2009.09.01小池邦夫さん 武者小路実篤記念館
暑い日、調布市武者小路実篤記念館で長時間企画会議の後、
「みなさん、ご苦様!」。木曽路調布店で暑気払いのひと時。
・絵手紙の創始者、小池邦夫さん(左)がこの8月、面白そうな出版企画を提案してくれた。来年が「白樺派100年」の節目に当たるということで、それに合わせて武者小路実篤の魅力を再認識しようというものだ。遅くとも年末までには出しておかなければならないから、少し急がなければならない。さすがに小池さんは絵手紙の創始者である。過去に刊行された実篤本とは視点が違った。実篤の言葉の面白さ、画の力強さを知ってもらう。さらにはそんな世界を紡ぎだすために、実篤もこだわった文房四宝の世界を、わかりやすく読者に提供する。調布市武者小路実篤記念館が所蔵するものと外部コレクター作品から、これまで未公開の作品を中心に、小池さんがすでに粗選びを済ませたところだ。
・暑い日、武者小路実篤記念館に出向き、企画の実現に向けて、ほぼ半日を費やした。実は、2ヵ月前も、同じ件で我々が実篤記念館へ行って、このような試みの本が作れないか、皆さんの感触を確かめる会議をした。その時、まだ人口に膾炙しない作品が多々あって、僕は「これはいける!」との感触を得た。臼井君は、二回目の会議の叩き台として、武者小路実篤の言葉を50音順で約2000フレーズ用意していったほど入れ込んだ。
・福島さとみさん(右)――調布市武者小路実篤記念館運営事業団首席学芸員、伊藤陽子さん(中)――同主任学芸員たちの熱心な助力もあって、ポジフィルムから候補写真選びをした。枚数にして約2700枚に及んだ。小池さんは十代の頃からの熱狂的実篤ファンである。過去に刊行された実篤本には、小説は勿論のこと、画集、全集など、ほとんど隈なく目を通している。だから瞬時に、過去に公開された作品かどうかを判断できる。小池さんの作品選びの基準は未公開作品、極力知られていない作品を中心に選んだ。弊社はこれらの作品をもとに、百数十頁、B4判かAB判の本を作りたいと思っている。
・しかし、僕はまったく知らなかったのだが、実篤の描いた油絵の素晴らしさはどうだ。僕は数点の油絵を見せられて、一瞬言葉を無くした。セザンヌばりの面影を宿した傑作である。実篤といえば、素人画家だと思われている。じゃが芋や南瓜といった野菜を思い浮かべる方もいるだろう。実は僕もそう思っていた一人だ。とんでもない誤解である。中川一政や梅原龍三郎といった一流画家が、なぜそれほど実篤の画を高評価していたのか。その疑問が氷解した。この画を見れば誰だって頷ける。皆さんも是非、実篤の油絵に注目してほしい、この傑作を観てほしい、と思っている。
・館ではこれまで平成になってから、『武者小路実篤記念館図録』(平成6年刊)、『調布市武者小路実篤記念館』(平成6年刊)、『仙川の家』(平成14年刊)、『没後30年心豊かに 実篤の画讃に生き方を学ぶ』(平成17年刊)、『写真に見る「実篤とその時代」』(平成18年刊)などの出版物、パンフレットや写真集を出しており、また小学館、求龍堂、筑摩書房、文化出版局など大手出版社が刊行した単行本もある。だが、今回の単行本企画は小池さん流の切り口で、斬新である。作品も未公開作品が中心。そんなことを勘案すると、わが清流出版も遅まきながらも参入できそうだ。いまは混迷の時代、人生の岐路に立たされたとき、指針に悩む人も多いはず。実篤こそ、今の世の中、見直されるべきだと僕は思っている。もう一度、世に問いたいという熱い思いをたぎらせている。
・武者小路実篤は文学に限らず、美術、演劇、思想と幅広い分野で活躍した。明治18(1886)年から昭和51(1976)年まで、その生涯は燃えに燃えた。友人も志賀直哉、有島武郎、有島生馬、里見弴、柳宗悦、岸田劉生、長与善郎、安倍能成……などの深い付き合いが一生続いた。
・実篤の90年の生涯は、晩年になるほど画讃、筆の勢いが素晴らしい。小池さんも、思わず唸るほど墨色がよくなっているし、味わいのある言葉に勇気づけられるとの感想を洩らしておられる。「白樺派100年」という時期に、この本をぶつけるには絶好の企画であると確信されている。今から良い本ができそうで、待ち遠しい。
・実は小池邦夫さんのお住まい(狛江市東野川)と僕のマンション(世田谷区成城)と武者小路実篤記念館(調布市若葉町)は、車で行くと僅か10分間位。お隣同士の近さである。そして、狛江市のコミュニティバス(こまバス)には、小池さんが書く「絵手紙の発祥地 狛江」の横断幕が目を引く。僕の住まいにも「こまバス」が野川辺りで往来するのがしばしば遭遇する。そういうわけで、記念館を頂点にして三画図を引くと、この実篤の企画はなるべくしてなったという思いが深い。
・小池さんが、我々に提案してくれたもう一つの企画だが、面白い経歴の人をご紹介頂いたのだ。メディア理論、科学ジャーナリストの大家・林勝彦さんである。林さんの単行本企画については、鋭意検討中であり、詳細については後日書くつもりだ。林さんはNHKの科学・環境・医学番組のディレクター、デスク、エグゼクティブ・プロデューサーとして40年間、現場で番組制作され、幾多の世界的な賞を受賞されている。その敏腕ぶりはNHKでも、つとに鳴り響いていた。さにあらん、慶応義塾大学の哲学科を卒業しながら、世界的に評価された番組は、「遺伝子DNA」「脳と心」など、理科系でそれもかなり専門性の高いもの。あの立花隆、養老猛司といった方々とも、丁々発止をやりあいながら番組を制作してきた。その後、東京大学先端科学技術研究センター客員教授兼務(3年間)。現在は、東京芸術大学、武蔵野美術大学の非常勤講師を務める他、日本科学技術ジャーナリスト会議理事、科学ジャーナリスト塾塾長でもある。小池さんと林さんは従兄弟同士だという。小池さんが学芸大学に入学して愛媛県松山から上京した際、下宿先が湯島の林さん宅だった。隣の部屋で寝起きし、勉強の切磋琢磨を営んだ体験もあると聞く。お二人の青春時代はさぞかし実の入った時期だと思った次第。とにかく小池邦夫さんと我々は暑い夏、企画に入れ込んだ。いよいよ仕込みをしなければならない。
小池邦夫さんが僕にくれた絵手紙の一部分。