村上春樹さんの新刊を読んでいてふと気づいたこと──。
100万部をあっという間に超えた
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』。
もうお読みになった方も多いと思います。
私も愛読者の一人で、ほとんどの作品を読んでいます。
個人的な好みでは初期の作品のほうが好き
今日、通勤電車の中で印象的な描写があって、
ふと、ランニングのことを考えました。
その描写は、多崎つくるの心理なのですが、
村上氏独特の比喩で形而上的な痛みとして描かれます。
多崎つくるはその痛みを、他人の痛みのように、
自分を離れて観察します。
多重人格の話にも少し似ていますが、
この経験が今後主人公にどう影響してくるのか、
まだ序盤しか読んでいない私にはわかりません。
人間は精神的につらいことがあると、
視野狭窄に陥ったり、現実逃避をしたりします。
これは心の防衛のため。
ただ、仕事においてこれを繰り返してしまうと、
いろいろな齟齬を生んで、さらに状況を悪くし、
負のスパイラルに入ってしまうこともあるでしょう。
私は上記の描写を読んで、
ああ、これは村上さんが
サロマの100キロを走ったときの記述に似ている
と思いました。
55キロ過ぎからの肉体的苦痛を、
できるだけ正面から受け止めないように、
マントラを唱え、自分を客観視する。
この記述には、私自身100キロ挑戦中、
どうしようもなく苦しくなったときに実践しましたし、
大きな励みになりました。
つまり、『挫けない力』にもある、
「認知を変える」作業を、
無意識のうちにやっているわけですね。
普段のランニングでも、走り始めは
息が整わず、心拍も急に上がるのでややつらいもの。
でも、自分の体と心と向き合っているうちに、
次第に落ち着いていきます。
まさに、一種「坐禅」のようですが、
違うのは、それほど敷居が高くないこと。
ランニングはやる気になればいつでも始められるし、
気軽に「内省の時間」を持つことができます。
「認知を変える」のは、なかなか難しいものです。
心の問題に心でアプローチするのは非常に難しい。
だから、昔から、心の安定を目指すのに、
呼吸法や坐禅を組むということが行われてきたのでしょうね。
ビジネスで、認知を変えるのも難しいと思います。
普段から、ランニングの習慣や大会出場などで、
「認知を変える」力がつくのではないでしょうか。
つらいとき、挫けそうなとき、
「認知を変える」ことができれば、
マイナスをプラスに変えることが、あるいは
そのきっかけを掴めることができると思います。
「走ることは気軽にできる瞑想」
長々となってしまいましたが、
村上春樹さんの新作を(スポットで)読んで、
ふと気づいたことでした。