2005.11.01写真と日記2005年11月

05111.jpg

 月刊『清流』に「貞明皇后―大正天皇とともに」を連載執筆していただいている工藤美代子さん(右から二人目)が来社された。この連載はすでに18回を数えるが、明治・大正・昭和の3代にわたる皇室をめぐっての興味尽きぬ話題が次々に展開されている。担当編集者の松原淑子副編集長(右)も著者の筆運びの鮮やかさもあり、読者からの反響もよいので、編集者冥利に尽きると感じているようだ。いまから単行本になったときが楽しみである。
 今回は、雑誌連載とは別の単行本の話で来社された。先月の本欄で述べた『石原慎太郎の連隊旗―都知事記者会見記を読み切る』(仮題)という単行本企画である。これまで都庁記者クラブの記者会見から石原都知事像を浮かび上がらせた本はまだない。そこで、幸い公開されている記者クラブの石原都知事の会見録を中心に、石原都知事の全人格と個性あふれる生き様を公式「知事会見記」を縦軸に、他の多くの資料渉猟を横軸としながら論評していく本を企画した。だが、いろいろ調べると、会見録をベースにした本は難しいことがわかり、わが清流出版では残念ながら刊行しないことに決定した。
 工藤美代子さんは、来年早々から春先にかけ、立て続けに本が出版されるという。筑摩書房、中央公論新社、講談社から刊行スケジュールが決まっているとのこと。筑摩のPR誌「ちくま」で工藤さんが連載中の「それにつけても今朝の骨肉」を毎号楽しみにしている僕としては、他社本ながら気になる。一世を風靡したベースボールマガジン社を創業する偉業を成し遂げた出版人をお父上に持った工藤さん。骨肉の結果は? 読んでいない方に結末を教えるのは仁義に反するので避けたい。新年は、いずれにしても本の世界に「工藤フィーバー」が巻き起こると予想される。

 

 

 

05112.jpg

 最近、テレビ出演に執筆にとご活躍の唐沢俊一さん(左から二人目)。ご本人の希望でもあり、紙芝居師・梅田佳声さん(左から三人目)の一代記を書いていただくことになった。ここに至る経緯は、不思議な縁というほかない。臼井君が単行本執筆のお願いをしたところ、唐沢さんは丁度、この梅田さんの本を出したいと思っていたところだった。唐沢さんが弊社のホームページを検索したところ、『日本の喜劇王――斎藤寅次郎自伝』などというマニアックな本も出している。このような本を出している出版社ならピッタリではないかと思ったらしい。「子宝騒動」など斎藤寅次郎の大ファンだった唐沢さんにとって、理想的な出版社からの依頼だったというのだ。この斎藤寅次郎の企画については、社内的には否定的な見方が多かった。が、僕が強引にゴーを出した企画だった。思わぬところでこの企画が役に立ったわけだ。
 書かれる側の梅田佳声さん(左から三人目)についても補足しておかねばなるまい。梅田さんは長谷川一夫主宰の新演技座実技研究所に入所して演技を学び、漫才師としてデン助劇団などの舞台に立った。しかし、肋膜炎を患って芸能界を引退、印刷会社に勤務して定年まで勤める。定年後、下町風俗資料館で紙芝居の実演を始めたのが紙芝居師へのスタートとなった。今年、77歳の喜寿を迎えられた梅田さんだがお見かけ通り意気軒昂。すでに紙芝居師として二十余年が過ぎようとしている。これから年末にかけ、仙台や上野鈴本など各地で公演が予定されているほか、3時間に及ぶ長編紙芝居、梅田さん十八番の化け猫騒動「猫三味線」がDVD化され、来年早々に発売予定という。
 単行本の刊行は、来年春先を予定しているので、出版プロデューサーの大内明日香さん(右から二人目)を含め、いよいよ取材をスタートさせる。DVD販売との相乗効果も期待できるとあって、今から楽しみだ。なお、梅田佳江さん(右から三人目)は佳声さんの娘さんでありマネージャー。

 

 

 

05113.jpg

 放送・新聞ほか多方面で評論家として活躍されている東京工業大学名誉教授の芳賀綏さん(右から二人目)とわが社の担当編集者がある晩、一献酌み交わした。先生とは前の出版社時代からのお付き合いで30年を超える。ここ約10年間に清流出版は、雑誌のほか単行本でもお世話になっている。単行本の『昭和人物スケッチ――心に残る あの人あの時』は各紙誌で絶賛され、わが社の利益に貢献してくれた。その編集担当者だったのが臼井出版部長(右)と野本博君(先生の真後ろ)、また雑誌連載は古満温君(左)が担当した。この場で僕は芳賀さんの多年の労をねぎらうともに、かねてより懸案の単行本ご執筆をお願いしたのである。
 その新刊本は『威風堂々――戦後を築いた政治家(ステイツマン)たち』(仮題)という企画で、いわば昭和人物史の政治家版をねらったもの。執筆に当たっては「人物像を正しく理解し、虚像を訂正すべき必要あり。また筆致は文芸的に」と先にメモ書きをいただいている。このジャンルが大好きな僕は一日も早く読みたいと心待ちにしている。
 この日は、芳賀さんの博学ぶりと無類の記憶力にあらためて脱帽させられた。相撲でも野球でも、音楽等の話題でも、関係者も忘れるような細部にわたって覚えておられる。僕が双葉山を破ったら、それを花道に引退しようという理論派の笠置山の話をした。地味な関取だったにも関わらず、たちどころに笠置山という相撲取りについて詳細を語ってくれた。相撲取りになって早稲田大学を卒業したインテリだったこと、大学相撲には一切関わらなかったことなど、とにかくお詳しい。プロ野球草創期の話でも、セパ両リーグ立ち上げの時の阪神タイガーズと毎日オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の因縁話などをお聞きできた。野本君が梅が丘図書館から借りてきた芳賀先生監修の大型本『定本 高野辰之』(郷土出版社)を取り出すと、一段と盛り上がった。「春の小川」「故郷(ふるさと)」「朧月夜」「春が来た」などの歌を作詞した国文学者・高野辰之さんは、芳賀綏さんの奥様の祖父に当たる。芳賀先生十八番の歌も出て、酒席が一段と楽しくなった一夕だった。

 

 

05114.jpg

 名コラムニストとして高名な石井英夫さん(前列中央)を囲んで、談論風発する楽しいひと時であった。その間、雑誌・単行本の新企画が何本か浮かんだのは余禄である。あの『産経抄』を35年間にわたって執筆され、「日本記者クラブ賞」(昭和63年)、「菊池寛賞」(平成4年)などに輝いた名文家である。あの司馬遼太郎さんが「現代のもっともすぐれた観察者」と評したほどだ。
 現代の三名筆の一人とも言われる石井英夫さん。毎号の原稿をいただくのが、編集者としてどれだけ勉強になったかは、清流出版の編集担当者の面々、藤木企画部長(石井さんの後ろ)、松原副編集長(右)、金井雅行君(左)はよく知っている。その雑誌の連載コラムも約10年が過ぎた。そのコラムは大好評だったが、さらに雑誌の内容充実を図り、飛躍させたいので、ページ数を増やして新企画の連載をお願いした。その相談を兼ねて、歴代の担当編集者が一堂に会したというわけだ。石井さんの連載の労をねぎらい、新連載の開始を祝し、一席、設けたのである。
 石井さんは酒席を楽しみながらの座談も巧みである。まず、僕が「今日、明治時代のある作家の『黒髪』と題する作品を読んだ」と口火を切った。石井さんがこの発言にこだわった。「黒髪とは粋な言葉だが……で、作者は?」と尋ねてこられた。僕はうっかり作者名を失念したので、そのことを隠して、「さあ、誰でしょう。当ててください」と逃げをうった。石井さんだったら知っておられると踏んだのだ。すると石井さんは酒席を盛り立てるためか、名前を知らない振りをされた。藤木君は「あの作家でもない、この作家でもない」と、いろいろ当て推量する。その度に、僕は「惜しい!」と「黒髪」の一つで話が弾んだ。二時間ほど経って酒席の進んだ頃、僕が作家の名前を披露すると、「この作家ならよく知っている」と石井さんが手の内を明かされた。集った人々を楽しくする、会話を弾ませるコツをよく心得ている方である。
 ところで、石井英夫さんは現代の三名筆の一人だが、あとの二人は誰でしょう? お答えください。月刊『清流』の目次を見ていただければ、自ずからその答えが分かるでしょう。

 

 

05115.jpg

 映像作家、評論家、日本大学芸術学部大学院芸術学研究科客員教授の松本俊夫さん(左)が、来社された。この松本俊夫さんは、一言でいうと映像の世界で”伝説の人”である。僕が二十代前半の頃、松本俊夫さんの『映像の発見』『表現の世界』などを読んで、どれだけ勉強になったことか。言葉では言い尽くすことができないほどだ。当時、映像の世界に魅力を感じていた僕は、映画会社に就職しようかと迷ったことがある。出版社と映画会社から合格内定をもらったが、結局、出版の道を歩むことになった。
 今回、高崎俊夫さん(右)の協力のもと、『映像の発見――アヴァンギャルドとドキュメンタリー』というわが青春の思い出深き本を再び世に問うたのは、正直言って欣快!の一語だ。「古きをたずね 新しきを知る」の言葉もある。何年、何十年も前に刊行され、絶版になっている本の中にも、良書がたくさんある。普遍的なテーマをもち、現代に問題提起する本を復刻することが、意義あることを訴えることになりそうだ。フランス文学者で学習院大学教授である中条省平さんにも、「映像表現の可能性、映像芸術の課題を見事に解き明かした幻の名著、四十年ぶりに完全復刻なる」と、この本を推薦していただいた。
 お二人の関係は、弊社刊行の『中条省平は二度死ぬ』(中条省平著)の同タイトルの前文に詳しく述べておられるが、麻布中学3年生の時、中条さんが松本さんのメガホンを取った『薔薇の葬列』を見て、熱烈なファンレターを書く。松本俊夫さんは驚愕した。「15歳の……、批評力、論理の展開と追求に仕方、その背後に感じられる勉強ぶり……、稀有の才能にめぐり会えた」と……。その喜びを手紙にしたためて中条少年に返事を出している。松本さんも『映像の発見』を出版した時は、まだういういしさの残る31歳。中条さんへ返事の封書を出した時は37歳だった。なんと若き二人の出会いであったことか。ともに現代人の早熟とは異質の天賦の才、鋭い感性に驚くばかりである。

 

 

05116.jpg

 月刊『清流』の表紙でお馴染みのイラストレーター・新井苑子さん(後列右)。新井さんの住んでいる街に加登屋が引っ越したのだが、挨拶はまだだった。ご親切にもわが夫婦を、近くのレストラン『オーベルジュ・ド・スズキ』にお招きくださった。われわれ夫婦が、引っ越しそばを持っていくのが常識なのに、お忙しい新井さんに気を遣わせて大変恐縮だった。と同時に、この日、来年1月号の表紙デザイン画ができたとの知らせで、担当の松原淑子副編集長(後列左)も急遽駆けつけることになった。
 新井さんには、数々の受賞歴がある。電通賞、朝日広告賞、雑誌広告賞、日本広告主協会優秀賞……など。また、切手のデザインでも有名な方だ。九州・沖縄サミット記念切手、日本ユネスコ50周年記念切手、2001年度年賀葉書(郵政省)などを手掛けている。今回のお招きでは、新井さんがデザインされた今年の日本郵政公社の「特殊切手 冬のグリーンティング切手」をいただいた。雪の名前がついた50円切手、花の名前がついた80円切手の組み合わせで、新井さんはシクラメンとポインセチアをお描きになっている。印刷は日本ではなく、フランスで印刷されたという。
 この街に長く住んでおられる新井さん夫妻。すぐ近くには苑子さんのご母堂(93歳)もお住まいという。有難いことに月刊『清流』を有料購読されている。つねに辞書を携える読書家という。新井さん夫妻は、グラフィックデザイナーとイラストレーターだが、ご子息は日本医科大学の形成外科医である。つい最近も新聞の切り抜きを見せられたが、脂肪組織由来幹細胞を用いた骨髄再生の論文で注目されている臨床医である。親戚に医者が多くて、たちどころに総合病院もできる家系だという。なんともうらやましい話である。