2010.11.17小池邦夫さんの個展会場で。小池先生と臼井君と僕
小池邦夫さんの個展会場で。小池先生と臼井君と僕。
・今年もまた小池邦夫さんの個展の時期がきた。11時過ぎに会社を出て、会場である銀座の鳩居堂画廊に馳せ参じた。すでに11月9日から個展は始まっていて、この日は12日の金曜日である。会期は二日を残すのみだが、あいにく土曜、日曜は松本市で法事の予定が入っていた。伺うにはこの日しかなかったのである。鳩居堂のエレベータ前に着いて盛況を確信した。何組かのご婦人グループが並んで待っている。2度、乗り過ごしてからようやく会場へ。会場である4階の画廊は、ごった返していた。9割方がご婦人たちだが、絵手紙人口の拡がりから、全国から熱心な絵手紙愛好家が駆けつけてきたと思われる。
・僕は混雑の中を縫いながら、やっとのことで近作絵手紙や筆文字の作品を見ることができた。小池さんはといえば、ファンの方たちにとり囲まれ、質問やら賞賛の声を背景に大忙しの態である。しばらくして、その小池さんが僕に近づいてきて、「先日は、武者小路実篤の本を出してくれて有難う」と、先に挨拶されてしまった。たくさん自著を買っていただいて、御礼を言いたかったのはこちらなのに、改めて腰の低い方だと思った。こんなに混雑している会場は初めてだというと、小池さんは時間帯に関係あるのだという。聞けば、主婦の方々は家事を片付け、午前中に見に来られる方が多いのだという。そんなこととは露知らぬ僕は、一番混雑するピーク時に訪れてしまったというわけだ。
・今回の個展は、一言で言えば「絵手紙50年!」のキャッチフレーズ通り、小池さんの絵手紙創始以来、半世紀の歩みがよくわかる仕組みになっていた。展示された作品も、その50年間を象徴した作品ばかりで、僕が見慣れぬ「吾作」の落款が押された絵手紙もあった。小池さんに聞いてみると、まだまったく無名で売れない二十代前半ころ、畏友・正岡千年さんに送った作品によく付けたものだという。農家の生まれだった小池さんが、「田吾作」を洒落のめしてつけた雅号であった。
・絵手紙作家の小池邦夫さんと書家・水墨画家の正岡千年さんは、ともに愛媛県松山市の出身。中学、高校と同級生であった。大学の進路こそ東京学芸大学(小池さん)と青山学院大学(正岡さん)に分かれたが、無二の親友であり、お互いに尊敬し合う仲として今日に至っている。展示された作品の中に、正岡千年先生宛とあり、「だれもこない、電話もない、世に捨てられた」と書かれた作品があった。今では考えなれない不遇の時代から、お二人が水墨の世界に魅せられ、お互い切磋琢磨されてきたことがしのばれた。小池さんの転機は34歳の時である。『季刊 銀花』総発行部数6万冊の一冊に一点ずつ、オリジナル絵手紙を挿入するという企画である。制作期間は1年間。毎日200枚ずつ描き続けなければ達成できない。同じ絵手紙を描くのだって大変なのに、何十種類も描くのだからさらに厳しい。こんな途方もない企画に挑戦し、成し遂げたことで、小池邦夫の名が世に知られることになった。“手紙書き”を仕事にしている人は、この人をおいてない。
・午後になって会場が少し空いてきたので、小池さんとも自由に話せるようになった。早速、臼井君は小池さんといろいろ仕事の打ち合わせを始めた。次に出す単行本企画のスケジュールを詰め、さらには臼井君本人の著になる絵手紙関連の単行本企画への協力も取り付けているようだった。そう、小池さんの一番弟子である臼井君の本もわが社から刊行する準備を進めている。臼井君は小池さんとは30年以上のお付き合いで、『絵手紙を創った男』(あすか書房刊)を書き、師の小池さんが認めた存在である。絵手紙愛好家が参考にできるような本が出せれば、小池さんも後押ししてくれるという。そのための精進が待たれるところだ。僕も一読者として、臼井君の本を楽しみにしている。