先日、洋泉社から大部の『今野雄二 映画評論集成』が届いた。二〇一〇年七月に自死を遂げた映画評論家今野雄二さんの遺稿集である。
最初は、今野さんとほとんど面識がなかった私に、なぜ送られてきたのだろうと思った。実際に、私が今野雄二さんと言葉を交わしたのは、たぶん、一度きりである。ジョン・ウォーターズの『セシル・B・シネマウォーズ』(00)が公開された際、配給会社のプレノンアッシュが、六本木の焼肉屋で今野さんとジョン・ウォーターズの食事会をセッティングし、パンフレットを編集した私も呼ばれて同席したのだ。その時に、ジョン・ウォーターズがゲイ・セクシュアリティがらみの冗談を連発し、今野さんが苦笑していたのを覚えている。
本書の帯には、「日本のサブカルチャー&カルト映画ブームを牽引した孤高の映画評論家が遺した幻の評論原稿を厳選採録!」という文言が謳われているが、通読してみて、今野さんの批評がもっとも活き活きと輝いていたのは、やはり、一九七〇年代という「アメリカン・ニューシネマ」の時代だったなとあらためて思った。
たとえば、今野さんは、七一年の「キネマ旬報」の年間ベストテンで「これまで見たすべての映画が『ファイブ・イージー・ピーセス』へ至る為の指針だったことになり、今後、見るあらゆる作が、『ファイブ・イージー・ピーセス』を越えなくてはならぬという宿名を、担うことになる」と書いたが、当時、高校生だった私はなんとカッコいいコメントだろうと思った。当時、こんなふうに一本の映画への熱愛をキザに語ってしまう映画評論家はいなかったからである。
ひと口にニューシネマと言っても、今野さんの好みは千差万別で、『イージー・ライダー』を、「『白昼の幻想』や『ワイルド・エンジェル』同様に、一連のアメリカン・インターナショナルの延長でしかないこのフォーニー(ニセモノ)・フィルム」とまで酷評している。
本書を読んでいて嬉しかったのは、『ウェスタン・ロック・ザカライヤ』(71)という珍品の批評が載っていることだ。ニューシネマ全盛時代にひっそりと公開された、この異色の西部劇は、陽炎がゆらめく荒野で、カーボーイたちがロックギターをかき鳴らすフシギな場面や、突然、現われたジャズドラマーの大御所エルヴィン・ジョーンズがロックドラムを叩いている若造を蹴飛ばして、居座るや、ドラムソロを延々と繰り広げるシーンなど断片的な記憶だけが残っているが、私にとっては、幻のニューシネマの一本なのであった。
当時の今野雄二さんのお気に入りは、何といっても、ロバート・アルトマンとケン・ラッセル、そしてブライアン・デ・パーマ(彼はこの表記に固執した)だが、アルトマンに関しては、『ナッシュビル』や『ウェディング』の批評にせよ、海外の文献を渉猟した綿密な研究という趣きがあり、今、読み返しても、その鮮度は決して失われていないと思える。
ブライアン・デ・パーマ作品に至っては、手放しの礼讃で、たとえば、『スカーフェイス』評において、「デパーマに目覚めてしまった者が、映画を楽しむ基準としてストーリーは二の次にしてとりあえずはその映像のスタイル美を第一に考えるようになる」という、内容よりも様式の美しさを顕揚するくだりなどは、スーザン・ソンタグの『反解釈』の多大な影響を感じないわけにはいかない。
実際に、最初期に書かれた「ブラック・ユーモア――そのフリークの世界」という『映画評論』70年11月号に載った評論の結びには、「「キャンプ」という感覚を論じようとしたソンターグにならって、あえて、「ブラック・ユーモア」を定義づけようなどという野心は抱かない方がこの際、賢明というものだろう」という一節がみえる。
今、思うと、過剰なまでのソフィスティケーションを志向するスーザン・ソンタグのきらびやかなキャンプ論には、彼女の両性具有的な美学、あるいはレズビアニズムの影が垣間見えるような気がする。
本書に目を通すと、あらためて、今野雄二が、批評家として出発点から、映画における同性愛、ホモ・セクシュアリティの主題に深く執着していたことがわかる。
たとえば、『キネマ旬報』68年8月別冊「アングラ68ショック篇」に収められた「ホモ的エロティシズムと日本のアングラ」という長篇のエッセーでは、西村昭五郎の隠れた秀作『帰ってきた狼』(66)の主人公と混血のヤクザ少年とのセクシャルな関係に着目しているのが印象深い。
この論考で、私が興味を覚えたのは、今野雄二が、ドナルド・リチーのスキャンダラスな実験映画を絶賛していることだ。なかでも、年上の女が若い男子学生を、古びた庭園にひきずり込み、芝生で全裸にして愛撫する『し』に言及し、今野さんは、「この映画で最も魅惑的なのは、年上の女がフェラチオという性技を駆使して、遂に相手の少年を死に到らしめる、というショッキングなテーマだと思います。これとても、ホモ・セクシュアルな発想なしには、とうていなし得なかったはずであります」と書いている。
一九六八年当時、ドナルド・リチーと今野雄二さんは、恋人同士だったという噂を耳にしたことがあるが、実情は詳らかではない。
その頃、ドナルド・リチーは『季刊フィルム』に「私の映画遍歴」という一文を寄せているが、私は、これはドナルド・リチーによって書かれたもっとも感動的なエッセーと考えている。映画に耽溺することの恍惚と病いを、これほど真率に告白したエッセーは稀であり、次に引用する冒頭の一節は、おそらく、今野雄二さんも深く共鳴していたのでないかと想像されるのだ。
「妻は、私と離婚する直前にこういった。「私がもし、これから結婚しようとする人にアドヴァイスを頼まれたら、その女性には、映画を好きな男とは結婚するな、っていうでしょう」。彼女の判断は正しかった。映画が好きな男は、ほとんどの時間をひとりぼっちで暗闇で過ごすために、自己本位で社交嫌いになってしまう。そのうえ、それほど映画が好きだというのは、幼い頃から映画を見始めているに違いないのだ。彼の幼年期は歪んだものだ。自分の家族よりもスターを愛し、彼は暗闇の中にひとりぼっちで坐っていた。最後には、彼がそれほどまでに映画が好きになるには、スターが必要となったはずである。これは不幸な家庭を意味し、あまりにも不幸であるために彼は映画館へ逃避せざるを得なかったのだ。あまりにも映画が好きな子供は、病める子供であり、病める人間になる。彼は現実よりもスクリーンの幻影を愛するようになる。」(今野雄二訳)
大部の遺稿集『今野雄二 映画評論集成』(洋泉社)