『挫けない力』の中で、ランニングの効用の一つとして
取り上げられているのが「内省の時間」が持てるということ。
走っている最中は、誰にも邪魔されず、
自分自身と向き合うことができます。
雑多な情報(映像、音、文字)が溢れ返る中で、
いったん、すべてから離れて自分と対話する。
雑念が浮かんでも、淡々と走っていれば、そのうち
ふっと「無」の感覚に入っているときがあります。
この感覚は、「ゾーン」と呼ばれるものに
近いのではないかと思います。
意識を離れて、無意識のレベルで勝手に体が動く。
一流のアスリートには、この「ゾーン」感覚を身に着けて
いる人が多いといいます。
私たちはアスリートではないので、
質の良い身体的パフォーマンスのための「ゾーン」というより、
むしろ心理的なこの「無」という「ゾーン」が
「決断力」や「判断力」をいつの間にか向上させることが
あるのではないか…。
昨日、ある著名な精神科医のトークライブに参加して
ふとそんなことを思いました。
その方は、人生の岐路に立つような決断ではあまり迷ったことが
ないといいます。その代り、今日のお昼はラーメンかソバか、
なんて些細なことではかなり迷ってしまうとか(笑)。
人間は、仕事上の大きな判断や、人生を左右する岐路に立ったとき、
すでに、ある「予感」のようなものがあって、
実は、無意識のレベルでじっくりその事項と向き合い、
決断を下している。
あくまで私の受け止め方ですが、そんなお話でした。
「予感」あるいは「予兆」は、自分の身体に置き換えると
わかりやすいと思います。
本書で白戸さんが書いていらっしゃるように、
走ることを習慣化することで、自分の肉体のちょっとした変調や、
弱っている箇所を見つけやすくなる。
見つかれば対処をするので、故障や病気になりにくい。
つまり、身体的センサーが鋭敏になる。
人生において、大きな決断を下さなければならない前には、
さまざまな形で、予兆が現れているもの。
ただし、センサーが鈍感だとその予兆を予感として感じ取る
ことができない。
感じ取ったとしても、内省の時間がまったくなければ
無意識のレベルでも問題を先送りしてしまう。
すると、いざ決断の場面に立たされたとき、
判断に迷って動きがとれなくなり、対応が遅れてしまう。
対応の遅れ…。
これって野生動物で考えれば致命的ですよね。
弱肉強食のサバンナで、捕食する立場であれ、される立場であれ、
対応が遅れれば「食いっぱぐれる」か「食われる」しかありません。
…なんだかややこしい話になってしまいました。
自分自身がこの「対応の遅れ」で、
何度痛い目に遭ってきたことかわからないくせに、
つい、わかったようなことを書いてしまいました。
話がどんどん膨らんで収拾がつかなくなりそうなので、
今日はこのへんで。
お読みいただいてありがとうございますm(__)m。