2006.08.01ねじめ正一さん 織作峰子さん 富良野ほか
作家、詩人のねじめ正一さん(右)が、来社された。ねじめさんはかつて2年間にわたって月刊『清流』で連載されたエッセイを単行本にまとめる話が進んでいた。「家庭往来(all right)」というタイトルで連載されていたが、そのエッセイに朝日新聞、日本経済新聞等に寄稿した文などをプラスし、加筆修正して一冊にしようという狙いである。
担当の古満君(左)がねじめさんと綿密に話を進めてくれたおかげで、売れそうな本ができつつある。題して『老後は夫婦の壁のぼり』。団塊の世代に大受けしそうな内容で、東京・阿佐ヶ谷で「ねじめ民芸店」を営むねじめさんの日々の生活から夫婦関係、仕事、近所づき合い、野球談義等を書いている。男の本音でユーモアたっぷりに「夫婦のすれ違い」や「老い」など悩みのタネに迫るのが狙いだが、その裏にねじめ夫人の存在が厳然としてある。その証拠には各章毎に鋭い突っ込みの「オクサンの言い分」が付け加えられている。この部分の文章は、ねじめ夫人が自ら執筆されている。ねじめさん+夫人の共同執筆となるとこの本が処女作となるのではないか。団塊の世代向けの売り線がこうした仕掛けであると言ってもよいだろう。
この日、ねじめさんとタイトル、本文、組、装丁の問題を確認できたので、あとはゲラの責了を待つばかり。9月下旬には上梓できるはず。連載中に、イラストを伊波二郎さんにお願いしていたが、えも言われぬおかしさ一杯のイラストが好評だった。単行本も伊波二郎さんの絵がカバーから本文に12ヶ所も登場することになる。
ねじめさんの作品と言えば、第101回直木賞を受賞した『高円寺純情商店街』をすぐ思い出す。その時、吉祥寺の弘栄堂書店でサイン会などをやってベストセラーへ結びついた。これにあやかって、わが社も発売と同時に、この弘栄堂書店でサイン会をしたいと思っている。それ以外に、全国の書店網をはじめ、広告宣伝にも力を入れ拡販に注力したい一冊だ。
今回、ねじめさんから聞いた話で面白かったことは、人から同じ直木賞作家の出久根達郎さんと間違えられることがちょくちょくあるとのこと。出久根さんといえば、わが社からも藤木君の編集担当で『養生のお手本――あの人このかた72例』『下々のご意見――二つの日常がある』の2冊を刊行させていただいた。ねじめさんが阿佐ヶ谷、出久根さんが高円寺。ねじめさんが民芸店、出久根さんが古書店「芳雅堂」を経営していた。お二人は名文家でもあり、いわば同じ中央線沿線に居住する作家な上、多種多彩な才能ある方。どちらにしてもわが社の執筆者である。読者のみなさん、お二人の区別は間違うことなく、今後ともよろしく。
もう一つ、注目すべき話があった。かつて月刊『清流』の冒頭のページで5年にわたって名詩を飾られた詩人の谷川俊太郎さんの本を作ったらどうかと提案があった。谷川さんが他人の本に推薦する帯の文章が実に秀逸で興味あるというのだ。各社思い思いに帯の文を頼むので、それをまとめたら、谷川さんがどのような本を評価しているか、どのようなアングルで推薦しているか分かるわけで、読者人には興味深い本ができそうだ。さすがにねじめさんの発想は面白い。僕はこのアイデアを清流出版が独占すべきではないと思った。これを見た他社の編集者が競争相手になっても構わない。ねじめさんのアイデアを先に谷川さんに説得できる方が優先権を持つことを保証したい。
本間千枝子さん(左)と筑波大学大学院教授・谷川彰英さん(右)。僕は二人とも初対面だが、本間さんは臼井君の知り合いで朝の読書運動を推進するタブロイド新聞『MORGEN モルゲン』(有限会社遊行社発行)の取締役・編集長である。本間さんには、荒川じんぺいさんを紹介していただいた。荒川さんには、わが社から『じんぺい流 パソコンお絵描き指南』『森に棲むヒント』を刊行させていただいた。本間さんのおかげで、『MORGEN モルゲン』紙面で森本哲郎さんの『吾輩も猫である』や高尾五郎さんの『ゼームス坂物語 全4巻』を紹介してくれたこともある。
この日は(有)遊行社主宰の教育問題のセミナーや講演会等の講師としてご協力いただいているという谷川さんを伴って来社された。聞くと谷川さんは塾の経営者として荒れる中学生をどう立ち直らせるか苦労したというご体験がある。子育てに困り果てた母親たちと共に、日々真剣勝負で子どもたちと向き合ってきた。こうした体験を通して谷川さんは、母親が「ダメなママ」であることを自覚することによって、子どもたちへの対応も変わっていき、子どもたちも自立の道を歩み始めることを学んだ。
「ダメママ会」という会も組織され、すでにこの会との付き合いも20年になるという。この塾の経営体験を書いてもらえば、子育てに苦悩する若い母親たちにいい参考になるのではないか、との直感が湧き、緊急出版させてもらうことにした。8月中に脱稿という強行日程だが、本間さんが外部編集者としてお手伝いいただけるので安心している。
企画提案されたもう一冊の単行本、『学校の限界 なぜ子どもは学校で苦しむか』も、40年間にわたる学校教育の研究者として、谷川さんの集大成ともいうべき企画でありこの企画にもゴーサインを出した。格差社会が進む中で、教育の機会均等も失われつつある。所得水準の多寡によって夢が描けない生徒が出てくるようでは困る。ますます教育現場は荒れることになる。これをなんとかしなければ、日本の未来は展望できない。なんとか谷川さんの著書で、流れを変えたいものである。
武山健さん(写真)とは臼井君が織作峰子さんの写真展初日のパーティに参加した折に、たまたま会場で織作さんに紹介されてお会いしたのだという。このパーティには僕自身出席できなかったが、わが社から刊行された織作さんの写真集『MY SWITZERLAND』の出版を記念して開かれたもので、東京・銀座のキヤノンギャラリーには織作さんの交友の広さを反映して大勢の関係者が詰め掛け大盛況だったようだ。
武山さんの会社は、わが社と同じ神田神保町。徒歩数分という至近距離にあり、気軽に訪ねてこられたのだ。武山さんは以前、小学館の編集責任者として各種女性誌の創刊に力を尽くされた方。その頃、織作さんと知り合われたという。小学館を退職されたあと、編集プロダクション「ケンブリッジ」を設立、代表を務めている。実は僕の知り合いにも「ケンブリッジ」という社名の会社を経営している者がおり、この偶然にしばらく花が咲いた。
武山さんの仕事としては、同朋舎メディアプランから編集委託された『国宝倶楽部 えん』が眼を引いた。創刊号の特集は「空海」、二号目が「良寛の恋」、三号目が「聖徳太子の改革」とバラエティに富んだもの。レギュラー執筆陣も瀬戸内寂聴、櫻井よしこ、鈴木秀子の各氏のほか、人間国宝との対談・撮影を織作さんがやっておられる。充実した人選の上、ビジュアル的にも洗練されており、よく出来た雑誌だと思ったが、残念ながら三号で休刊になってしまったのだという。スポンサーの都合とはいえもったいない話である。
とりあえずこの日は、武山さんの編集プロダクションで手掛けた単行本等も見せていただいて、お強い分野・傾向もよくわかった。編集者、カメラマンなど力のある外部スタッフを抱えておられることもあり、いずれなんらかの形で接点が出来てくるものと思う。
前の武山健さんの項でも述べたが、今月、わが社から刊行された写真集『MY SWITZERLAND』の著者・織作峰子(右)さんが、今回の仕掛け人である飯嶋清さん(遊人工房)を伴って来社された。本来はこちらからご挨拶に伺なければいけないところ、会社に来られてお土産まで頂戴して恐縮の至りだった。この写真集は、スイスの小さな可愛い村々、素朴な人々の表情、そして、スイスならではの雄大な自然の美しさを堪能できる素晴らしい作品となっていて、編集担当の秋篠も大満足。スイス・ファンのみならず、人々と大自然の素朴さと美しさの極致を味わいたい方々にぜひともお勧めしたい。
織作さんはこの写真集ができたと同時に、全国の個展を展開し、宣伝キャンペーンを企画してくれた。出版社にとって、著者としては最高の方である。すでに発売日に合わせて、東京・築地のADK松竹スクエアと東京・銀座のキヤノンギャラリーの2ヶ所で『織作峰子写真展――スイスの小さな村を訪ねて』を開催して成功裡に終わった。その後、8月3日(木)?9日(水)まで大阪・梅田のキヤノンギャラリーで個展を開催し、以下、札幌、名古屋、福岡、仙台…の各キヤノンギャラリーと今年一杯のスケジュールが決まりつつある。
会場では、デジタルカメラ&デジタル出力で大きな写真が拝見できる。本とはまた違った世界を味わうことができる。この日、一連の打ち合わせを兼ねて、いろいろの話が出たが、ここでは省く。いずれにしてもこれから各会場と近隣の書店網を結びつける仕掛けの工夫が、特に田辺販売部長、臼井出版部長以下、全員でやらなければいけないことは事実。著者が積極的に動いてくれるのを会社として支援できないなんて恥ずかしい!
ところで織作さんは、よく知られているように1981年ミスユニバース日本代表に選ばれ、その任期終了後ただちに写真家を志した方だ。人物写真から自然をテーマとした写真など独自の感性で撮影した作品が多く、いまや名実ともに実力派の写真家である。
今日、織作さんから初めて聞く話で、興味深い話がある。月刊『清流』の連載を約10年続けたのをはじめ、絵入りエッセイ『風の旅 心の旅』『自分への旅』の二冊を刊行させていただいた俳優・榎木孝明さんとは、以前からお付き合いがあったという。
榎木さんは昨年10月、北海道・美瑛町に榎木孝明水彩画館を建設し水彩画を展示している。館内には織作さんが撮った榎木さんの大きな写真が飾られている。10年ほど前に撮影されたものだが、ご本人がいたく気に入って折りに触れ、使用許可を求めてくるのだという。このことをもう少し早く知っていたら、詳細は後述するが、僕が最近実現させた北海道旅行のスケジュールを変えたと思う。まことに残念だった。榎木さんの近年の映画『HAZAN』(五十嵐 匠監督)で板谷波山を好演したのも話題になって、一気に盛り上がった。織作さんの故郷は石川県金沢。榎木さんの故郷は鹿児島県。織作さんと榎木さんの「美男美女」二人が、親交厚かったとは知らなかった。被写体と撮影者との息のあった作品がまさか北海道・富良野にあったとは!
織作峰子さんと会った日の約10日前、飯嶋清さんが北海道・富良野のラベンダー祭りに出かける話を聞いた。また飯嶋さんよりさらに1週前、僕たち夫婦が障害者のバリアフリーツアーで富良野の満開寸前のラベンダー畑を見物している。梅雨真っ盛りの東京を離れ、富良野は天気もよく、摂氏29度の暑さも爽やかに感じられる日だった。その時は、織作峰子さんと榎木孝明さんのことは知らなかった。榎木孝明水彩画館も見ていない。
その代わりに有名な「ファーム富田」の花畠(上の写真)の素晴らしさを楽しんで、運よくラベンダー伝説の人・富田忠雄さん(下の写真中央)に出会えることができた。わが社から笹本恒子さんの『夢紡ぐ人びと――一隅を照らす18人』の冒頭に富田忠雄さんが取り上げられている。その時、東京・銀座でやった出版記念パーティのことを富田さんもよく覚えていて「その節はどうも…」と言う発言の後、「笹本さんはお元気ですか?」とのご質問。飯嶋清さんから聞いた近況の受け売りで、「お元気ですよ。つい最近もフランスへ行って、講演したそうです」とお話した。富田さんの『わたしのラベンダー物語』や笹本さんの本から、かつてラベンダー畑と格闘し、並大抵の苦労ではない苦境を乗り越え、今や全国から集まる観光客で一杯の畑を見ると、僕も目頭が熱くなった。
ちょうど月刊『清流』の最新8月号の第2特集で、『日本で最も美しい村』を取り上げた。この特集の冒頭は、北海道・美瑛町だった。ラベンダー畑、ドラマ「北の国から」、”パッチワークの路”……。まさに僕らの行くところ美しい村の風景が連なり、雑誌片手に気分は最高! わが読者に紹介してよかったと思った。