2012.05.21『オペラの館がお待ちかね』の本が完成!
著者・室田尚子さん(左から2番目)を囲んで、デザイナーの臺毅一郎さん(左)、編集の助っ人・青柳亮さん(右から2番目)、弊社社長の藤木健太郎君(右)。
・室田尚子さんの新刊本『オペラの館がお待ちかね』(5月28日発売 弊社刊 定価1890円)の見本を前に、僕は思わず「待ってました!」と叫んでしまった。帯文に「あなた様を、お待ちしておりました」とあったのに呼応した反応だ。僕は約六年にわたり、室田さんの本の出来上がりを待っていた。本欄でも過去2回(2006年6月、2010年3月)、室田さんのことを書いている。その時は企画会議で、いずれも編集工房「ラグタイム」の青柳亮さんが同席していた。会うたびに室田さんの着想、アイデアの斬新さに感心させられた。一日も早く刊行したいと願ったが、その後、室田さんの身辺に思わぬ変化が訪れた。結婚、出産、そして3.11後の体調不良等が重なって、完成がのびのびになっていたのだ。その間、NHKBS3チャンネルでしばしば、室田さんが司会をされたり、コメントするオペラ番組などを、一ファンとして僕は観ていた。やっと弊社から室田さんの本が出る! なんとうれしいことだろう。オペラファンのみならず、初めてオペラを観るという方、いやオペラなんて観たくもないという方にも、断固、お薦めしたい本である。
・まず、本の構成がユニークでなんとも素晴らしい。目次から見てみよう。本文は『応接室』から始まるが、この応接室では「オペラ劇場の楽しみ方」を紹介している。例えば、切符を買うには? いい席は、どこ? どんな服装で、誰と行くのか? 開演前に予習は必要か? ホワイエ(劇場のロビー)の楽しみ方は? オペラグラスの使い方は? 急にトイレに行きたくなったら? 聴きどころ、見どころは? 拍手!ブラヴォー! の掛け声はいつすればいい? 咳が止まらないが? 眠いときは? 休憩時間に何を飲む?……などなど微に入り細にわたって、さまざまな疑問への答えが用意されている。初めてオペラを観る人にとっては、すぐに役立ちそうな情報である。こうした読者に親切な構成は室田さんならではのお心遣いだろう。
・応接室の次は、オペラの楽しみ方を解説する『○○の部屋』となっている。この部屋は、オペラを洋館に見立て、イケメンの執事が次々と各部屋をご案内してゆく趣向である。「禁じられた愛」の部屋、「恐い女」の部屋、「困った男」の部屋、「結婚相談所」の部屋、「美人薄命」の部屋、「殺人事件」の部屋、「魔法使いとファンタジー」の部屋、「身代わり請負人」の部屋、「詐欺師と泥棒たち」の部屋、「子ども部屋」……の順で、名曲オペラを紹介、解説してゆく。お勉強タッチではなく、テーマパークのアトラクションを巡るように読んでもらえるはずと、室田さんも自信たっぷり。オペラが「総合芸術」=音楽、文学、美術などが一体となったパフォーマンスであることがよくわかる仕組みだ。
・もう少し具体的に部屋の紹介をしてみよう。部屋では29曲のオペラについて、時代背景、ストーリー、誕生秘話、萌えポイントまで語ってくれる。最初の「禁じられた愛」の部屋は、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』、ドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』、ヴェルディの『アイーダ』の3曲を選んでいる。まずリヒャルト・ワーグナーの曲から始まるのが面白い。だが、ここでは個々のオペラは論じない。取り急ぎ各部屋の取り上げるオペラ曲を見ていくことを優先したいからだ。この「禁じられた愛」の部屋のオペラは、伴侶以外の人を愛してしまう不倫愛、身分違いの愛、略奪愛など、およそ現実の社会ではこの手の愛にハマると破滅の道をまっしぐらとなる。どろどろした「禁じられた愛」を存分に堪能できること請け合いだ。
・次は「恐い女」の部屋が待っている。プッチーニの『トゥーランドット』、同じくプッチーニの『トスカ』、リヒャルト・シュトラウスの『サロメ』、ベルクの『ルル』の4曲である。純愛に生きる青年、男を手玉にとる悪女、可憐で純粋な少女、オペラにはさまざまな人物が登場するが、極端に嫉妬深かったり、潔癖症だったり、自己中心的だったりする「恐い女」も続々出てくる。オペラの中ではそれが実に魅力的に映る。『トゥーランドット』は「氷の姫君」の異名をもつ恐い女、オスカー・ワイルド原作『サロメ』にも恐い女が出てくるが、恐い中にも魅力があって惹きつけられてしまう。
・次の「困った男」の部屋は、プッチーニの『蝶々夫人』、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』、チャイコフスキーの『エフゲニー・オネーギン』の3曲。姫君を守る王子サマ、恋に一途な純情クン、包容力ある父親など、オペラに登場する男たちもさまざまだ。やっかいなのはルックス抜群でイケメンぞろい、モテモテ男たちの存在である。だからこそいいように遊ばれた挙句、人生を誤る女性も跡を絶たない。そんな「困った男」たちだが、なんだか憎めないのである。例えば、蝶々夫人は「無責任」で「困った男」のピンカートンにいいようにあしらわれる。また、カルメンが「悪女」の典型なら、ドン・ジョヴァンニは「悪い男」の見本のような男だ。
・「結婚相談所」の部屋では、ロッシーニの『セビリアの理髪師』、モーツァルトの『フィガロの結婚』、リヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』の3曲を選んでいる。結婚にこぎつけるまでの高い障壁、おなじみ結婚後の倦怠期や後悔、そして配偶者の浮気。結婚は人生の輝かしいゴールなのか、はたまた灰色の墓場なのか? そんな結婚のもつ喜び、悲しみ、苦労、幸せをオペラは存分に教えてくれる。例えば、セビリアの理髪師を観終わったあとの幸せな気分はどうだ。こんなオペラはそうたくさんあるわけではない、との室田さんの意見に大賛成! ≪フィガロ、フィガロ、フィガロ!≫と「何でも屋」の理髪師は、自分のことを人気者で引っ張りダコであると歌う。そのことを声高々に歌う歌声に、オペラを聴いている僕も幸せな気持ちでいっぱいになる。
・「美人薄命」の部屋では、ヴェルディの『椿姫』、プッチーニの『ラ・ボエーム』の2曲が取り上げられる。愛し合う恋人が不治の病に、「ああ、運命はなんて残酷!」といった悲劇はお好きではないですか? たいていの障害はなくなった現代の恋愛で、「不治の病」は唯一乗り越えられない障害である。だからこそ、病によって引き裂かれる恋の悲劇は、ドラマティックに盛り上がろうというもの。椿姫は、原題が『ラ・トラヴィアータ』で、その意味は「道を踏み外した女」だが、くわしくは本文を読んでほしい。『ラ・ボエーム』の主人公ミミも、「薄幸のヒロイン」のイメージ通りの女性である。
・物騒な「殺人事件」の部屋には、ビゼーの『カルメン』、ヴェルディの『オテロ』、ベルクの『ヴォツェック』の3曲が登場する。愛憎のもつれは、ついに殺人事件にまで発展してしまう。ストーカー行為の末、相手の女性を刺殺する。妻の浮気を疑った夫が妻を絞殺してしまう。内妻の妻を殺して自らも命を絶つ。こうした血なまぐさい事件の裏側には、人間のもつ業や愛の深さ、心の複雑さ、生きることの難しさが渦巻いている。また、カルメンの視点とホセの視点では、観方が変わってくると室田さんが書いているがまさに慧眼である。確かに視点を変えると話がガラッと動く。オテロは「ヴェルディ最高の作品」と書いているが、僕も同感なので嬉しかった。
・「魔法使いとファンタジー」の部屋にノミネートされたのは、モーツァルトの『魔笛』、ウェーバーの『魔弾の射手』、ワーグナーの『ニーベルングの指輪』四部作の3曲。現実の世界では決して起こり得ない魔法や魔術が登場するファンタジーだが、間違っても子ども騙しだなどとは言わないでほしい。確かに浮世離れはしているが、人間の心理描写やドラマは変化に富み、大人の鑑賞にも耐えられる。時には「夢と魔法」の世界に遊んでみることをお薦めしたい。『魔笛』もよいが、『ニーベルングの指輪』四部作が素晴らしい。
・「身代わり請負人」の部屋は、モーツァルトの『コシ・ファン・トゥッテ』、ヨハン・シュトラウス二世の『こうもり』、レハールの『メリー・ウィドウ』の3曲。「誰かと誰かが入れ替わってしまう」という仕掛けは、いつも、話を複雑化し面白くしてくれる。観ている側は誰と誰が入れ替わったのかを知っている。だが、登場人物同士はわかっていないので、みんな右往左往して大混乱に陥る。見事この混乱が終息するかどうかは、オペラをご覧になってのお楽しみ。ヨハン・シュトラウス二世の『こうもり』は、何回観ても面白い。オペレッタの傑作で、ウィーンらしいおシャレな曲だと思う。
・ドニゼッティの『愛の妙薬』、オッフェンバックの『ホフマン物語』、ヴァイルの『三文オペラ』とくれば、「詐欺師と泥棒たち」の部屋である。人の心の隙間に忍び込み、言葉巧みに操って利益をまんまとせしめる詐欺師たち。騙すほうが悪いのか、騙されるほうが悪いのか。そして、他人様の懐からちょっとしたお金や宝石等を盗み取る泥棒たち。オペラに出てくるこうした悪人たちだがどこかマヌケで憎めない。彼らの所業をたっぷりとご覧いただきたい。ドニゼッティは、僕も好きな作曲家で、『愛の妙薬』のほか『アンナ・ボレーナ』、『ランメルモールのルチア』、『連隊の娘』、『ドン・パスクワーレ』等をよく聴く。また、映画『フィフス・エレメント』(ブルース・ウィルス、ミラ・ジョヴォヴィッチ主演)の中に、なんと歌劇『ランメルモールのルチア』のアリア「愛のささやき」が使われている。オペラも映画も大好きな僕は、このコラボに狂喜したものである!
・最後は「子ども部屋」。ラヴェルの『子どもと魔法』、フンパーディンクの『ヘンゼルとグレーテル』の2曲が選ばれた。多分、室田さんがお子さんと一緒に観に行くつもりで最後に選んだものだと思う。ヨーロッパでは、子ども連れでオペラハウスを訪れる姿が見られるが、日本でも小さい頃からオペラに親しんでおけば、もっと「オペラ好き」の大人が増えるのではないでしょうか――室田さんの切なる気持ちがあらわれた文章である。『○○の部屋』では、以上全部合わせて29曲が解説、紹介される。
・この本は、『応接室』、『○○の部屋』の次に、『キッチン』が付いている。歌劇場で、われわれが音楽とドラマが一体となった華やかなオペラの舞台を観ながら、泣いたり笑ったりする。だが、その舞台は目に見えない大勢の人たちの力と、膨大な時間が、その準備のために費やされている。オペラという素晴らしい料理がつくられる『キッチン』を見てほしいとの気持ちから室田さんが用意したページである。≪オペラの舞台ができるまで≫とサブタイトルにあるように、オペラの企画から立ち稽古開始まで、立ち稽古から本番まで、いよいよ本番、オペラが成功するためには、という流れで舞台裏を詳しく解説してくれる。個性豊かな歌手、指揮者、演出家、スタッフたちが一体となって創る舞台で、まさに総合芸術だと頷けると思う。最後に二つのコラムがある。「質の高い歌手たちの集団がつくりあげる世界的なオペラ――東京二期会」、「新演出のもとで海外からの本場のスターたちが競う――新国立劇場」。この一冊で、満足感がいっぱいになることを保障したい。
・全編を通じて室田尚子さんの文の巧みさが目につく。オペラの面倒な解説ではなく、およそジャンルを超えて、上質のエッセイ並みの読後感を味わえる。僕の下手な推薦文を読むより、だまされたつもりで本を買って読んでほしい。また、カバーから見返し、本文に至るまで、ユニークなイラストを描いてくれた桃雪琴梨さんに拍手! と同時にブックデザインを担当してくれたフェアリーダスト・オフィス(株)の臺(だい)毅一郎さん、編集の助っ人・青柳亮さんも、ご苦労様でした。
・僕が初めてオペラを本格的に聴いたのは、高校一年生の時だ。家のNHKFMから流れてきた曲がなぜか気に入って、それ以来、オペラのファンになった。その時聴いたのがペルゴレージのオペラ『奥様女中』(1733年作曲)だった。テープレコーダーに録音して、何回も何回も聴いた。その後、大学一年生の時、九段会館で二期会が公演した『奥様女中』の初演を観た。当然のことだが、ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710―1736)の『スターバト・マーテル』も大好きな曲になった。惜しくもペルゴレージは26歳で夭折。さすがに編集工房「ラグタイム」の青柳亮さんはこの『奥様女中』のことを知っておられた。僕は、女中セルピーナ(ソプラノ)が、金持ちの老人ウベルト(バリトン)を「怒っちゃだーめよ、自惚れちゃだーめね」と茶化す歌詞がいたく気に入った。高校生の頃、『奥様女中』のメロディーを口笛で吹きながら歩いたことが懐かしく想い出される。
・僕は「ワグネリアン」ではないが、過去、何回か行った欧米旅行の際、主にワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』、『さまよえるオランダ人』、『ローエングリン』、『タンホイザー』、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のオペラにせっせと通いつめた。実はある方と偶然会えるチャンスを期待しての劇場通いであった。その人は、江戸時代末期(文久二年)創業の元祖佃煮の老舗、日本橋鮒佐の御曹司・大野さん(名前は忘れた)である。ワーグナーに関する薀蓄で並び立つ人はいなかった。日本橋のお宅を訪ね、素晴らしいステレオ装置と貴重なレアものレコードやワーグナーの話を聞かせてもらった。大野さんはちょうど僕と同い年で、慶應義塾大学で政治学を学び、ドイツに留学(多分『独ソ外交交渉史』だと記憶)し、毎年バイロイト音楽祭の全日程を観続けた方である。独英仏その他の国々のワグネリアンと付き合っていて、その交際範囲の広さにびっくりしたことを覚えている。後日、私は『藝術新潮』の山崎編集長に大野さんを推薦した。山崎さんは「バイロイト祭の近年事情」を書いてほしいと依頼したと記憶している。今から約45年も前のことなので、間違っていたら許してほしい。その後、大野さんは老舗の佃煮店を継がないで、アメリカへ渡って、モード雑誌(『VOGUE』かな?)のカメラマンになったと風の便りで聞いた。大野さんを思い出したのも何かのご縁。あの懐かしい方に会うことができれば、この上ない幸せである。どなたか大野さんの消息をご存じの方はいませんか? いらしたら、是非、ご連絡を乞う。
・最後に著者・室田尚子さんのプロフィールを述べておこう。1988年、東京藝術大学音楽学部楽理科卒業。1991年、同大学大学院音楽研究科音楽学修士課程修了。早稲田大学・武蔵野音楽大学各講師。東京新聞や日本経済新聞、雑誌『音楽現代』等で演奏会評・音楽時評を手掛けてきた。また読売日本交響楽団の定期演奏会「名曲シリーズ」や読響『Orchestra』、『二期会通信』などをはじめとする演奏会の曲目解説を行ない、音楽評論家・ライターとして活躍している。特にドイツの音楽キャバレーにおける音楽文化、ヴィジュアル・ロックや少女マンガ、とくに「やおい」など、「ネット・コミュニケーション」、「大衆文化」、「オタク文化」をキーワードに、より幅広いフィールドで執筆活動を展開されている。NHKFM「クラシック・サロン」、「クラシック・リクエスト」、衛星PCM放送ミュージックバード「Naokoのクラシック・ダイアリー」のパーソナリティを務めるなど、ラジオ放送でのクラシック音楽紹介にも力を入れておられる。著書には『チャット恋愛学――ネットは人格を変える?』(PHP新書刊)、他に共著が『クラ女のショパン』、『ショパンおもしろ雑学事典』など10冊ほどある。
これは素晴らしくいい本だから、買って、見てね!