2003.03.01安原顯を追悼する
FM東京のミュージックバードPCM放送番組「安原顯を追悼する」が、去る2月末、行なわれた。私も出演依頼を受けたが、言語障害のため辞退した。その代わりアナウンサーに代読してもらった原稿を、ここでもう一度、紹介する。題して「わが学友・安原顯を追悼する」。
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《安さん、早稲田高等学院時代を回想すると、涙が出るほど懐かしい。僕は文学にかぶれ、ジャズやクラシックに酔い、映画のはしごをしていた。君とはクラスが違ったが、君はその頃から際立った存在だった。当時から独自の批評眼を持っていたね。芥川賞受賞作をいち早く読んで酷評したことがあったが、僕はどうしてそこまで断言できるのか知りたくて、書店に走ったこともある。わき道に逸れていたので成績には響いたけれど、好き放題、勝手放題のあの頃の体験が、後の天才ヤスケンの感性を育んだものと思っている。
大学に進んでからキャンパスで君を見かけると、いつも隣にマリー・ラフォレ似の美女がいた。あれが奥さんのまゆみさんだったんだね。意気揚揚と闊歩していた君が目に浮かぶ。「美女と野獣」なのにどうして? と世の不条理を嘆いて自らをなぐさめたものだよ。
10年前、勤めていた出版社を辞め清流出版を立ち上げた時、君の中央公論時代の『マリ・クレール』が大いにヒントになった。僕が立ち上げた主婦向けの月刊誌『清流』は、君からすればさぞ鼻持ちならぬ体裁・内容だったはずだ。その頃君は、『リテレール』を出していて、若い知的好奇心に溢れた熱狂的なファンに囲まれていたからね。
君と16歳の時、会っていなかったら今の僕はない。それほど君の活躍ぶりを長年、注目していた。『清流』で、いち早く小林桂や綾戸智絵を紹介できたのも、実は君の書いた音楽評を読んでいたからだ。小林桂のソフィスティケートされた声、綾戸智絵の迫力ある歌いっぷりを、ぜひわが読者である主婦層にも紹介したくて、柄にもなく入れ込んだこともある。
君がディレッタンティズムのスノッブなら、僕はアマチュアリズムのスノッブだ。僕は天才ヤスケンを勝手にライバルとみなし、新雑誌を軌道に乗せるべく躍起になって働いた。比較対照して、「劇薬の安原か、漢方薬の加登屋か」という言葉をマスコミ向けに発言したこともある。そのことを聞いた君は笑っていたね。
君は日本を五流国と評した。傍観できない君は、ジャズ&オーディオ、文学、政治・経済、すべてに不満だった。だから罵詈雑言を撒き散らしたが、それでも変わらないことに更に憤っていた。しかし君の蒔いた種はいつかきっと芽をふくだろう。そのころ僕は、もうこの世を去り、君と旧交を温めているかもしれないが……。
僕は会社経営の利益なき繁忙とストレスから、脳出血で2度倒れ、右半身不随・言語障害となった。君より先に逝く可能性もあった。だからガン告白を聞いた時は、他人事とは思えなかった。学友として、僕は今でも君を誇りに思っている。今は安らかに眠ってくれ。》