2012.09.18マイケル・レドモンドさん、他
●マイケル・レドモンドさん
日本語の上手さと囲碁九段の実力で注目されている
・一冊の本が翻訳出版されるまでには様々なドラマがある。すんなり翻訳出版に至ることなどほとんどない。むしろ希有なことだ。通常、企画段階からアドバンスを払ってゴーを出すまで、「やめようか」、「否、やろうか」と迷いに迷う。社員一同、翻訳ものの原価率が高いことをよく知っている。アドバンスを払って版権を取った後も、翻訳印税、監修料、校閲・校正料、デザイン・レイアウト、装幀料、写真代、印刷・用紙代……ここまでは本を作るのに欠かせない経費だ。本が出来あがれば出来あがったで、取次各社への配本部数のお願い、宣伝販促費、書店対策費等々……が待っている。こうした難問を乗り越えて、一冊の本が世に出るわけである。その際、まず定価を決めてから諸々の費用を弾く方法と、全費用を弾いて最終的に定価を決める方法がある。同じようだが、答えは全然ちがう結果となることの方が多い。ここに、弊社で多分うまくいった部類に入る翻訳ものがある。囲碁の翻訳本である。
・翻訳出版する場合、どんな企画提案であろうと、弊社の海外版権担当者を抜きにしては語れない。その任に当たるのが、出版部顧問の斉藤勝義さん(元ダイヤモンド社出身)である。斉藤さんはほぼ毎週1回、出社してくる。持病である糖尿病の透析をしながらだから大変である。でも、出社した日は皆さんと一緒に昼食を摂る。そして海外出版物でゴーサインが出ているものがあれば、出版契約書をチェックし、よければ代表者の署名捺印をしてもらい海外版権代理店に返送手続きをする。御年七十七歳のベテランだから余裕がある。いままでに斉藤さんは、ピーター・F・ドラッカーやダニエル・ベル、アイアコッカ、ケネス・ブランチャード、マイケル・E・ポーターをはじめ、数々の欧米の著者や出版社と版権交渉をした強者。「ダイヤモンド社に斉藤あり」と世界に名を轟かせた男である。
・その斉藤勝義さん、欧米出版社だけでなく、近年は中国語も独学で学び始めて、幅広く仕事にも使っている。その結果、良い本を中国から見つけてきてくれた。『黄龍士(ファンロンシー)――中国古碁・最強棋士対局集』(定価3990円〈税込〉 328ページ A5判 上製)がそれ。囲碁ファンだったら、垂涎の本である。とはいうものの、探した斉藤さん自身、囲碁はやらない。弊社で囲碁を打つ人は藤木君と僕しかいない。いったいどこからこのような囲碁の本を見つけてきて、翻訳したいと思ったのか、その秘密を明かしてもらおう。
・数年前、斉藤勝義さんは、僕にいかにも聡明そうな中国人女性を紹介してくれた。今にして思えば、それが発端だった。その方は石岩(シ・ヤン)さんといった。名刺の肩書には、北京東方之友科技術展有限公司の代表とある。彼女は1980年代初期に留学生として国費で来日、東京大学大学院工学系研究科で学んだ俊才であった。その時、同じ留学生仲間だったご主人も、東京大学大学院工学系研究科を卒業し、今は中国の海南大学学長に就かれている。お二人とも現在、中国では要職にある。
・石さんの実妹は、石莉萍(シ・リーピン)さんという。彼女もまた日本の東京学芸大学大学院教育学研究科に留学し、1994年に卒業している。妹さんは、そのまま日本に住み続け、日本人と結婚された。そして、姉の経営する会社の日本支社(オーフレンズ株式会社)のマネジメントをしながら、中国語講師を務めていた。中国語を学ぼうとしていた斉藤勝義さんが、その石さんと知り合ったのは偶然であった。場所は東京の久留米市の公会堂。毎週、中国語のレッスンが開催される。久留米市在住の斎藤さんが、このレッスンに通い始める。斉藤さんの中国語は極めて実践的で、われわれと神田神保町界隈の中華料理店に入ると、中国語を連発する。習うより慣れろ、の人なのだ。ニーハオの次に「ビン・スゥイ」(氷水)を頼み、しばらく中国人の店員さんと中国語会話を楽しんでいる。われわれは、言葉の意味が分からないので、羨ましい限りだ。
・斉藤さんと石(シ)姉妹とは、次のような会話があったらしい。斉藤さんが中国の出版物で何か日本人向きの本、翻訳可能な本はないかと切り出した。そこで、お姉さんの石さんが薦めたのが、『黄龍士――中国古碁・最強棋士対局集』であった。「今、中国で人気の本だし、囲碁だったら日本人も関心が高いでしょう」。囲碁を知らない斉藤さんだったが、気をそそられた。珍しい古い棋譜を記した本で、石さんの出版社から、2007年に復刻版を出している。以来、シリーズで4巻刊行し、中国では人気が高い本だという。
・今からざっと400年前、中国・清の時代に黄龍士(ファンロンシー)という大棋士がいた。その棋譜を収載したのがこの本なのである。著者は中国の棋士・薛 至誠(シュエジウジョン)で、黄龍士が対局した棋譜を丁寧に解説している。それが評判を呼んで売れているというわけだ。話を聞いて、囲碁はまったく門外漢だった斎藤さんだが、なんとなくピンとくるものがあったようだ。
・しかし、原文は中国語。翻訳するとなると大変だ。そこで登場するのが、名編集者の誉れ高き佐藤徹郎さん(通称・徹ちゃん、元ダイヤモンド社)である。彼は囲碁をこよなく愛し、力量もアマチュア六段格の実力者である。徹ちゃんはダイヤモンド社を定年退職した後、2003年11月に創刊された『知遊』(NPO法人・日医文化総研発行、年2回)というハイブローで一脈「治癒」(ちゆう)に通じる雑誌の編集人を務めている。その中で毎号、日本棋院九段のマイケル・レドモンドさんに「囲碁と読書は友だち」を連載してもらっていた。僕も毎号『知遊』が届くと、真っ先にマイケル・レドモンドさんのページを見る。そして、レドモンドさんの奥様というと、中国囲碁協会の牛仙仙(ニュー・シェンシェン)三段である。その奥様とは軽井沢で開かれた碁のセミナーで知り合ったそうだが、その姉上が棋士の牛力力(ニュー・リーリー)五段で、碁の神様の呉清源先生の秘書をしていた。この素晴らしい人脈を使わない手はない。奥様の牛仙仙さんが翻訳し、夫のレドモンドさんには監修・解説を引き受けてもらった。ここまで一気に話が進んだ。
・2008年4月からは、NHK総合テレビ日曜日の囲碁番組で講師を務めた。レドモンドさんの愛読書は、吉川英治の『三国志』、宮城谷昌光さんの一連の中国歴史小説である。壮大な歴史ものが好きで、『黄龍士――中国古碁・最強棋士対局集』についてレドモンドさんはこう書いている。≪古代中国の棋士の持つ戦闘力、計算の深さは、現代の棋士でも超え難い力がある。(中略)古代中国碁のように、好戦的な棋風で知られる韓国の棋士は、精密なヨミと鋭い踏み込みを武器に、「闘いの碁」で、世界を征した。私たちはもう一度、古代中国の「闘いの碁」を研究し直す必要がある≫と……。
・黄龍士(ファンロンシー)は、西暦で言うと1651(順治8)年の生まれ。没年は不明となっている。中国囲碁の最盛期といわれた清代に、異彩を放ったのが黄龍士である。彼は少年時代より、飛び抜けて聡明だった。囲碁を覚えて数年経ったころには、故郷の泰県には敵がいなかったというほど。弱冠18歳の時、70代の大先輩・盛大有に7番勝負を挑み、あれよあれよの連戦連勝。以下、黄龍士の強さを物語るエピソードには枚挙に暇がない。当時、なんとか互角に渡り合えたのは、重鎮といわれた周東候と徐星友だけだったという。中国の「十四聖人」に、棋士として一人だけ選ばれているが、そのことをもってしても黄龍士が特別な存在であったことは知れよう。黄龍士(ファンロンシー)の強さ、素晴らしさは本を読んでもらえば、一目瞭然である。是非、書店で手にしてもらいたい。
・余談だが、中国古碁では、黒石と白石を二つずつタスキ掛けに置き、そこから白番が第一着を打ち始める。なんと現代の囲碁とは違うのか。黒が上位者である。終局を迎える際、生きている石の集団は少ないほどハンデが軽くなる。盤上の一石の碁はハンデゼロ目、三つに分かれているときはハンデ六目、五つに切れているときはハンデ一〇目というわけだ。これを「切り賃」と呼び、実際に勝負で使われていた。石のつながりを重視する棋士には願ってもないルールだと言える。時代を経て、囲碁の持つ勝負感が変わったことを知る。
・部厚いこの囲碁本の見本が出来あがった時、マイケル・レドモンドさん、奥様の牛仙仙さん、佐藤徹郎さん、藤木健太郎君が、弊社に参集。そこで一番打つことになった。レドモンドさんと藤木君、牛仙仙さんと佐藤徹郎さんという対戦の組み合わせで(何目置いたのか不明)、各々、楽しんだそうだ。結果は、レドモンドさんと徹ちゃんが勝利した。あまりにも囲碁が楽しかったので、残念ながら写真を撮るのを忘れてしまったという。
・最後に、原書のカバー折り返しに「囲碁十訣」記載されている。ここに転載したい。これは今から1300年の昔、黄龍士が生きた時代から遡って、さらに900年も昔に、中国の賢人が創ったと言われる囲碁の教えだ。人生観にも通じる言葉だ。心して味わいたい。
「不得貪勝」―――貪(むさぼ)れば勝利を得ず
「入界宜緩」―――界に入りては宜しく緩なるべし
「攻彼顧我」―――彼を攻めるには我を顧みよ
「棄子争先」―――石を棄てて先を争え
「捨小就大」―――小を捨てて大に就くべし
「逢危須棄」―――危うきに逢えばすべからく棄てよ
「慎勿軽速」―――謹んで軽速なるなかれ
「動須相応」―――動かばすべからく相応すべし
「彼強自保」―――彼強ければ自ら保て
「勢孤取和」―――勢い孤なれば和を取れ
(唐代・王積薪 作)