足を痛めたり、十分に練習の時間が取れなかったり…。
なかなか思う通りにはいかないのが、現実ですね。
未知の領域への挑戦なので尚更です。
白戸さんや、先輩友人ランナーに助言をもらって実行し、
また、最近はさまざまな本を読んだり、ネットで情報を収集
したりしておりますが、「ああ、もっと早くやっておけば…」
ということもたくさんあります(汗)。
それでも、とにかく本番当日は徐々に迫ってきています。
今は限られた時間の中で何ができて、何ができないか、
本書でも触れている「劣後順位」を考えながら、
効率的に練習に取り組んでいるつもりです。
目標は制限時間内の完走です。
過程にある現在、先のことを言うのはおこがましいのですが、
結果は、「完走」か「リタイア」しかありません。
いや、前日とかその前に体調を崩して参加さえできないかも。
言い換えれば「成功」「失敗」の二択ということ。
いずれにしても、さまざまな要素が絡み合った「結果」については
「成功」も「失敗」も真摯に受け止めつつ、
次への足掛かりにすることこそ重要だと考えます。
私がこの数か月間、練習に取り組んで来て実感しているのは、
練習は嘘をつかない、ということ。
そして、ランニングはやればやるほど誤魔化しのきかない世界
だということです。
「数分でいくら儲かる」、「○○するだけで10キロダイエットできる…」
などなど、世の中には、最小限の入力で最大の出力を得ようとする
傾向があり、持て囃されています。
確かに魅力的ですし、実際効果のあるものも中にはあるでしょう。
ただし、こうした即効性のあるものは、実は「劇薬」だと思うのです。
うまく言えませんが、確実に副作用(精神的な)があり、
何か大切なものが意識しないうちに損なわれてしまいかねないような…。
対して、ランニングの効果は、ある意味「漢方薬」のようです。
即効性はないけれど、積み重ね、継続によって、
いつの間にか、大きな身を結ぶ。
ともすれば、ビジネスにおいては、すぐに結果を求めがちです。
厳しい経済状況の中、余裕がなければ尚更でしょう。
そして明日の売り上げのためには、カンフル剤を打つことも
時には必要でしょう。
しかし、ランニングでは、ビジョンを立てて長い時間を費やして、
じっくり取り組むことが重要になるんですね。
まさに、セルフマネジメントです。
私自身もそうですが、人間、「努力」に対する「報酬」を
すぐに得たいと思います。
ただし、それは「時間」の概念を無視した「無時間モデル」
ということになりそうです。
例えば、コンビニでジュースを買えば、その対価として
100円なら100円を支払います。
消費行動は原則的に無時間モデルです。
そこには価値の等価交換があるわけですが、
ランニングの場合、交換物(努力に対する対価)は遅れてやってきます。
しかも、その価値は非常に変動しやすい(笑)。
どれだけ努力しても、レースで自己新を出せないとか、
リタイアしたということはあり得ます。
努力と(結果)報酬は等価ではないようです。
ただし、報酬は、思わぬ形で思わぬ効果としてやってくる、
私はそんな予感がしています。
100キロを走ったあとに、残るもの。完走できたにしろ、
リタイアしたにしろ、その時見える景色…。
正直、この数か月、楽しくランニングをしてきましたし、
年甲斐もない新たなチャレンジが生活の張りとなって、
こうしてブログまで書かせていただいて、
十分に楽しい思いをしてきました。ある意味で、私はすでに
報酬を得ているのかもしれませんね。
100キロに挑戦しなければ、今書いているようなことに
気づくこともなかったと思います。
先に、消費行動は無時間モデルと書きましたが、
ビジネスは「消費」と近いところにありながら、
本質的に無時間モデルではないという気がします。
「時間」を介在させてこそ、醸成し、大きな実りが得られる。
人間関係なんて、まさしくそうですよね。
石田さんの「続ける技術」の素晴らしいところの一つは、
「継続」という、「プロセス」=「時間」を大切にしているところ
ではないか、と拝察します。
…いつになく冗舌になってしまいました。すみません。
個人的大イベントが近づいてきていて、ややナーバスになって
いるようです。
ろくに経済のことも知らないのに、変に偉そうなことを書いて
しまいました。ごめんなさい。
あと、100キロ、完走できなかったときの言い訳、その布石を
打っているように見えるかな?
いや、100キロマラソンは、絶対完走するつもりです!
「します!」と言えないのがつらいところ。
でも、気持ちで負けることは絶対にありません。
…最後までおつき合いくださった我慢強い方(笑)、
ありがとうございましたm(__)m