことがある。
久々に会った周防さんは、長いスパンで大きな予算の大作を続けて成功させているヒットメイカーとしての自負を漲らせていたが、その時、たとえば、たまには、五千万円ぐらいの低予算で、『変態家族・兄貴の嫁さん』のような、作り手の勝手・わがままし放題の映画を撮ってみるのは、いかがですか?と訊いてみた。
どんな返事が返って来たのかは忘れてしまったが、新作『終の信託』を見ながら、従来のエンターテインメント志向から社会派的な主題に徐々に移行しながらも、周防さんなりに筋を通した映画つくりをしているな、と心強く思った。
『変態家族・兄貴の嫁さん』は、もはや、周防さん自身が所有している35ミリのプリントしか存在しないらしい。ぜひ、機会があれば、スクリーンで上映してもらいたいものだ。
周防正行監督の新作『終りの信託』のパンフレット