2007.02.01窪島誠一郎さんと無言館
窪島誠一郎さん(右から二人目)が、来社された。わが社から『「信濃デッサン館」「無言館」遠景――赤ペンキとコスモス』の新刊を出され、見本刷りがこの日、出来上がってきたからである。見本を前にしながらお話をした。
今回の著書で特筆すべきは、本の副題にもなっている「赤ペンキ事件」(注1)についてである。窪島誠一郎さんの人柄を知る意味でこの「赤ペンキ事件」は興味尽きない。その赤ペンキ事件とは?
「あとがき」から、ちょっと長いが、さわりの部分を紹介したい。
……「無言館」でおきたやりきれない事件だった。戦地で亡くなった画学生たちの名をきざんだ慰霊碑に、だれかがべっとりと赤いペンキをかけていった。(中略)私はそのペンキを全部除去せずに碑の一部にほんの少しだけ残した。そのほうが、いつまでもその事件を忘れずにいることになるであろうと、考えたからだ。(中略)
ふしぎなことだが、わたしは今も赤ペンキの主を少しも憎む気持ちになれないでいる。(中略)私はむしろ、これまで自分がしてきたことが多くの人びとに赦され、手厚くされてきたことのほうに畏れをもつ。自分の気付かないところで、どれだけの人が悲しみ、傷ついているだろうかなどと想像して胸をつぶす。
(その後の文はこう続く)……昨今の政治や社会のなかで、こうした考えは「自虐史観的」であまり歓迎されないようだ。しかし、これも性格だから仕方ない。自分にとって「生きること」は、いつも自らのエゴや自我に対する畏れやおののきとたたかいながら、自分の足で一歩一歩前にむかってあるいてゆくことにほかならない……(以下略)
このように綴る窪島さんは、なんと誠実な方だろうと僕は心から感服した。この一点をもってしても、本書を刊行する意義があったと僕は思いたい。
本文中、「無言館」建設推進のパートナーであった東京芸大名誉教授・画家の野見山暁治さんの、この事件に関する感想も紹介されている。野見山暁治さん(注2)は、われわれ俗人とは別の意味でラディカルな方だ。「もう少し、ペンキの領分をのこしたほうがよかったんじゃないかな」がその感想であった。
話が変わるが、月刊『清流』で窪島誠一郎さんに連載執筆していただいている「私の『母子像』」が好評である。今号で23回目になる。そこで、同誌の松原淑子副編集長(左から二人目)と担当編集者の野本博君(右)も加わり、単行本上梓を盛り上げるべく、藤木企画部長と臼井出版部長を含め、緊急の編集会議をした。
まず、月刊『清流』で窪島誠一郎さんとヴァイオリニスト・天満敦子さんの対談を実施する企画案が浮かんだ。4月1日発売の5月号に間に合わせるためには、2月中に対談収録を終えなければならない。スケジュールを早急に詰めたいと思っている。
その後、出版記念会として、朗読&演奏会&座談会をしようというプランも浮上している。『「信濃デッサン館」「無言館」遠景――赤ペンキとコスモス』の企画は野本君が立案したものなので、彼の率いる愛和出版研究所が主体となって、貸しホールの手当てをお願いしたいと思っている。もちろん清流出版も大いに力を入れ、刊行記念イベントを盛り上げ、販売実績を上げたいものである。
そのイベントには、天満敦子さんのヴァイオリンももちろんだが、司会者役としてNHKアナウンサー・杉浦圭子さんも、窪島誠一郎さんとのお付き合いの関係から出演メンバーに浮上した。
また、無言館の設立経緯から関わっておられる画家・野見山暁治さんにも一肌脱いでもらおうとのプランも考えている。野見山暁治さんの単行本『アトリエ日記』の単行本企画も、野本君の担当で近々わが社から刊行される予定だ。
これ幸いと思うのだが、合わせて披露したいというのが僕の願いだ。菊池寛賞を受賞されたお二人が、今またわが社から刊行記念会を開催する。いまから、楽しみである。
(注1)
無言館の慰霊碑「記憶のパレット」
(注2)
野見山暁治さんの2007年 冬 寒中お見舞