2010.11.24小山明子さんと大島渚監督の金婚式
小山明子さんと大島渚監督の金婚式から。貴重な一枚をお借りした。
・小山明子さんがご来社された。ご著書の『小山明子のしあわせ日和――大島渚と歩んだ五十年』(弊社刊)の取材を受けるためである。お忙しい介護の合間を縫いながら、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ等に精力的にご出演くださっている。これだけ積極的に動いてくださる方はまれで、版元としては、まさに涙を流さんばかりに有難い著者である。
・この日(11月22日)も、午後2時から、文化放送の「大竹まことゴールデンラジオ」に生放送でゲスト出演され、その足で、わが社に向かわれた。最初に時事通信社のインタビュー、引き続き、産経新聞社の「話の肖像画」のインタビューを受けた。その後、学士会館に会場を移して、雑誌『パンプキン』の取材を受けられたとか……。移動をしながら四つのメディアからの取材である。お疲れにならないはずはないが、小山さんは終始、にこやかに応対をされ、そんな様子は微塵も感じさせなかった。ご自宅の鵠沼から、東京に出てくるのは大変である。精力的に取材依頼に応じていただき、本当に感謝の言葉もない。小山さんのマネージャー山田智江さんはじめ、販促のお手伝いをいただいたブラインドスポットの浦野稚加さん、わが社の編集担当・秋篠貴子も頑張ってフォローしてくれた。
・『小山明子のしあわせ日和――大島渚と歩んだ五十年』のパブリシティ関連を整理してみると、『女性自身』(小山さんインタビュー)、東京新聞・生活面『家族のこと話そう』(インタビュー)、テレビ朝日「ワイドスクランブル」の『山本晋也 人間一滴』(小山さんゲスト出演)、『毎日が発見』(小山さんインタビュー4ページ)、『ゆうゆう』(小山さんインタビュー)、『クロワッサン』(著者インタビュー)等々が、各メディアに登場する。検討中のメディアもあり、今後しばらくは、取材にTV、ラジオ出演にとご厄介をかけると思う。
・この本には、大島渚監督が脳出血で倒れてから、小山さんが介護うつになるなど、壮絶な病いとの戦いが描かれている。小山さんが書いた全四章の本文が感動的で、僕は何回も読み返した。ちなみに僕は、大島監督と同じ年に脳出血で倒れて入院し、右半身不随になった。畏れ多くも同病の戦友のつもりだ(僕はその後、もう一度脳出血を起こし、左右の脳を損傷している)。
・また、小山さんと瀬戸内寂聴さんとの対談も掲載している。京都の“寂庵”で収録されたものだが、小山さんを理解している格好のお相手。お互い理解し合い、尊敬し合っているのが、文脈から感じ取れる。寂聴さんにはこの本への推薦文を寄せてもらったが、「病夫 大島渚さんへの無償の愛と献身こそ、小山明子さんの美と若さの妙薬であった!」と絶賛しておられる。
・2010年10月30日、小山明子・大島渚夫妻は、近親者・お身内の方々に見守られて金婚式を挙げられた。本にそのことが予定調和のように「あとがきにかえて――二人の金婚式」で書かれているが、実際の刊行はその直前になった。金婚式の模様を小山さんが持参した何枚もの写真とテレビ番組(フジテレビ「スーパーニュース」)で僕は拝見した。その時の素晴らしい演出が忘れられない。お二人が「有楽町で逢いましょう」をデュエットされたのである。そこに僕は、夫婦の強い絆を見ていた。深い信頼関係が伝わってきた。僕は涙なくして見ていられなかった。
・この本には、『親子鼎談 大島家のこれまで、これから」(小山明子さん、長男・大島武さん、次男・大島新さん)も所収されている。その中で、大島武さんが「お父さんが倒れてから一五年だけど、よく頑張っているよね。しかも、これ以上ないほど楽しそうに日々を過ごしているのだから、頭が下がります」とおっしゃっている。愛息からもこんな評価をされる小山さんの献身ぶり。これだけ寄り添って介護される大島監督はつくづく幸せ者である。
わが社で、小山明子さんを囲んで、秋篠貴子と僕。背景に月刊『清流』のカバー。