マラソン大会に出場したことがある方なら、
「沿道の応援に励まされた」という経験を必ずするものですね。
寒い時期など、沿道に出てわざわざランナーみんなに向かって
手を振ったり声をかけてくれる方々。
本当に有り難いものです。
「ありがたいなー」と思いながら、
ときに感謝の言葉を口にし、時に手を振り返したり、
ハイタッチをしたり。
あるいは苦しくてそれどころではなかったり…。
同時に、どうしてこの方々は、見ず知らずのランナーを
あるいはこの私を応援してくれるのだろう?
そんな「?」を脳裏に貼りつけたまま、ひたすら走ります。
マラソン大会で挫けそうになるのは、多くの場合ひと気のない道。
かなりつらくなっていても、応援してくださる人が多い場所では
ぴっと気が引き締まって、どこから湧いてくるのか
むくむくと力が湧いて、気づけばつらさが吹き飛んでいるもの。
もし、マラソン大会からまったく応援が消えると、その大会の
完走率は、おそらく何割か下がるのではないか、そう思います。
なんのデータもないので、単なる予想ですが(笑)。
これ、割と仕事でも同じなんじゃないかと思うのです。
仕事がスムーズにいく人は、本人の段取りのよさ、
さらに能力の高さ、そういった要素が関係しているのはもちろんですが、
それだけではないような気がします。
家族のサポート、相談できる師匠・友人・知人の存在。
そして、なぜか応援したくなる雰囲気を全身から発している。
雰囲気、というのは具体的ではないですが、
必死でゴールという目標に向かって走るランナーのような、
物事に取り組む姿勢でしょうか。
それからもうひとつ。
「応援される人」は「応援する人」ではないかと。
仕事で、一生懸命にやっているのに、誰も応援してくれない、
という経験が自分にもあります。
でも、あとで考えてみると、自分の成果ばかり考えて
必死になっていても、周囲の人の目には、
「あいつ、なんだか空回りしているな」
としか見えないものなのでしょうね。
いくら懸命に努力をしても、
他人を応援するくらいの視野的余裕がなければ、
独りよがりの行動で、チームワークを乱したり、
思わぬ失敗を招きかねません。
こうして考えると、応援って結構すごいんだなと思います。
人間は社会的動物で、人と人のつながりで生きている。
仕事においても、それは基本ですよね。
「人間の悩みはすべて人間関係の悩み」
と、今話題のアドラー心理学で有名なアドラーが言ったそうです。
応援って、人間関係のなかでもかなり高次元の
コミュニケーションなのかもしれません。
と、言いつつ、私はまだ応援のみでマラソン大会に
参加したことがありません。
いつか、自分が受けた応援のお返しをしたいと思っているのですが…。
言っているだけでは、口だけ番長確定!ですね。