2009.08.01斎藤明美さんほか
斎藤明美さんの『最後の日本人』刊行を祝って集まった方たち。
・斎藤明美さん(右から3人目)の著書『最後の日本人』が弊社から刊行になった。これを機に、ささやかながら出版記念を兼ねた食事会を六本木のレストランで開いた。当日、集まったメンバーは、文藝春秋副社長の笹本弘一さん(右から2人目)、アシェット婦人画報社の「25ans & 婦人画報グループ」ニューディベロップメントディレクター・今田龍子さん(右)、同『婦人画報』編集長代理・桜井正朗さん(右から4人目)、デザイナーの友成修さん(左から4人目)。あとわが社から、本書を編集担当した秋篠貴子(左から3人目)、臼井雅観出版部長(左から2人目)、僕という都合8人のメンバー。
・こんな笑い転げ、楽しかった会は近年ついぞ記憶にない。斎藤明美さんの稀に見る漫談調の話上手ぶりに、終始笑い声が絶えなかった。特に、かあちゃん、とうちゃんと呼んでいる、高峰秀子さん、松山善三さんとの珍問答を、その場に居合わせたような語り口調で再現してみせ、おなかの皮がよじれるほど笑った。お会いした人との会話は、その情景とともに、一字一句とまでは言わないまでも、ほぼ完璧に覚えているという、斎藤さんのその記憶力には脱帽である。語り部としてのその才もお持ちである。冗談ではなく、吉本興業に先んじて売り出してもよいタレントだと思ったほどである。
・少しだけこの時の話をご披露しておく。斎藤さんが麻布のマンションに転居するに至った逸話である。なお、この話は、斎藤明美さんが『婦人画報』8月号に「高峰秀子との仕事」として連載中で、この話が載っている。……平成8年の6月末のこと、斎藤さんは当時住んでいた世田谷のマンションの一室でテレビを観ながらゴロゴロしていた。そこに電話がかかってきた。「あんたんち、カネある?」高峰秀子さんからである。高峰さんは無駄なことは一切言わず、いきなり用件を話す。斎藤さんは「カネ」のこととは思いもよらず、「ハネ? ですか?」と聞き返す。「違う違う。金、お金よ。お金ある?」「お金はありませんけど……」斎藤さんはおずおずと応える。「アパート、買わない?」「アパートって……それ、アパートのオーナーにならないかってことですか?」「違う違う。部屋よ。アパートの部屋を買わないかって聞いてるの」「アパートって、木造ですか?」「そうじゃないかなぁ」この返答に斎藤さんは固まってしまう。ご本人は知らないらしい。「木造のアパートの部屋は売らないでしょう、普通」と返すと、高峰さんは、「ん? 三分後に電話する」
・後日わかったのだが、そのマンションには松山善三氏のお姉さんが住んでいたのだが、体調を崩され息子さんの家で暮らすようになった。だから空いたマンションを売ることにしたという経緯がある。だが、斎藤さんはこの時点でそんなことは一切知らない。再び高峰さんから電話。「鉄筋だって」「じゃ、マンションですね?」「そうなの? じゃ、マンションでもいいや。マンション買わない?」「マンションってどこの……」「うちのすぐ近く。歩いて四、五分かな。便利よぉ、会社に行くのに」「麻布のマンションなんか、とても私には買えません」「安いわよぉ。幾らか知らないけど」……。こうした珍妙なやりとりを声音もそのままに再現してみせるのだから、おかしくておかしくてみな笑い転げるしかない。
・この顛末は、高峰さんと斎藤さんの関係を知るに格好のエピソードなので、是非、『婦人画報』の本文を読んでもらいたい。とにかく一幕の芝居、いや上質の落語でも聴くようで、全員拍手喝采だった。高峰秀子さんを「かあちゃん」、松山善三さんを「とうちゃん」と斎藤さんが呼ぶ由来もよく分かった。
自著を持つ斎藤明美さんと、高峰秀子さんの『にんげん蚤の市』を持つ笹本弘一さん。ほぼ同時刊行された高峰さんの本は、版権を文藝春秋から譲っていただいた。驚いたことにこの連載は、『オール読み物』編集長だった笹本さんと斎藤さんが依頼に伺って実現したものだという。世の中は本当に狭い。
・ここで当日集まったメンバーにも少し触れておきたい。まず文藝春秋副社長の笹本弘一さん。本書の<「S氏のこと」?あとがきにかえて>を読んだ方は、ハハーンとうなずかれるかもしれない。斎藤明美さんが23年前、文藝春秋の『Emma』編集部に採用されるも、フライデー襲撃事件が起こり、写真週刊誌は軒並み影響を受ける。ご他聞にもれず、『Emma』も廃刊が決まる。斎藤さんは採用されたものの、廃刊まで三号ほどライターとして働いてだけでお役ごめんとなった。しかし、ズブの素人だった斎藤さんの文章を読み、才能のきらめきを感じていたSさんは、フリーに戻っていた斎藤さんに声をかけ、『週刊文春』に働く場を提供したのだ。入社後も編集の「イロハ」から教え育てた、いわば斎藤さんにとって大恩人だ。斎藤さんはこう書いている。いまもって――私が電話やメールで打診すると、一度も「何の用?」と聞いたことがない。私の声の調子と文面の書き方から、その”緊急性”の度合いを察して、返信をくれた――。ここまで信頼を築くのは師弟関係の見本である。
・なお、席上、笹本さんが月刊『文藝春秋』編集長の時、巻頭のエッセイを長年書き続けてこられた司馬遼太郎氏がお亡くなりになり、次の連載候補者として阿川弘之氏に白羽の矢を立て、頼みに行った。固辞されて一旦引き上げ、再び、上司とともに訪問した笹本さんは、「巻頭言から蓋棺録まで書いてほしい」のウィットに富んだ言葉で口説き落とした。この経緯を僕は笹本さん本人の弁でと勘違いしていたが、ご本人の事情説明で上司と二人で説得したことがよくわかった。いまでも『文藝春秋』の巻頭言、阿川弘之さんの『葭の髄から』は名文で、並ぶものなき珠玉のコラムである。
・今田(こんた)龍子さんは、斎藤さんが『婦人画報』連載中、当時の編集長。いまは「25ans & 婦人画報グループ」ニューディベロップメントディレクターの肩書に昇格。山形県人で、着物姿が似合う東北の典型的な美人。彼女の編集方針は「ベルファム(美しい人)」というキーワードに集約される。「ベルファムとは、年齢を重ねるほどに咲き続ける女性」。知ること、学ぶこと、考えることを日々重ねて、人は美しくなってゆくという考えである。「豊かであれ、美しくあれ」と願いながら魂を込めて編集してゆく。この姿勢、わが『清流』にも一脈通じることである。
・先月号の本欄にも登場した桜井正朗『婦人画報』編集長代理。日本庭園、茶道など純日本のテーマに強い方である。席が遠く、今回はほとんど喋る機会がないまま終わったが、今後ともどうぞよろしく。
・デザイナーの友成修さん。友成さんの装幀は素晴らしい。高峰秀子さんも一目見るなり、その仕事ぷりに惚れたらしい。「あの方に任せたい。」とおっしゃる。僕はその前に、文藝春秋から出た『舌づくし』(徳岡孝夫著 2001年)の本に惚れた。僕の旧知の著者(徳岡孝夫さん)、編集者(照井康夫さん)の本を見事な装幀で飾ってくれたのが友成修さん。この本を笹本弘一さんも名文のエッセイと装幀だと薦めてくれた。
・今回の会場になった六本木の東京ミッドタウン(ガレリア内ガーデンテラス2F)にあるレストラン『キュイジーヌ・フランセーズJJ』についても一言。あのポール・ボキューズの直弟子で、1972年に来日したジョエル・ブリュアンさんがオーナーシェフ。日本人に正統派フレンチを楽しんでもらいたいとの気持ちで出店したレストランだ。言語障害の僕以上に日本語が達者で、ウィットとユーモアに溢れる会話がいつも愉しい。実はジョエルさんは、僕と同じマンションの住人。いつも可愛い犬を2匹連れて散歩し、またある時はカッコいいポルシェのハンドルを持つエンスー(enthusiast)である。今回の出版記念会に参集した面々も、ジョエルさんの出す料理をおいしい、おいしいと連発、大いに正統派フレンチを楽しんでいただいた。「新しいご馳走の発見は、新しい星の発見よりも人々を幸せにする。」(ブリア・サヴァラン)――この文のように、ジョエルさんの出してくれる料理は、みんなを幸せにする!
ジョエル・ブリュアンさんと秋篠貴子、僕。集合の定刻前、ミッドタウンの廊下で偶然会って、秋篠と僕は一枚撮らせてほしいとお願い、快諾してくれた。
・最後に販促について述べておく。弊社も全国紙への宣伝広告などこれから販促にこれ努めていく所存であり、早めの増刷にこぎつけたいものと思っている。いい追い風も吹いており、この本が刊行されると、「日経新聞」、「高知新聞」、『週刊文春』、月刊『婦人画報』などに、書評や著者インタビューが掲載されている。斎藤さんの郷里(高知県土佐市出身)の高知新聞などは大きくスペースをとって報じてくれた。是非、皆様方のお力添えをいただいて、斎藤さん、弊社ともにハッピーになれればと思っている。なお、後日談だが、「素晴らしい食事会で身に過ぎた一夜でした」と、斎藤さんからお礼の手紙をいただいた。ふと封筒を裏返してみると、高峰さんと同じ住所。僕は知らなかったが、スープの冷めない距離にお住まいのようだ。これからも、高峰さん、松山さんの素晴らしい絶版本を復刻させていただくなど、お付き合いを深めていきたいと思っている。