2006.05.01小熊秀雄・童話の朗読と鼎談の夕べ ほか

06051.jpg

 一昨年の夏、昭和30年代の子どもたちの暮らしをテーマに、人形制作を続けている人形作家・石井美千子さん(右)の作品集『昭和のこどもたち』(A4判 並製 88頁 定価2100円)を刊行した。その石井さんが来社された。お花見の季節で、九段下界隈は花見客で溢れていた。すぐに藤木健太郎君を伴って近くの寿司政で昼食をと思ったが、大入り満員で席をとるのがやっとだった。
『昭和のこどもたち』は、桐塑(桐の木の粉と生麩糊を混ぜ合わせた粘土で原型を作る)の人形だが、作り物ではない自然の背景に溶け込ませて撮影した。河原や神社、時には駅のホームなどが撮影現場となった。
 カメラマンの山本邦彦さんと石井さん、それにほとんど全ての撮影に同行したわが社の担当編集者・長沼里香と藤木健太郎の両君。ロケハン、撮影、写真選びからレイアウトまで、この本が出来上がるまでの苦労話は、枚挙に暇がない。季節感を大切にしたから、撮影も春夏秋冬に及んだ。雪の積もった厳しい寒さや夏の炎熱地獄での撮影など、忘れられない思い出となっているに違いない。二人のこの本に寄せる思いが詰まっている本だ。
 この本は、書店の店頭での販売のほか、全国各地の放送局やデパート、地方自治体などが主催する展覧会でも販売できるのが強み。来訪者が1冊、時には2冊購入してくれ、結果として売れ行きは順調に推移している。そういうわけで今後の作品集の売れ行きは、ひとえに人形展の開催動向にかかっている。完成度の高い本なので、もっと多くの方々に会場で手にとってもらいたい。石井さんが来社された日、お蔭様で残部数が減ってきたので5000部の増刷を決めた。わが社としては、かなり思い切った部数である。
 ごく最近では、この4月26日から5月7日まで、東京の立川市にある「国営 昭和記念公園 花みどり文化センター」で、『昭和のこどもたち』人形展が催される。写真集には未収録の農家のこどもたちをテーマにした新作も展示され、会期中、石井美千子さんのサイン会も予定されている。ご興味がある方は、ぜひ入場してお声を掛けていただきたい。
 その後、今夏にも『昭和のこどもたち』人形展が催されることが決定した。会場は北海道だが、まだ詳細は公表できないのが残念だ。その先、9月中旬、さらには10月にも人形展が予定されている。もう少し多めに増刷しておけばよかったかなと、今は反省しきりである。

 

 

06052.jpg

 本欄で何回か登場してお馴染みの高崎俊夫さん(右)が、今はNYと東京を拠点に活躍されている平野共余子さん(左)を伴って来社された。平野さんは、文字通り国際派の日本人である。経歴をザッとご紹介する。早稲田大学法学部を卒業され、東京大学人文科学研究科比較文学比較文化専攻の修士課程から、東京大学新聞研究所に進んだ。その後、1976年にベオグラード大学大学院・演劇映画テレビ・アカデミーに留学、さらにフルブライト奨学生としてニューヨーク大学大学院・映画研究科博士課程を経て、1988年に同大学院博士号を取得した。この間、ひたすら学究の道を歩んだ方である。
 そして、ニューヨーク・ジャパン・ソサイティー映画部門のディレクターとなり、1986年から2004年まで、同所でアメリカにおける日本映画紹介に尽力されている。以前に、母校のニューヨーク大学大学院とニュー・スクール大学で日本映画の講座を担当。映画プログラム・キューレータ、映画史研究家として内外の有識者に認められており、日本映画ペンクラブ賞や第17回川喜多賞(1999年)を受賞されている。僕は勝手に女性版「蓮實重彦+淀川長治」の線が平野共余子さんを形容するのにピッタリではと思っている。
 平野さんの著書『天皇と接吻――アメリカ占領下の日本映画検閲』(草思社刊 1998年)は、日本人に「戦後」の再検討を迫る内容になっている。他社の本ながら、題名がユニークでインパクトがある。今回、わが社から刊行するのは、「ジャパン・ソサエティ・メモワール」である。平野さんが辿ってきた映画との関わりとともに、日本映画の魅力を異国に紹介し続けた熱意が、ほとばしっている貴重な記録でもある。平野さんからその後、メールが入り、『日本映画ならNYで』『日本よりもNYでの日本映画』という題名を思いついた、と連絡をいただいた。ただ僕は、以前、平野さんにご提案いただいた『字幕版はありますか』が気に入っている。よほどいいタイトルが頭に閃かない限り、メインタイトルはこれに決めている。
 この本の中には、先年亡くなった「アメリカの良心」と言われている作家、思想家スーザン・ソンタグが登場する。平野さんと親交があった彼女は、ジャパン・ソサエティーをよく訪れ、日本映画を楽しんでいたことが、平野さんの文章で明らかにされている。このことを特筆しておきたい。
 2003年には、特集シリーズ「スーザン・ソンタグの選ぶ日本映画」を開催して大成功を収めた。それを受けて2004年、第2弾として10本の厳選された「スーザン・ソンタグの選ぶ日本映画」が上映された。そのイベントを成功裏に終えた、同じ月の12月28日、スーザン・ソンタグは急性骨髄性白血病で亡くなった。享年71歳であった。
 僕もスーザン・ソンタグ女史の書くものには関心があり、かつてダニエル・ベルの翻訳本を編集したとき、彼女について触れられているくだりがあった。その翻訳で苦労したことを思い出した。平野さんが書いているスーザン・ソンタグに関する文章をぜひ、皆さんにもお読みいただきたい。

 

 

 

06053.jpg

 以前、本欄で紹介したフリー編集者の久保匡史さん(右)が、翻訳者の高月園子さん(左)を伴って来社された。高月さんは、東京女子大学文理学部史学科を卒業された方で、英国在住もすでに約20年にも及ぶとか。普段はロンドンでご家族と暮らしていらっしゃるが、所用がある時は日本へ戻ってくる。今回の帰国は、わが社の翻訳本の打ち合わせを兼ねたものとなった。久保さんの推薦で今回、お願いすることになったのだが、単行本の翻訳のみならず、音楽関係の記事やイギリス生活を題材にしたエッセイなども執筆されている。
 高月さんに翻訳していただいた本は、トーマス・ギフォードの『アサシーニ』(邦題については、まだ未定)である。バチカンのコンクラーベを舞台に暗殺者が暗躍するミステリー小説で、原書のカバーの惹句にあった《『ダ・ヴィンチ・コード』のようにショッキングな内容で面白い》との謳い文句にそそられて、版権を取得した経緯がある。ぜひ読んでいただきたいので、スリラーものの常道で、詳細な内容紹介は避けたい。
 高月さんの数多い翻訳書の一つにデュ・プレ『風のジャクリーヌ』(ショパン社刊)がある。42歳の若さで亡くなった天才女性チェリストのことを、姉ヒラリーと弟ビアスが共著で出した作品だ。僕が訳書を読んだと言うと、高月さんは嬉しそうに頷いた。この本は映画『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』(アナンド・タッカー監督、1998年)の原作本にもなった。
 僕はそのことを高月さんには話さなかったのだが、この原作の内容と映画の設定や解釈があまりに違うので戸惑った記憶がある。だが、ジャクリーヌ・デュ・プレのチェロ演奏に関してはノー・プロブレムだ。特にその響きの美しさは素晴らしいと思う。
 編集担当の高橋与実君は、ネットサーフィンで高月さんのエッセイ「西日の当たる……」を偶然読んでいて、「あの記事を書いた高月さんですか?」と本人を目の前にして驚いた様子だった。僕も、高月さんが帰った後に、その記事を読んでみてなるほどと感心した。視点がとてもユニークだったからだ。翻訳を終えたら、ぜひ英国と日本の文化比較を独自な視点から書いて欲しいと思う。高橋君が依頼するが、ひょっとすると「第2のマークス寿子登場か?」という予感がしている。

 

 

 

06054.jpg

 ?遊人工房の飯嶋清さん(左)が、今度はカメラマンの中谷吉隆さん(右)を紹介してくれた。中谷さんは、東京写真短期大学(現・東京工芸大学)写真技術科を卒業し、東京新聞社出版写真部を経てフリーランスとなった方。
 月刊誌、週刊誌、グラフ誌、カメラ誌等の出版物、印刷物等に発表されているベテランである。写真集も数多くあり、ルポルタージュ、人物、風景、スポーツ、歴史写真など、幅広い分野で活躍され、カメラ芸術新人賞を受賞(1964年度)している。現在、日本写真家協会会員、日本スポーツプレス協会名誉会員、日本写真芸術学会会員、全日本写真連盟関東本部委員、NHK文化センター写真講座講師等を務めている。
 スポーツ写真、特にラグビー、サッカーの写真は素晴らしい。写真集『ノーサイドの笛が鳴る――燃えるラガーたちの30年』(ノースランド出版刊)は、男と男が命を懸けてぶつかり合うその迫力が伝わってくる。骨のきしみや汗の匂いさえ感じられるような一瞬を定着している。ラグビーファンならずとも興奮する見事な写真集である。
 中谷さんは、広島市のご出身だが、『広島・戦後10年』(1997年)という作品展のカタログを見せてもらった。それを見ると、昭和31?32(1956?57)年にかけて広島の貴重な記録が刻まれている。40年以上も未発表のままに残された写真だが、被爆後、広島の復興に人々が捧げる努力が人の心を打つ。
 JCIIフォトサロン館長の森山真弓さんが序文で、「自らの故郷である広島市の呻きを超えた視点から、現実を鋭く捉える作者の感性は、自己主張を抑えているがゆえに、私たちの心の底に、平和への強い意志と戦争の愚かさを喚起して」くると熱く語っている。この写真集を見ただけでも、中谷さんの広島に対する思いの深さが伝わってくる。
 中谷さんは、「東京・神楽坂」の写真集を出したいとおっしゃる。それも「夏目漱石が愛した神楽坂」というテーマの写真集にしたい、という希望だった。写真集の構成もきちんとできている。僕も学生時代から神楽坂に親しく愛着があるし、夏目漱石がらみと聞けば、出版したいという気持ちが動いた。だが、刊行の可能性となると、いかに写真集の狙いがよく、写真自体、中身がよくてもおいそれとはいかない。
 それにプラスして、地元有力者ないし商店街の後援とか、広く有識者の応援を仰がないと、刊行したはいいが赤字のプロジェクトを抱え込むことになる。こうした難問にぶつかる度に、無い知恵を搾り出してこれまでも切り抜けてきた。こういう作業は、僕にとってむしろ刺激的で好きである。
 自分で言うのもなんだが、簡単に売れる企画だけを出すばかりでは出版の意義は無かろうと、小出版社経営の心意気だけは持っている。幸い中谷さんにも僕の経営上の趣旨が通じ、いろいろとご理解していただいた。上手くいけば、初秋には上梓できるはずだ。

 

 

06055.jpg

 刊行はまだ先だが、絵本の企画が突如、舞い込んできたのでお知らせしたい。この話は、僕の親しい友人の佐藤徹郎さんと奥さんの宏子さんが持ってきてくれたものだ。月刊『清流』の2004年11月号にヒューマン・ドキュメントとして、末期ガンで余命宣告を受けたスポーツマン飯島夏樹さんを取材している。 「限りある日を今日も生きる――飯島夏樹さん」がその記事だが、執筆してくれたのが佐藤宏子さんだった。
 その後、飯島夏樹さんは、ハワイを療養先と決め、家族6人全員で移り住んだ。懸命な闘病生活のかいもなく、2005年2月28日、38歳の若さで天に召された。その飯島さんの1周忌のとき、素晴らしい会が催されたことを宏子さんからつぶさに聞いて、僕も感動した。
 それは、飯島夏樹さんの叔母(母の妹)である吉田ふようさん(右)と友人の千金美穂さん(左)が、手作りの絵本を作り、集まりに参加した方に配り、故人を偲んだのだという。吉田さんが本文を、千金さんが絵を担当して、60冊ほど手作りした絵本だった。
 夏樹さんの4人の遺児もさることながら、集まった人々は一様にその素晴らしい絵本を見て、感動したという話である。早速、吉田さんと千金さんにご来社していただき、その経緯と出版の可能性を確かめた。
 飯島夏樹さんは、生前、?サニーサイドアップというPRを中心にしたコミュニケーション戦略のコンサルティング、プロモーション戦略、イベント企画等を得意とする会社と契約していた。僕も一度、同社社長の次原悦子さんにある件でお会いしたことがあって、そのときの印象はなかなかシャープで頭の良い方と記憶していた。サッカーの中田英寿、水泳の北島康介、スポーツライターの乙武洋匡、テニスの杉山愛……等の錚々たるメンバーを擁し、権利関係がしっかりしている。僕が気にしたことといえば、飯島夏樹さんを連想させる絵本で、?サニーサイドアップという会社と揉め事があってはならないという判断だ。それさえクリアすれば、堂々と本作りができる。
 さいわい吉田ふようさんも次原悦子さんと仲が良いうえ、了解を取ってくれるという話だ。

 

 

 わが社の主催で、4月2日(日)、『小熊秀雄童話集』の刊行を記念しての「小熊秀雄・童話の朗読と鼎談の夕べ」を行なった。場所は東京都世田谷区の明大前駅前にある「キッド・アイラック・アート・ホール」。青木裕子さん(NHKアナウンサー)、アーサー・ビナードさん(詩人)、窪島誠一郎さん(「信濃デッサン館」「無言館」館主・作家)をゲストにお呼びしての素晴らしい夕べになった。以下に、その時撮ったデジカメ写真をご覧に入れる。

060561.jpg

会場玄関前の風景。社員が総動員で手伝ってくれた。

 

060562.jpg

開場直前の風景。定員50名だがオーバーするほどの大入り満員。

 

060563.jpg

2列目左端の女性は、2時間前から並んで待っていた。

 

060564.jpg

会場には幹事役・野本博君の知合いである日大芸術学部・清水正先生の姿(中央)も。

 

060565.jpg

いまや遅しと待つ開演前の一駒。

 

060566.jpg

青木裕子さん、アーサー・ビナードさんと初顔合わせをした加登屋。

 

060567.jpg

アーサー・ビナードさんのお話。巧みな日本語には一同、驚いた様子。

 

060568.jpg

青木裕子さんの朗読風景。『小熊秀雄の童話集』から4篇を取り上げて朗読された。

 

0605610.jpg
「”小熊秀雄”その静かなる饒舌」と題された3人の鼎談風景。

 

0605611.jpg

司会する臼井雅観出版部長。

 

0605612.jpg

打上げで挨拶する藤木健太郎企画部長(右から2人目)。その左は野本博君(愛和出版研究所代表取締役)

 

0605613.jpg

終了後の懇親会風景。料理もワインも食べきれないほど。