2003.10.01野見山暁治さんのこと

   野見山暁治さんという画家がいる。現在ちょうど、東京国立近代美術館で回顧展(8月12日?10月5日)が開催されている。新聞紙上で展覧会が告知され、個展の大きな記事が出たこともあり、私が訪れたときも多くのファンが野見山さんの絵を楽しんでいた。作品の前でじっと佇む来館者を多く見かけた。野見山さんには個人的な思い入れがある。一方的に惚れこんでいるといっていい。だから月刊『清流』を創刊して10年になるが、都合4回、誌面に登場していただいている。
   1回目は、平成7年4月号の「著者に聞く」コーナーで、野見山さん自身の著書『空のかたち』を紹介させていただいた。その後は、ご本人の直接取材ではなく、他人の筆を通して触れさせてもらった。
   2回目は、平成10年2月号『清貧に生きる』という特集だった。まさに特集テーマを地でいくような清貧の自由人、椎名其二さんを作家・文芸評論家の近藤信行さんに語ってもらっている。その際、椎名さんと親交が深かった野見山さんにも触れることになった。
   3回目は、同年8月号で「無言館――還らぬ戦没画学生たちの言葉」を作家の窪島誠一郎さんに書いていただいた。無言館建設には野見山さんも尽力している。その経緯を写真付きで紹介したのである。4回目は、平成12年3月号『ありがとうを伝えたい』のコーナーだった。「間に合わなかった仕事」というテーマで再び窪島誠一郎さんにご登場いただき、野見山さんとの無言館建設秘話を書いていただいた。そんなわけで、わが『清流』誌面に都合4回、野見山暁治さんが登場したことになる。
   私と野見山さんの関係にちょっと触れておきたい。大学2年生の時、つまり44年前、ある人を通じてお名前を知った。その人が前述した椎名其二さんという老人だった。フランスの思想、文化、社会、政治にわたって実践的に研鑚、批評をしてきた方で、ロマン・ロランの日記にも出てくる人だ。その時、椎名さんが書いた野見山暁治さんを紹介する文が手元に残っているので紹介する。

  「野見山暁治氏は今三十八歳だが、八年間パリで絵が売れようと売れまいとその道に精進している、既に大家の域に入った画家である。
   昨秋、ブリヂストン美術館で五十点内外の個展を開いた時は、批評家及び一般の観賞者に驚きの眼を見張らせ、その作品によって1958年度安井記念賞を得たのであった。
   僕はその絵画に対する態度及び人間などに関する点で彼を思うとき、佐伯祐三を連想せずにはいられない。後者は若くして死んだ。野見山は今後益々我々の嘱望を裏切ることはないであろう。      椎名其二」

   この紹介文のあとに、私の人生にとって思い出深い文章が続いている。

   「今度、椎名先生がフランスに帰られるための旅費として野見山画伯よりデッサンの寄贈を受けましたので、左記の次第で配布することに致しました。宜しく御協力の程御願い申上げます。      椎名先生の会」

   日付は1959年10月6日である。もちろん、大学2年生だった私も野見山さんのデッサンを早速買い求めた。つまり、野見山さんは、私が出会った尊敬する椎名老人がパリに帰るためのその費用を、デッサンの提供によって捻出したことになる。
   類い稀な知性とユーモアに溢れた老人が、たまたま翻訳した『出世をしない秘訣』(ジャン=ポール・ラクロワ作、理論社刊)がベストセラーになったとはいえ、このころは赤貧洗うがごとしの状態で旅費を工面することなどできるはずもない。それを見かねた野見山さんが助け舟を出したのである。
   ずーとそれまでパリに住んでいて、四十数年ぶりに帰国した椎名其二さん。その椎名さんが、わずか数年で日本の現状に幻滅する。再びパリに戻るのは、死にゆくためであった。その頃72歳くらいだった椎名老人は、どんな気持ちで日本を後にしたのだろうか。当時19歳だった私には、想像もつかない。
   どれだけ時が過ぎ去っていこうと、椎名老人と親しく触れ合った記憶は、多感な青春時代だけに、より一層鮮やかな思い出として私の胸で今も生き続けている。おそらく死ぬまでこれは変わらない。今回は、月刊『清流』がなぜ何回も野見山暁治さんのことを記事にしてきたのか、という答えにもなろう。

 

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野見山暁治さんといえば、椎名其二さんのお名前がすぐに連想される。月刊『清流』1998(平成10)年2月号に、近藤信行さんが、【清貧に生きる】例として、「自由人として、生きる喜びを大切にした椎名其二さんのこと」を執筆してくれた。その文章の冒頭に「モリトー良子(装丁作家)がドイツから帰ってくると、必ず声がかかってきて集まる会がある」と書かれている。そのメンバーとは、野見山暁治さん、岡本半三さん、安齋和雄さん、そして執筆者・近藤信行とある。ある時、私は帰国中のモリトー良子さんにお会いした。椎名其二さんと親しく交流したほどの人である。人間的な深みが濃密に滲み出ている素晴らしい女性だった。その時の縁で、いまだに海外から月刊『清流』を定期有料購読してくれている。頭が下がる思いだ。