先日、神保町の東京堂書店で『昭和怪優伝―帰ってきた昭和脇役名画館』(中公文庫)の刊行を記念して、著者の鹿島茂さんと坪内祐三さんのトーク・イベントがあり、出かけて行った。
二〇〇五年に講談社から出た単行本『甦る昭和脇役名画館』は、私の愛読書で、『プレミア日本版』で書評したこともある。荒木一郎、ジェリー藤尾、岸田森、川地民夫、吉澤健、佐々木考丸、伊藤雄之助…といったシブい個性派俳優への熱いオマージュで、とくに一九七〇年代の映画館の記憶と当時の鬱屈した著者の心象風景が重ねあわされ、極私的であることこそが普遍性を持つという映画評論の模範的な達成かと思われた。
爆笑を誘うエピソードが満載の御二人のトークも、まるで気のおけない同世代の映画談議につきあっているようで、とても楽しかった。場内にはお二人と親しい映画監督の内藤誠さんもいらしていて、一緒に打ち上げに参加させていただいたが、鹿島茂さんからは、私が十代の頃、ファンクラブに入っていた伝説の深夜放送のパーソナリティ、大村麻梨子さんの近況をうかがうことができたのも嬉しかった。
大幅に加筆・増補された文庫版を再読しながら、ジェリー藤尾の章で、日本映画史上最高のハードボイルド映画『拳銃(コルト)は俺のパスポート』(67)が絶賛されているので、あらためて溜飲が下がったが、監督の野村孝については、近年、あまり言及されることがないような気がする。鹿島さんも、「この大傑作以外にはあまり見るべき作品がないですよね」と、おっしゃっていたが、実は、野村孝は、私がもっとも偏愛する映画監督のひとりなのだ。
あれは、私が毎週のように池袋の文芸坐オールナイトに通っていた時期だから、一九七〇年の半ば頃だったと思う。当時の文芸坐オールナイトは鈴木清順を定番にして、日活アクション映画の五本立てが監督別に組まれ、舛田利雄、蔵原惟繕、長谷部安春、沢田幸弘などの特集はひときわ人気が高かった。そんな中で、野村孝特集がかかったのである。
たぶん、その時に、初めて『拳銃は俺のパスポート』を見たのだと思うが、ラストの荒涼とした埋め立て地での四人の殺し屋を相手にした宍戸錠の胸のすくようなガン・アクションには、度肝を抜かれた。
宍戸錠は、前方に拳銃を放り投げ、まず、ライフルで二人を倒した後、弾がなくなったライフルを投げ捨てるや、全力疾走で、身体を一回転させながら、先の拳銃を拾って一瞬で二人の止めをさす。この宍戸錠の流れるような身体の動きを横移動でとらえた名手峰重義のめまいのようなキャメラワークもすごいが、宍戸錠の身体の動きのあまりの美しさに、場内から一斉に溜息が漏れ、次の瞬間、拍手喝采となったのは言うまでもない。
『拳銃は俺のパスポート』のラストのガン・アクションは世界的にも類を見ない水準に達しているが、野村孝の本領は、ガンのメカニックな魅力をめぐるディテールの描写や非情なハードボイルド・タッチと表裏をなすセンチメンタリズムにある。宍戸錠とジェリー藤尾が逗留する横浜の渚館での小林千登勢との淡い交情は、まるでアンリ・ヴェルヌイユの『ヘッドライト』のような甘さと暗いリリシズムが横溢していた。
この時の文芸坐オールナイトでは、ほかに『夜霧のブルース』(63)と『昭和やくざ系図 長崎の顔』(69)『無頼無法の徒 さぶ』(64)、それに『黒い傷あとのブルース』(61)が上映されたように思う。
『黒い傷あとのブルース』の冒頭、霧笛が流れる横浜の波止場に白いトレント・コートの小林旭が現われ、回想に入っていく瞬間、あっと声が出そうになった。これを私は七歳の時に封切りで見ていたからだ。『黒い傷あとのブルース』は恐らく私が最初に見た日活映画で、小林旭が歌うバタくさい抒情あふれる主題歌は忘れようもなかった。旭は清純なバレリーナ吉永小百合と恋に落ちるが、父親の大阪志郎と共謀した神山繁が旭の組を潰した黒幕であることが判明し、苦い復讐を遂げるという物語だった。
今、思うと、『黒い傷あとのブルース』は、小林旭と吉永小百合が共演した唯一の映画なのだった。
『野獣の青春』のシナリオライター山崎忠昭さんの証言にもある通り、この当時の日活無国籍アクション映画の大半は、欧米のメロドラマの名作のプロットを平気でパクっていたのは有名な話である。だが、野村孝の映画は、ハンフリ・ボガートばりに白いトレンチコートを着た旭がキザな台詞を呟こうが、いっこうに軽佻浮薄になったり、アイロニカルな自己批評的なトーンを帯びることはない。それは、野村孝の本来的な資質が、強靱なまでの〈抒情と感傷〉をあるからだろう。
回想が入れ子ふうな構造になっている『夜霧のブルース』でも、ヤクザの石原裕次郎が、喫茶店で、オルガンで賛美歌を弾いている浅丘ルリ子を見初め、通いつめるシーンや、長崎の坂道で、雨の中、ようやく心を通い合わせたふたりが白い傘をさして歩いていくロング・ショットの哀切な美しさは忘れられない。
実は、讃美歌のメロディは大陸での裕次郎の幼少期の至福の記憶と結びついたものなのだが、野村孝は、照れずに、たっぷりと甘いセンチメンタルな音楽と回想形式という語り口の常套と通俗性を前面に押し出しながら、血の通った映画の感情と体温を伝えてくる。野村孝の映画のかけがえない魅力はそこにあるのだと思う。
最近、歳下の映画ファンと話していて話が通じにくいのは、たとえば、一九六七年に鈴木清順が『殺しの烙印』で日活を馘首された後、次の作品を撮れるまでの十年間がいかに長かったかということだ。その間、いくつもの企画が立ち上がってはつぶれ、清順神話はいっそう強固なものとなっていった。だからこそ、一九七七年に、突然、『悲愁物語』が公開されたときの驚きと喜びと戸惑いはどう形容してよいかわからなかった記憶がある。
私は浅草松竹の初日にかけつけたのだが、驚いたのは、併映が野村孝の『雨のめぐり逢い』だったことだ。私は、奇怪きわまりない清順の新作を堪能しつつ、『雨のめぐり逢い』にも深く心打たれた。大金を強奪した山城新伍が、その際、突き飛ばして失明させてしまった竹下景子の手術費用を出そうと懊悩する、まるでチャップリンの『街の灯』を犯罪もので味付けしたようなベタなお話だったが、市川秀男のリリシズム溢れるジャズピアノの旋律がきわだって印象的で、なんども涙腺がゆるんでしまったおぼえがある。『雨のめぐり逢い』は、いまのところ、野村孝が撮った最後の映画であるはずだ。
こんなふうに、野村孝の映画についてとりとめもなく回想しているうちに、無性に彼の映画が見たくなってしまった。ぜひ、ラピュタ阿佐ヶ谷あたりで野村孝特集を組んでいただきたい。
鹿島茂著『昭和怪優伝――帰ってきた昭和脇役名画館』(中公文庫)