2009.07.01堀文子さんと坂田明さん

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堀文子さんと坂田明さん

・『清流』の2001(平成13)年11月号「人々 people」欄にご登場いただいた画家の堀文子さん(左)。1年ほど前、生死の境をさまようような大病をされたが、奇跡的に回復され、91歳になる現在は体調もよく、大磯に居を構えて絵を描く毎日を続けておられる。僕は堀さんの大ファンだったので、もう一度お会いしてお話する機会があればと思っていた。それが、意外なところからお会いする機会が飛び込んできた。堀さんは、1997年から1998年の2年間『婦人画報』誌に連載で、「堀文子の人生時計は”今”が愉し」というタイトルで対談をされていた。その対談をまとめての、「堀文子対談集」をわが社から単行本化にする話が舞い込んだのである。

・この話を持ってきたのが、元『婦人画報』編集部に勤務されていた近藤俊子さんである。この対談の企画編集者であり、対談相手の人選から司会まで一貫して担当された。今はフリーの編集者として活躍中の方である。この件は、現在の桜井正朗『婦人画報』編集長代理も積極的に応援していただいて実現したものだ。

・堀文子さんは画業一筋に世界の僻地を放浪した経験をもち、「自然と命」を見つめる一方で、交友関係の広さは驚くばかり。当然ながら対談相手も多彩で、各界の錚々たるメンバーが多い。作家、俳人、女優、歌舞伎役者、能役者、建築家、音楽関係、タレント、実業界……等々。すでに故人となった山本夏彦さん、鈴木治雄さん(元昭和電工名誉会長)のお二人を含め、キラ星のように輝いている人ばかりである。

・今回は、『婦人画報』の連載に漏れたジャズ・サキソフォニスト兼タレント兼俳優兼東京薬科大学生命科学部客員教授の坂田明さん(右)との対談である。坂田さんにご登場願った理由は、極微の世界の大先輩だからだ。堀さんの対談連載中にはミジンコの話などは出てこなかった。だから最近の堀さんを知ってもらうためにも、坂田さんにご登場いただいたわけだ。単独で単行本に収録するのはもったいない、月刊『清流』の読者にも楽しんで欲しい。というわけで、長時間の対談をお願いすることにし、グランドパレスホテルの一室を取ったのだ。

・途中から僕も参加し、対談模様を一緒に見せていただいた。その時、僕が持っていった『清流』の創刊号を皆さんにご覧いただき、話が盛り上がった。そこにはなんと坂田明さんが表2の広告で登場されていた。帝人の広告だが、僕の中学時代の同級生・松本邦明さんが当時、帝人の広報部長だったため、有難いことに創刊号のため好意的に広告を出してくれた。それが坂田明さんのミジンコ観察(下)の風景だったのだ。そのミジンコの話になると、堀文子さんも身を乗り出して、細胞分裂からプランクトンの遊泳力まで熱心にメモを取り、図を描いたもらうほどの入れ込み状態となった。

・堀さんが極微の世界に魅せられたのには理由がある。実は2001年の春にも大病されたが、いくら回復しても辺境へ旅するのは難しくなる。絶対安静の1か月近い入院中、子供の頃にはまりかけて中断していたプランクトンの世界が、突然マグマのように噴出したというのだ。顕微鏡を手に入れよう。一滴の水の中にうようよ泳いでいる微生物が見える。「ゾウリムシが見たい」という衝動がこみ上げてきた。スライドガラスの上に垂らした一滴の水。それをそっと覗いてみると、いるわいるわ、アオミドロ、ツヅミモの間を大小の微生物がうごめいている。

・ミジンコを初めて見たときの感動は格別だったという。2ミリ以下の小さな生命体。円い頭に黒い大きな眼が一つ。口をとがらせた顔があどけない。体は鳩胸のようで背中はまあるくなっている。卵型の体型がかわいらしく、肩には枝分かれした触覚があり、その先に細い毛のある剛毛が指のように何本も出ていて、この両腕を振るのである。体の中心を太い腸が走り、ぴくぴく動く楕円形の袋は心臓だ。透き通った体の中で、食べて、消化し、排泄し、子を生み、子孫を残す。この極微の体で完璧に行なっていることに感動されたのである。対談相手の坂田さんはミジンコ博士のような方。話が盛り上がるのも当然である。

・堀さんはこんなにも知的好奇心があり、若々しい。このお美しい姿を見ると人生120歳寿命説を信じたくなる。上村松園賞(昭和27年)、ボローニャ絵本賞(昭和43年)、神奈川県文化賞(昭和62年)等の賞を取ったが、ご本人は賞など一切忘れたかのように、天真爛漫に人生の苦楽、無尽蔵の知識を楽しんでいる。

・まだまだ書きたいことはあるが、月刊『清流』と単行本の対談集を買ってもらいたいので、あえて言わないでおきたい。僕が堀文子さんの熱烈なファンであることが分かってもらえばうれしい!

・『婦人画報』を出すアシェット婦人画報社は、母体が仏ラガルデールグループのアシェット・フィリパッキ・プレス社である。そもそもアシェット社は、フランス・メディアの一大グループである。かつて僕は40年前、20代の頃、パリから『レアリテ』という月刊誌の日本語版権を買い取りに行ったが、当時、S.E.P.E社という『レアリテ』の発行所は、元を正せばアシェット社グループの一員だった。僕は研修のためアシェット社に何回か行っている。その流れを継ぐ『婦人画報』といまこうして仕事を持つことが出来た。僕としては不思議な縁という以外言うべき言葉がない。

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月刊『清流』創刊号の広告ページ

 

 

 

 

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堀文子さんと僕

●写真撮影はすべて広瀬祐子さん。このためパリの事務所から急遽馳せ参じてくれた。