2011.01.17『硫黄島を生き延びて』の著者・秋草鶴次さん

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かつて洋上大学でご一緒した時の一枚(前列中央が秋草鶴次さん)

・秋草鶴次さんの『十七歳の硫黄島』(平成18年、文春文庫刊)を読んだときは、僕自身、大変な衝撃を受けた。足利市の農家の長男として生まれ、十七歳の時、あらかじめ玉砕を運命づけられた硫黄島に海軍通信兵として配属された。十分な飲み水も食べ物もない極限状態を生き延びなければいけない。一番安心できる食べ物は、なんと自分の体に湧いたウジだったという。非情で過酷な状況に耐え、そして生き抜いた方であり、いかなる人物なのかと興味を抱いたものだ。

・その秋草鶴次さんと、平成十九年五月、洋上大学でお会いできることになった。二万三千トンを超える豪華客船“ふじ丸”での九泊十日の旅である。是非、お会いできたら、わが社で続編をお願いしようと思っていた。当時、『十七歳の硫黄島』は常にベストセラー上位にランキングされていた。この洋上大学は「根っこの会」の加藤日出男会長が、ほぼ毎年のように続けてきたもので、硫黄島沖、グアム島、サイパン島を巡る慰霊を兼ねた船旅である。ご一緒することになった二〇〇七(平成十九)年は、洋上大学三十九回目に当たった。加藤会長はこの回のゲストとして秋草さんご夫妻を招待したのである。洋上大学は参加総勢四百名を二十人ずつ班分けし、グループ行動を共にしたが、運よく我々は秋草さんと同じ班であった。

・そもそも僕がこの洋上大学に参加しようと思ったきっかけは、加藤会長の『生涯青春』という本を弊社から刊行させていただいたご縁からであった。八十歳を目前にしながら、正に生涯青春を地でゆくような会長の若々しさに感心させられたこともある。それに船内でサイン会をして本の販促に一役買ってくれるというのである。そんな経緯で編集担当した出版部の臼井雅観君、出版部顧問の斎藤勝義氏と三人で参加したのである。

・秋草鶴次さんは、復員後に、戦争体験を原稿用紙1000枚以上にわたって秘かに綴るも、ご両親にはその悲惨さを知らせたくないと、生前中は一切見せず大切に保管されてきた。二〇〇六(平成十八)年夏、NHKが放送した『硫黄島玉砕戦 生還者61年目の証言』で取材に応じるまで、秋草さんをはじめ多くの元帰還兵は、硫黄島での惨状に一切口を開かず、沈黙を守ってきた。また、二〇〇八(平成二十)年九月、在日米軍の計らいで硫黄島を訪問した秋草さんが、六十三年ぶりに地下壕の入口の前に立って「ここに戦友がいるんだ」と嗚咽した。どれもこれも沈黙を破り、戦争を語ることは、戦争を生き抜いた人にとって、もう一つの闘いだったのだと思い知らされた。

・今回の『硫黄島を生き延びて』の「あとがき」に、「正しい戦争、聖戦などといえるものが本当にあるのだろうか。私には信じられない。あの戦争はなんだったのか? 南方等の戦場で失われた300万を超す命は、この世の平和の柱となって現世を支えている。その散華によって、現世に平和の尊さを教えている。我々は平和を託されている、と私は理解する」という文章がある。この文章から秋草さんの平和を願う気持ちがひしひしと伝わってくる。

・YouTubeでも秋草さんの硫黄島訪問と発言をご覧になることができる。これは在日米陸軍チャンネルで作られたものだが、「YouTube-010.IwoJima 1硫黄島の戦闘の経験 1、2、3」をクリックすると見ることができる。肉声に触れたい人は是非、こちらも視聴されてはいかがだろうか。


大いに語る秋草鶴次さん。84歳には見えず。