私たち現代人は、化学調味料や
味の濃いもの、塩分の強い物を食べ過ぎて、
素材本来の味を忘れてしまっていると
よく言われます。
確かに、外食は塩辛いものが多く、薄味のものを食べても
「おいしい」と感じにくいようです。
私はラーメンが割と好きですが、
「うまい!」と思うのは、どれも味が濃いものばかり。
毎日食べたら、腎臓を悪くしそうなものを好んで食べます。
(写真はイメージです。本文とは関係ありません)
先日、ふと考えたことがあります。
私の趣味は、前にも書きましたが、「ランニング」と
「将棋」と「パチスロ」。
我ながら、見事にバラバラだな…。
パチスロは、いわゆるパチンコのようなもので、
ギャンブルの一種です。(正確にはギャンブルではないらしい)
(これがパチスロ。きらびやかでしょ?写真は田舎に帰ったとき、私の打っていた
台がたくさん出て、悪友に打たせているところです)
なぜ、私がパチスロを打ちたくなるのか、
まさに、パチスロを打ちながら探っていると、日常では
なかなか感じられない、強い刺激にはまってしまうからだ
と思い至りました。
あの当たりの瞬間、リールに7が揃う時の至福。
ARTという当たりに入って、
ゲーム数を上乗せした時はアドレナリン大放出!
出たコインをドル箱に移し替える優越感…。
あ、打ちたくなってきた。
…取り乱しました。
勝っても負けても、打ち終わったあとは、
一種の興奮状態です。
そして、ふと周りのいろいろなことが色あせて感じることが
あるのです。
祭りのあと、なんだか虚しい気分になるのに似ています。
私は、パチスロも、味の濃いラーメンも否定しません。
どちらも、大好きだからです。
ただ、うまくつきあえば人生の喜びの一つであるものも、
つきあい方を間違えると、さまざまな副作用があることも事実。
強すぎる刺激は、体にも心にもあまりいい影響を与えない
のではないでしょうか。
もちろん、たまになら、いやたまにだからこそいいのだとは
思いますが。
そこで、ランニングとパチスロの対比です。
(将棋については、また長くなりますので、またの機会に!)
パチスロが味の濃いラーメンとすると、
ランニングは家庭料理、あるいは素材を活かした
ちょっと高級な日本料理のような気がします。
(ランニングは料理にたとえると和食?写真は今年の板橋cityマラソン)
ランニングは決して刺激の強い喜びをもたらしてはくれません。
でも、高級な日本料理のように繊細で、素材の味を活かします。
家庭料理のように、安心できて継続的に食べたい味なのです。
人間はおそらく、強い刺激に慣れてしまうと、
本当はそこにある、味わい深い滋味を見落とすようになりがち
なのではないでしょうか。
そして、現代は、パチスロに限らず、
人間の欲望を刺激し、興奮させる商品やサービス、情報に
満ちています。
『挫けない力』にもありますが、
石田さんがサハラマラソンに出場し、情報から遮断された
なかで、本当に生きていく上で大切なことがわかったと
書かれているように、私たちにとって大切な情報は実は
それほど多くないのかもしれません。
強すぎる刺激、
情報や物品、押しつけの価値観などに振り回されず、
それぞれの人が、それぞれの生活、命を大切に味わう。
なんだか、ランニングは、そういう意味でも
情報のデトックス効果があり、
本来の自分を取り戻す契機にもなると思うのです。
ここではランニングと書いていますが、
いわゆるエンデュランス系といわれる有酸素運動は、
すべてその効果が大きくあるようです。
…しつこいようですが、私、スロットを止めるわけでは
ありませんよ。
ハレとケではありませんが、やはりハレも必要ですから。
まあ、財布と相談しながら、という条件付きではありますが(笑)。
とにかく、この「刺激」とはうまくつき合って、
生きることがより深く噛みしめられるようになりたいな、
と思う編集Fでした。