2004.07.01小宮山量平さんにお会いした
某日午後、小宮山量平さんに初めてお目にかかる機会を得た。小宮山さんは、私がかねてより尊敬している出版人のお一人だ。今から45年程前、あることでお名前を知って、尊敬かつ親近感を抱いた。出版業界ではよく「岩波書店の岩波茂雄、筑摩書房の古田晁、理論社の小宮山量平」と三人並列して呼ばれる。いずれも信州出身の出版界の巨人だ。
理論社設立以来、灰谷健次郎、今江祥智をはじめ多くの児童文学作家が同社から世に出た。小宮山さんは数々の名著や名作の作り手であり、自身、80歳を過ぎてから小説『千曲川』を書き「山本有三記念 路傍の石文学賞・特別賞」を受賞されている。いわば出版界の至宝であり、人間国宝のような方である。お話を伺っていても、先月、88歳(米寿)の誕生日を迎えた方とも思えず、情熱と見識はいささかも錆びついてはいなかった。
今回、わが清流出版として、出版部長の臼井君ともども、ある件で小宮山さんにお願いしたいことがあっての訪問だった。その件について相談に乗っていただく前に、私が名刺代わりに持参した『清流』1998(平成10)年2月号に掲載された記事をめぐって話が弾んだ。特集『お金にとらわれない人々』では、松下竜一さんにご登場いただいている。松下さんの「”草の根”で見つけた”ビンボー”の楽しみ方」が、まず興味を引いたようだ。そして松下さんのことについて、書けば一篇の掌編小説になるような挿話を話してくれた。
小宮山さんが大分県中津市に松下さんを訪ねた時のこと、四月というのに時ならぬ大雪に見舞われた。長靴を借りて小祝島へ向かう道すがら、行き逢う地元の人々がみな松下さんと小宮山さんのために脇に寄って踏み固めた道を譲り、深々とお辞儀をしたのだそうだ。いかに土地の人々が松下さんを敬愛しているかがわかり感服したという。ここから話は思わぬ方向に弾み、先頃、お亡くなりなった松下竜一さんの傑作、理論社刊行の絵本『5000匹のホタル』(絵・今井弓子)を清流出版で復刊してもよいとの内諾を戴くことができた。
この後も『清流』2月号の、とくに近藤信行さんの「清貧に生きる 自由人として、生きる喜びを大切にした椎名其二さんのこと」や原田奈翁雄さんの「”自分自身を生きること”を希求し続けた男」といった記事を興味深げに目を通された。その間、小宮山さんお薦めのコニャック入りのケーキをいただいたので、ますます舌の回転も滑らかになった。
その日、見本刷りとして上がってきた高尾五郎さんの新刊『ゼームス坂物語 第1巻「木立は緑なり」』、『ゼームス坂物語 第2巻「あの朝の光はどうだ」』を臼井君が取り出す頃には、小宮山さんと私たちとの間には、「同志」のような雰囲気すら漂った。小宮山さんは、「私もこの『ゼームス坂物語』の出版を考えたが、できなかった。大変でしょうが、清流出版の成功を祈るとともに、旗振り役をやりましょう」とエールを送ってくれた。そして「高尾五郎のペンネームではなく、本名の積好信を名乗って刊行させたかったな」と続けた。このご発言から、お二人が並々ならぬ関係であることがすぐにわかった。
ちょうど前日、その積(高尾)さんから小宮山さんに「挑戦状」が届いたという。「小宮山さんの『千曲川』は第四部まで、主人公が18歳になるところで終わっている。今後、青年、壮年、熟年時代と昭和十年代以降を書きついで残してもらわなければいけない。執筆を促す意味で、自分でも”最後の授業”というタイトルで百枚の小説を書いた」という趣旨だそうだ。この話を聞いて、私も積さんの言い分に全面的に賛成だ。小宮山さんには後に続く日本人のために、時代を超えて生きるこの長大な作品を完結させて欲しいと思っている。
閑話休題。小宮山さんが住んでおられる長野県上田市といえば、窪島誠一郎さんの無言館を思い出す。小宮山さんと窪島さんとは旧知の間柄だが、無言館、信濃デッサン館で絵を鑑賞して、上田駅近くの小宮山さん経営の鰻のお店『若菜館』で食事をして、上田駅から帰るのが、東京からの観光客の定番コースだと聞いて、私も行きたい気持ちが募った。無言館には思い入れがあり、すでに何回か『清流』でも紹介していることもあり、もう一度、窪島さんにも会ってみたくなった。
その日一番私が面白いと思ったのは、小宮山さんが大相撲の幕内力士である黒海(本名トゥサグリア・メラフ・レヴァン)のファンとして燃えていることだった。グルジア・トビリシ出身の黒海は着々と実力をつけ幕内上位に番付を上げたので、夏場所では今をときめく横綱朝青龍との取り組みも実現する。それを楽しみにしているということだった。のめり込んだ理由を聞くと、小宮山さんがかつて手掛けた本が機縁となったようだ。
グルジアの12世紀の叙事詩『虎皮の騎士 ショタ・ルスタヴェリの叙事詩』(ショタ・ルスタヴェリ著 袋一平訳 理論社)がその本で、西欧のルネサンスより2世紀以上先行して花開いた東方の文芸復興の代表的古典だそうだ。小宮山さんは、黒海が優勝したら、貴重な『虎皮の騎士 ショタ・ルスタヴェリの叙事詩』のグルジア語版の原書をプレゼントしたいとおっしゃっている。
グルジアの人々は長い歴史の中で、アミチエ(友愛)を重んじる人々として知られる。現代社会では見失われつつある人類愛を原点として留める民族である。友愛をテーマにしたこの虎皮の騎士の物語を、今の日本の若者に、叙事詩の韻文体ではなく新たに散文体で訳し直して読ませたい、というのが小宮山さんのかねてからの願いである。われわれ清流出版もお手伝いできることがあればして、ぜひ実現させて欲しいと思っている。そして、私も黒海を応援していきたい。最後に、小宮山さんが今後とも長生きをされ、われわれ出版界の後輩に、いな日本人に喝を入れてくれることを切にお願いしたい。
1998年9月、長野県上田市の「無言館」「信濃デッサン館」を訪ねた際、窪島誠一郎さんとのツーショット。そのときは、小宮山量平さんと窪島さんが親しい交友関係にあるとは、全然知らなかった。「無言館」の柱には寄付のネームプレートに「清流出版株式会社」の名もあるはず。