2011.03.28東北・関東大震災とダンテの『神曲』
天変地異・驚天動地・茫然自失・阿鼻叫喚、暗中模索……「しばし、言葉もなし」
・この度、東北・関東を襲った超巨大地震(マグニチュード9・0)は、死者・行方不明者数が3万人に迫ろうかという日本の歴史上未曾有の大災害を引き起こした。被害があまりに広範囲に及んでおり、今もって細目が分からない状況にある。惨禍……地震、津波、放射能汚染(原発問題は人災の部分が大きいと思う)のすさまじさに茫然自失の態である。まさに言語を絶する「人間としての存在」を脅かされる事態に陥った。
・衣食住すべてを失って避難所生活を強いられている人、さらに追い打ちをかけるように原発事故による放射能汚染で避難した人がいる。20数万人ともいわれる避難所生活者が援助を待つ。ライフラインの復旧も遅々としたもので、ほとんど寸断されたままだ。道路、鉄道、港湾などインフラ整備も急がねばならない。一体、いつになったら、平穏な日々が戻ってくるのか。まったく見通しが立っていない。かといって手をこまねいていては、何も進まない。まず人命救助、次に復興、それに原発の放射能汚染除去。われわれも被災地の方々の少しでもお役に立てるよう、各人ができるところからボランティア活動に立ち上がりたい。焦眉の急として、すべからく日本人は、今こそ天変地異と現実社会の混乱を超克しなければならない。
・この非常事態にあたり、思い出すことがある。イタリアの詩人・哲学者・政治家、ダンテ・アリギエーリ(1265年から1321年)の地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から成る叙事詩『神曲』(Divina Commedia)のことだ。「神聖喜劇」という原題が付けられている。地獄篇第3歌に登場する地獄への入口の門が人口に膾炙されたので、ご存じの方もおられると思う。
「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」を含む銘文で、印象的である。
・僕が高校2年生の時のことだが、国語副読本担任の石丸久先生にイタリア語(トスカーナ方言)で冒頭の行を暗記するようにという宿題を出された。昔のことだが、今でも冒頭部分を覚えている。石丸先生の訳だと、確か「ここ過ぎて憂いの市に入る」とお訳しになった。高校生に分かりやすく訳してくれたのだと思う。
「ペル メ シ ヴァ ネ ラ シタ ドレンテ、 ペル メ シ
ヴァ ネ レターノ ドロレ……」
以下、真意が分からないままに、イタリア語で覚えさせられた。それが今回の大震災に際し、わが頭に浮かんで、離れない。『神曲』地獄篇は、作者にして主人公のダンテが古代ローマの詩人ウェルギリウスに導かれて、地獄を巡るという内容である。
・今、関心がないと言われればそれまでだが、冒頭部分を、山川丙三郎さんの邦訳でご紹介したい。
Per me si va ne la città dolente
per me si va ne l'etterno dolore
la somma sapïenza e 'l primo amore.
Dinanzi a me non fuor cose create
se non etternee io etterno duro.
Lasciate ogne speranzavoi ch'intrate'
我を過ぐれば憂ひの都あり、
我を過ぐれば永遠《とこしへ》の苦患《なやみ》あり、
我を過ぐれば滅亡《ほろび》の民あり
義は尊きわが造り主《ぬし》を動かし、
聖なる威力《ちから》、比類《たぐひ》なき智慧、
第一の愛、我を造れり
永遠《とこしへ》の物のほか、物として我よりさきに
造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、
汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ
・ダンテが偉大な人物であることは論を待たないが、『神曲』を読み直して、勇気づけられることがある。ダンテが人間の底力を信じていたからだ。『神曲』の構成は、地獄篇、煉獄篇、天国篇の三部構成。最後に『神聖喜劇』というタイトルがしっくりと腑に落ちる構成になっている。ダンテを地獄界に導いたウェルギリウス、その後、煉獄界の頂上にベアトリーチェ(ダンテが幼少のころ出会い、心惹かれた少女)が現れダンテを迎える。永遠の処女ベアトリーチェの導きで天界へと昇天し、各遊星の天を巡って至高の天へと昇りつめる。最上部の至高の天には、神と天使と死を超克し神とともにある歓喜を他者に伝えた至高の聖者の魂だけが住む「秘奥のバラ」(天上の薔薇)がある。ここに集い、ダンテは永遠なる存在を前にして刹那、「見神の域」に達する。ここで見事に『神曲』(『神聖喜劇』)は終わる。
・イタリアの文学がわが国の地震・津波・放射能汚染とどうつながるのかと思われる方々には、もう少し聞いてほしい。わが宮澤賢治のことについて触れたい。かつて僕が東北旅行をした時、このホームページでも紹介した(2008年5月)が、花巻市の宮澤賢治記念館を訪れた。そして、宮澤賢治と天変地異は深いつながりがあったことが印象に残っている。宮澤賢治が生まれた明治29年には三陸沖で地震(死者2万2000名)があり、その後に起きた津波で大被害が出た。さらに2カ月後には陸羽地震があり、岩手は大打撃を受けている。これに限らず東北地方は冷害や凶作で大変な時代が続いている。また、宮澤賢治が亡くなる直前の昭和8年3月に、再び三陸沖で地震があり、津波の被害を被った。誕生の年と最期の年に大きな災害があったことは、天候と気温や災害を憂慮した賢治の生涯と何らかの暗合を感ずると実弟・宮澤清六氏は指摘していらっしゃる。
・歴史を振り返れば、1142年前、東北地方太平洋沿岸部に「貞観(じょうかん)地震・津波(869年7月13日)」が起こっている。その時はマグニチュード8.3から8.6で、死者約1000名だった。多分、人口密度から見て現在の10000人から30000人の死者と見てよい打撃を被った。「千年一瞬耳」――千年の時も一瞬に過ぎないとのフレーズが出てくる。その時は地震と津波の天変地異だったが、今回は原発の放射性禍が加わる惨状。いわば今回は天災と人災のダブルパンチ。「自然の破壊力」のすさまじさの前に「文明文化の力」が脆くも崩れ果てた。
・今後、日本人全員で長い「復興の道」を歩まなければいけない。関東大震災復興時の後藤新平のような働きと柔軟かつ斬新的アイデアがほしい。今、残念なことに政治家たちの指導力が期待できない。我々一般の日本人の底力を発揮するしかない。それぞれが自分のライフスタイル、習慣の見直しをすることから始めたい。身近でできることを集積し、日本の奇蹟力を世界中に証明したい。例えば、卑近なところで言えば、『早寝、早起き』の生活を送って、電力需要を少なくし、省エネに努める。そんな小さな習慣を集積し、大きなうねりと化して、我々のライフスタイルを改めていきたい。さあ、みなさん、共に頑張っていきましょう!
●ダンテの『神曲』(ディヴィナ・コメーディア)を読み直そう。