2001.12.01久世さんの演出はさすが
今月も、忙中閑、観劇の印象を書く。月刊『清流』の連載でお馴染みの久世光彦さんが演出した向田邦子原作『冬の運動会』を新橋演舞場で、清流出版の社員ほぼ全員で観た。久世さんの演出はさすが見事な冴え。舞台工夫を駆使し、時間にして約3時間半、まったく飽きさせない三幕に芝居の醍醐味を味わった。
ちょうどこの頃、久世さんは「週刊新潮」のコラム”死のある風景”に『冬の運動会』の関連で「くも膜下出血」と題し3号続けて、興味深いことをお書きになっている。脳血管障害を患った私は、この文章を他人事と覚えず、毎週、読んでいた。「向田邦子さんが書いたドラマや小説に、人が死ぬシーンが現れるのはめずらしい」と久世さんは書く。
死後二十年経ったいま、向田さんの遺品の中から出てきた5通の恋文……向田さんとカメラマンとの秘められた愛を重ねた年月、久世さんはその人がくも膜下出血で倒れる際、向田さんがその場に居合わせ、発作の瞬間を目撃したのではなかったか、と推測されている。舞台の上でくも膜下出血する若い35歳の女性・加代の役と、向田さんの経験した現実・愛するカメラマンの運命を重ね合わせたというのが、久世さんの見解。
また、この芝居は、東京オリンピック(昭和39、1964)の年に舞台設定されていることにも意味ありとの久世さんの推理は肯ける。当時、向田さんは三十半ば、相手のカメラマンは一回り以上年上で、多分、この昭和39年の春先に亡くなっている……と聞けば、『冬の運動会』の作品発表は昭和52年だが、なぜ昭和39年の舞台設定に拘ったかという疑問にも答えが出てこよう。若い加代に惚れた高橋幸治扮する老人の心中は、そのまま向田さんの気持ちだったのだろうという久世さんの言葉は、芝居を観た後、ますます腑に落ちた。
それにしても久世さんは、いま最も油が乗り切っていて、書くものも演出するものも全て最高! その才能は、あらゆる文学賞の選考を超えて、私に言わせるなら”悪魔的に素晴らしい冴え技”とさえ言える。
かつて清流出版で出版した『向田邦子・家族のいる風景』(平原日出夫編著)は、実践女子大学・実践女子短期大学の公開市民講座を一冊に纏めたものだが、手がけておいてよかったと正直思う。その平原日出夫さんも、新橋演舞場のパンフレットに一文を載せておられた。
向田邦子さんの才能をいち早く認めたのは、山本夏彦翁、徳岡孝夫さん、久世光彦さんの諸氏だが、この御三方とわが清流出版がそれぞれにお付合いをしてもらっているのは不思議の縁で、けだし僥倖の限りだ。
久世光彦さんは、ある年、直木賞の有力候補になった。いつも文学賞の有力候補になっているので、私は今度こそ直木賞を取れるものだと思っていた。だが、結果は……。文学賞などは水もので、一種、時の選考委員と出版社同士のいわば談合、いわれなき都合で決まるものだとつくづく思った。久世さんは直木賞などもらわずとも、真の文章の王者になればよいと心から願った。賞に勝るとも劣らない読者からの冠(文章賞?)をもらえばよい。久世さんは、すでにその資格は十分であることは万人の認めるところだ。100年経っても読み継がれる作品を書けばよい。