2010.03.01宇佐美恵子さん 室田尚子さん
宇佐美恵子さん、小野間知子さん、ジョエル・ブリュアンさん、松原淑子、僕
・月刊『清流』で2年間にわたって連載していただいた宇佐美恵子さん(中央)と秘書の小野間知子さん(右)。これまでのご苦労を労うとともに、今後の単行本化をどうするか、会食しながらの会議となった。連載は、1年目のテーマが「ようこそ、宇佐美恵子のキレイ塾へ」で、2年目が「日々是進化」となり、宇佐美さんの生活と人生を赤裸々にお書きいただいた。1年目と2年目ではテーマが異なるので、単行本としてどのような章立てにするのか、工夫が必要だと思われる。でも、どちらも宇佐美さんの持ち味が十分発揮されているので心配はしていない。今後、別のテーマでご依頼し、3章立て構成もあるかなと胸算用をしている。宇佐美さんは、これまで『トップモデル物語』、『いい女になる33のヒント』、『人に好かれる”大人のキレイ”を楽しむ習慣 50歳からのさり気ない気品が身につく』、『お金のかからないエイジレス美人術』等の著書がある。わが清流出版の本は、もう少しワサビが利いた本を目指したい。その核となる部分が連載にも現れているので、安心している。編集担当である松原(左)の構成案を待って進めたいと思っている。
・宇佐美さんは、ソムリエの資格を取るほどのワイン通であることを聞き、僕は、東京ミッドタウンの「キュイジーヌ・フランセーズ・ジェイジェイ」にお呼びすることにした。オーナーシュフのジョエル・ブリュアンさん(右から2人目)は、ポール・ボキューズの直弟子である。本格的なフレンチを出すことで知られ、ワインも裏切られたことがない。美人好きのジョエル・ジュリアンさん。宇佐美さんのために腕を振るいサービスに努めてくれたが、果たして宇佐美さんの肥えた舌にかなったかどうか。宇佐美さんはソムリエの資格の話になると、「いえ、ノムリエでございます」と謙遜されるが、ワインについてもどう評価されたのか本音をお聞きしたい。
・宇佐美さんは平成20年1月に、美しく、お洒落で、人目を引く方だった伯母様(お母上の姉上様)を亡くされた。その伯母様は昭和22年、東京・中野に織田デザイン専門学校を設立し、校長を務めていた。精力的な働きをされていた伯母様が83歳でお亡くなりになったが、生前、宇佐美さんの人となりに惚れ、後を託したいとの思いが強かった。長年言われ続けてきただけに、宇佐美さんも引き受けざるを得なかったのだろう。平成20年4月に校長に就任する。トップ・モデルからファッションコーディネーター、アンチエイジング研究家として仕事の幅を広げてきた宇佐美さん。56歳にして初めて、組織を運営することになった。生徒募集、学校宣伝、入試、テスト、学校行事……。今までの生活が一変する。毎朝、6時に鎌倉の自宅を出発し、8時には中野の学校での朝礼、訓示、レポート、来客との応接……。僕も組織人としての経験があるが、伯母様の眼力は確かである。「あなたに託したい!」の夢は立派に実現されるだろう。僕も宇佐美さんならやり遂げる力があると思う。
・全学年合わせて800名。生徒数を聞いて、すごいなあと感嘆した。その中のファッション校では、毎年、成績がトップだった生徒をパリの姉妹校に遊学させる。宇佐美さんは、最終決定前にもう一度吟味する。果たしてその決定に誤りはなかったろうか、と……。例えば、生徒の生活実態に注目する。中には、奨学金をもらっても、学費ではなく生活費の一部として使ってしまう人もいる。そこをきちんとできるかできないかは、その後の人生に大きな影響を与える。また、留学生の問題もある。全生徒の20パーセントまでなら、外国人留学生の受け入れが可能だ。ところが現在その数は、5パーセントほど。それもアジア人留学生しかいないという。かつて森英恵に代表される日本のファッションは世界をリードしてきた。現代の日本におけるファッションは、いまいち魅力に欠けている。ファッションリーダーとして再認識させれば、留学生も自然に増えてくるはず、と宇佐美さんはその夢を語る。
・「学校法人 織田学園」をはじめ、「織田ファッション専門学校」、「織田きもの専門学校」を率いる他、併設校にも「織田栄養専門学校」、「織田調理師専門学校」、「織田製菓専門学校」、「織田福祉専門学校」、「おだ学園幼稚園」などがあり、全部合わせると、大きな教育産業グループになる。お父上は、「織田家の女は強い」とよく言っておられたそうだ。さにあらん、織田家は織田信長の弟の家系に当たり、新しい物が好きで、強い性格に特徴があるが、それは血筋のせいかもしれないとお母上もおっしゃっていたという。頷ける話である。
室田尚子さん、青柳亮さん、僕
・前回(2006年6月)、本欄に登場された室田尚子さん(中)は、クラシック音楽を分かりやすく解説する本を執筆するはずであった。が、折悪しく(清流出版から見たらそうなるが、室田さんにとっては好運にも)素敵な男性と出会い、結婚するに至った。さらには、子宝にも恵まれる奇跡も起きたため、子育てと音楽評論に邁進するようになり、当時立てた単行本企画は頓挫せざるを得なかった。今回は、ご子息を預かる保育園が見つかったので、弊社の希望通り、執筆環境が整いつつある。果たしてどんなクラシック音楽の本を書いてくれるのか、と期待感は大きい。前回と同様、ラグタイムの青柳亮さん(右)が側面から応援してくれることになっている。
・改めて室田さんのプロフィールを簡単に述べよう。東京藝術大学大学院修士課程(音楽学)修了。現在、早稲田大学・立教大学・武蔵野音楽大学各講師。東京新聞や日本経済新聞、雑誌『音楽現代』等で演奏会評・音楽時評を手掛ける。また読売日本交響楽団の定期演奏会「名曲シリーズ」や読響『Orchestra』、『二期会通信』などをはじめとする演奏会の曲目解説を行ない、音楽評論家・ライターとして活躍中。特にドイツの音楽キャバレーにおける音楽文化、ヴィジュアル・ロックや少女マンガ、とくに「やおい」など、「ネット・コミュニケーション」「大衆文化」「オタク文化」をキーワードに、より幅広いフィールドで執筆活動を展開されている。そのほかにも、NHK?FM「クラシック・サロン」「クラシック・リクエスト」、衛星PCM放送ミュージックバード「Naokoのクラシック・ダイアリー」のパーソナリティを務めるなど、ラジオ放送でのクラシック音楽紹介にも力を入れておられる。著書には『チャット恋愛学 ネットは人格を変える?』(PHP新書)ほか、約10冊の共著がある。
・今回、企画再開にあたり、室田さんは、お正月明けのメールで編集担当の藤木君に「オペラを切り口にしたい」との意向を伝えてきた。狙いは「初めてのオペラ鑑賞」に絞り、オペラ劇場に行くところから、細部までオペラの楽しみ方を懇切丁寧に解説したいと言う。その発言を聞いて、僕は昨年末、日本経済新聞で室田さんが4回にわたって「オペラの中の女たち」をご執筆されたことを思い出した。それは女性のみならず男性読者にも読み応えのあるオペラの素晴らしい紹介エッセイであった。全くストーリーを知らない人も気楽に読めるもので、従来のステレオタイプのヒロイン観の由来を探り、新しい見方を提示している。明解で、ユーモアに満ちた文章なので、難しい内容説明も、ストンと腑に落ちる。『蝶々夫人』では、一人の女性として、「男に人生を賭けちゃダメよ」などと、女性にしか書けないアドヴァイスがある。室田さんは『二期会通信』に毎回、「オペラの楽しみ」という連載をやっていることもあり、このオペラファンを増やそうという願いもあろう。僕も以前からオペラを題材にする企画を本にしたかったが、室田さんのような才人におまかせすると、自由奔放に発想が飛躍するので必ず面白いものになると直感した。幸い藤木君は昨年5月に『歌劇場のマリア・カラス――ライヴ録音に聴くカラス・アートの真髄』(蒲田耕二著 弊社刊)を編集担当していて、このジャンルには実績がある。社内的にも意見が一致し、室田さんにぜひ自由に書いてもらいたいとお願いした。
・企画の細部にわたってここで全部明かすわけにいかないが、オペラに行きたくても躊躇している読者(特に女性)に対し懇切丁寧な解説、注釈、楽しみ方を室田さんが諄々と説明する内容であることを信じる。とにかく音楽を語って、面白く、薀蓄が増えること間違いなしと思う。室田さんの筆力は、今あらゆるジャンルで突出し、抜群である。願っても簡単に適わない方にご執筆いただけるので、僕は嬉しい!
・前号は椎名其二さんと森有正さんとの関係を主に話した。その延長線上で今回は、森有正さんの弟子・辻邦生さんのことを書く。辻さんがまだ立教大学文学部助教授の頃、僕がフランスで版権取得した新雑誌『レアリテ』のために、原稿執筆の依頼をした。テーマは「森有正氏の書斎」である。実は、椎名其二さんは哲学者アランの全集を所蔵していたが、それをすべて森有正さんに譲ってしまった。このことを僕は知っていたからである。日頃からアランのことを口にしていた椎名さん。今にして思えば、椎名さんは、森有正さんがアランに深く学んだほうがよいと言う親心で、譲ったのではないか。それを機として、森有正さんの書斎にはアラン・コーナーができた。辻邦生さんも恩師の書斎について書きたいと思っているに違いないと、30歳の編集者だった僕は考えたのだ。辻邦生さんは喜色満面、締切りの大分前に原稿を完成してくれた。その後、何かというとお声がかかり、池袋の喫茶店に呼んでくれ、楽しい会話をした。
・実は、辻邦生さんを知る以前から、奥様の辻佐保子さんのお名前は知っていた。辻佐保子さんの翻訳で、美術出版社から『ロマネスク美術』(ルイ・ブレイエ著 1963年)、『ビザンチン美術』(ポール・ルメルル著 1964年)、『ゴシック美術』(エリー・ランベール著 1965年)の三部作を、当時、次々と愛読したものだ。辻邦生さんが『廻廊にて』(1963年、新潮社刊)に続き、『夏の砦』(1966年 河出書房新社刊)を上梓されたが、確信があった僕は、「モデルは奥様でしょう?」と訊いて見た。「いやー、ほんの少々です。家内はあれほど魅力的ではないですから」と言いつつも、満更でもないという表情を見せた。辻佐保子さんとは、例の天才ヤスケン(安原顯)のお葬式で初めてお会いした。ヤスケンも、編集者として辻邦生さんと付き合っていたが、不思議なことに、我々二人は辻さんの前で会ったことはない。お互いに持ち味(テリトリー、ジャンル)の違いがそうしたバッティングを生まなかったと言えよう。そして僕が、同じ親しいとはいえ、一歩下がる編集者であったことが大きい。それにヤスケンは天才、加登屋は凡才だった。僕が最初の翻訳書『敗戦国の復讐――日本人とドイツ人の執念』(マックス・クロ、イブ・キュオー著、嶋中行雄・加登屋陽一共訳 日本生産性本部刊)を贈呈した時、丁寧な言葉で激励されたことは僕にとって数少ない誇りである。
・晩年の森有正さんの悩みは、哲学上の問題と、女性問題に尽きると僕は判断している。森有正さんは1911(明治44)年生まれ、森有礼の孫。1976(昭和51)年、65歳で亡くなっている。55歳の時、運命的に16歳年下(39歳)の女性に出会う。お相手の栃折久美子さんが『森有正先生のこと』(2003年 筑摩書房刊)をお書きになったので、読めばおおよそその関係は分かる。栃折久美子さんは、筑摩書房を経てフリーのブック・デザイナーとなったが、森有正の死に至るまでおよそ10年間、恋に溺れ、悩みながら生きていく。かつて一回目の結婚をした時も、離婚だの新しい恋人だの騒いだことに、椎名其二さんに「東京大学の偉い先生も自分のことになると全くだめだな」と揶揄された。
・栃折久美子さんの親友の一人がモリトー・良子さんである。モリトー・良子さんは、椎名其二さんにルリユールを学び、栃折久美子さんとの共著『ルリユール(Reliures)製本装釘展覧会カタログ』 を出されている。蛇足だが、ドイツ在住のモリトー・良子さんは、長年、月刊『清流』の定期購読者である。毎年、妹さんの曽禰知子さん(ご主人は元東急ハンズ社長)に、年間購読料を代わって納めていただいている。そのお二人の弟さんが住田良能産経新聞社社長で、華麗な血族であるのはお分かりいただけよう。モリトー・良子さんがドイツから帰国する度に、野見山暁治さん、近藤信行さんをはじめ椎名其二さんをよく知る方たちが集まる。その話は、月刊『清流』に近藤信行さんを取材してくれたのが藤木健太郎君で、まだフリーの編集者時代《1998(平成10)年》だった。『清貧に生きる』の特集で、「自由人として、生きる喜びを大切にした椎名其二さんのこと」(近藤信行さん談)を要領よくまとめてくれた。その文章の中には、昨年末に亡くなった親友・長島秀吉君の談話も入っており、今となっては懐かしい貴重な誌面を残してくれた。藤木君は長島君の自宅まで行き、取材しながら、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番を聴いている。取材が長引いて電車がなくなったので、長島君に愛用のシトロエンで送ってもらったという話だ。モリトー・良子さんが久しぶりに帰国された折、銀座で関係者が集うというので、僕も呼ばれたことがある。あの時から随分時間が経ったが、今もって懐かしい。長島君が生きていれば、出席した誰よりも熱く椎名其二先生の思い出を語り尽くすことだろうと残念でならない。
・「椎名其二さんの話」はまだまだ続けたいが、余りにも受けないテーマだと困るので、半分はそろそろ終わりにしたい気持ちもある。
日本では暮らせないと結論し、再び40年間住み慣れたフランスへ。哲人72歳の椎名其二さんの胸に去来するものは何であったろう。貨物船に乗る前の椎名さんを長島秀吉君が撮った写真。