2011.08.19飯島晶子さん
飯島晶子さんのご招待でコンサート『未来への伝言』を観る。左から飯島晶子さん、谷川賢作さん、杵屋巳太郎さん、おおたか静流さん。(写真提供:VoiceK)
・今回は、二つのことを書きたい。一つは飯島晶子さんの「未来への伝言」と題した朗読&コンサートのこと、もう一つは小池邦夫さんと俳優の緒形拳さんの25年間の絵手紙交流を中心にした交流展についてである。二つのイベントの背景に脈打っているのは、東日本大震災の復興支援への思いであり、ともにしみじみと感激したからである。
・まず、声優・朗読家の飯島晶子さん(写真をご覧になる方は、このホームページ2006年1月号を参照)からである。飯島さんとは、弊社から初の著書『声を出せば脳はルンルン』を刊行して以来、お付き合いが続いている。この本にはCDがついていて、早口言葉や有名な詩、歌詞、小説の一節、さらには般若心経まで、録音されている。脳の活性化には恰好の教材であり、僕も脳出血のリハビリの一環として大いに利用させていただいた優れものだ。
・その飯島さんは、年齢が五十代でお孫さんもいらっしゃるのだが、どう見ても四十代にしか見えない、若々しく美しい方なのだ。去る2011年7月22日、朝日新聞の「55プラス 孫と楽しく1」欄に飯島さんが登場されていた。飯島さんは、仕事を持つ娘さんを「支えたい」と、孫の花音(かのん)ちゃんの面倒を見ておられる。そして、お孫さんから「あーちゃん!」と呼ばれているそうだ。「若くて美しい方=飯島晶子さん」の印象は、孫がいようといまいと僕には変わらない。この新聞記事が出た一週間後、「未来への伝言」のコンサートがあったのだ。招待された僕は妻と勇躍出かけた。
・このコンサートには過去二回、招かれている。今回の会場は、豊島区西池袋の自由学園明日館であった。あの帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの傑作で、重要文化財指定の建物である。僕は結婚するまで豊島区の住民だったが、まだここを訪れる機会がなかった。だからぜひ行きたいと思っていた。この建物の設計を依頼した羽仁吉一・もと子夫妻の深い見識が感じられる。すぐ近くには、お二人が創業された(株)婦人之友社もある。僕は木の温もりが感じられる会場の落ち着いた佇まいに痺れた。暖炉がしつらえられてあり、クリスマスのイベントでは、ここで薪が燃やされるという。パチパチと赤く燃える焚き木は、きっと人の心を解きほぐし、温めてくれるに違いない。
・コンサートの名称は、「未来への伝言 ひとり ひとり…ひとりじゃない」だったが、今年はその前に「東日本大震災復興支援チャリティーコンサート」の名称が付いていた。コンサートは素晴らしいの一言であった。舞台に登場した皆さんが実にいきいきと躍動していた。僕は、このコンサートを、一昨年(会場は東京ウイメンズプラザホール)、昨年(会場は文京シビックセンター小ホール)と観ているが、今年は大震災復興支援をストレートに、真剣に打ち出すことで例年以上に盛り上がった舞台の印象をもった。
・出演者をご紹介したい(敬称略)。
杵屋巳太郎(三味線・人間国宝)、谷川賢作(ピアノ、作・編曲)、おおたか静流(ヴォーカル)、飯島晶子(朗読)、ZEROキッズ(合唱)、クラーク記念国際高等学校の学生さん約80名(パフォーマンスコース)といった方々だ。
最初のプログラムでは谷川俊太郎の詩がうたわれた。
ひとりひとり違う目と鼻と口をもち
ひとりひとり同じ青空を見上げる
ひとりひとり違う顔と名前を持ち(略)…
ひとりひとりどんなに違っていても
ひとりひとりふるさとは同じこの地球…
全員が、この詩を一節、一節読んだ。やはり谷川俊太郎の詩はよい。
・次に、おおしばよしこ作 じょうたろう構成の『みえないばくだん』がうたわれた。
むかし、せんそうがありました。
そらにひこうきがたくさんとんできて
ばくだんをおとしたり、
おとされたりしました。(略)
…えらいひとたちがべんりになるものをつくりました。
…(略)…あるひとがいいました。
「たしかにべんりになるけども、
これは『ばくだんになるもの』じゃないの?」(略)
・飯島さんの『みえないばくだん』の朗読に、三味線、ピアノ、ヴォーカルがかぶさる。おおたか静流の津波を表現した発声は、その迫真性に思わずぞくぞくと寒気を覚えた。この谷川俊太郎の詩と『みえないばくだん』の二曲を聴けば、コンサートの意図がはっきり分かる仕掛けになっている。それほどに、日本は現在、危機的状況に置かれている。未だ出口の見えない原発問題が、国民一人ひとりの上に重くのしかかっていることを再認識させられた。
・次は、谷川俊太郎作詞、杵屋巳太郎作曲『五つのエピグラム』より、『原爆を裁く』『五月の人ごみ』がうたわれた。三味線(杵屋巳太郎、杵屋長之助)、ピアノ(谷川賢作)、歌(おおたか静流+クラーク記念国際高等学校の生徒さん)の総メンバーで、中身が濃いメッセージだった。
・『原爆を裁く』は、長らく(約四十年間)放送・発表禁止にされてきた楽曲であるとのこと。ピアノ(谷川賢作)と三味線(杵屋巳太郎)の即興演奏が、胸に突き刺さってくる。そして、田村依里奈作詞作曲 クラークオリジナルソングの『ずっと忘れない ずっと頑張るよ』がうたわれた。僕も「東日本大震災」になぞらえて、こういうしかないと思った。これで第一部が終わった。
・第二部も充実した内容で、心にジーンと来た。朗読あり、歌あり、三味線あり、ピアノあり、パフォーマンスあり、で素晴らしい内容だった。来年は、清流出版の社員一同と一緒に来たいものだと思った。
・内容にも少し触れておきたい。おおたか静流がうたう『三月の歌』(谷川俊太郎作詞 武満徹作曲)、『明日ハ晴ハレカナ曇リカナ』(武満徹作詞・作曲)、『ピリカチカッポ』(知里幸恵作詞 おおたか静流作詞・作曲)が、何とも不思議な世界へと誘い込む。静流さんの声は、七色に変化するのだ。
『ピリカチカッポ』は、NHK教育テレビの「にほんごであそぼ」で3年前、『銀の滴―ピリカチカッポ』が放映されて、幼児たちに人気となった。アイヌ語で「シマフクロウ」を表し、僕の感じでは老若男女問わずアピールする歌である。
その後、『谷川賢作ピアノの世界』、『杵屋巳太郎三味線の世界』、『寶玉義彦(南相馬から)』と続いた。寶玉義彦は、若い詩人であり、普段は南相馬市でパッションフルーツを作っている方だそうだ。被災地の生の声を初めて聴いた。
・あと忘れていけないのは「被爆ピアノ」の存在である。原爆で跡形もなくなった広島で奇跡的に生き残ったピアノが、調律師・矢川光則によってよみがえり、コンサート活動を続けている。終始、谷川賢作のピアノ演奏がしっかりと音を出している。この被爆ピアノは、2010年9月11日にはアメリカ・ニューヨークに渡り、「被爆ピアノ」を奏でて平和を願ったという。2001年の米同時多発テロの犠牲者を追悼するコンサートを開催したことでも有名になった。
・その後、飯島晶子さんが『子どもたちの遺言』(谷川俊太郎作 ピアノ・谷川賢作)を朗読し、いよいよ最後の番組『祈り』(佐々木香作詞 谷川賢作作曲 ZEROキッズ+クラーク記念国際高等学校)へと続く。約90名の出演者が、演出(飯田輝雄)の素晴らしさもあり、一段と充実しているように感じた。
優れたコンサートで、感動、感激した。
・東北の人々の底力を感じ、ともに未来を信じ、心を込めて、うたい、語りたい 復興支援オリジナル作品を! こども・大人ジャンルを超えての合唱「祈り」を!――と、プログラムにあるように、そして、ひとりひとり… ひとりじゃないとのメッセージを僕なりにきちんと受け止めた。飯島晶子さん、ありがとう!
・蛇足だが、飯島晶子さんの朗読の会が9月25日(日)、東京・神楽坂の矢来能楽堂(12時30分開場、13時開演)で行われる。物語と能。二つの源氏物語が楽しめる。
『源氏物語』の「葵・賢木」より飯島さんが現代語訳を朗読する。その後、仕舞「半蔀」「葵上」、能「野宮」を演じる。「野宮」でシテ(六条御息所)を観世流の遠藤喜久、ワキ(旅僧)を下掛宝生流(シモホウ)の工藤和哉が務める。その工藤和哉は僕より四歳下で、学生時代から一緒に謡をよくやったものだ。現在は職分として、一段と芸域が向上した。
全員で盛り上がって、最高の舞台が繰り広げられた。被災地の方々にも観てもらいたいと思った。(写真提供:VoiceK)