2012.10.18三戸節雄さん
三戸節雄さんの名司会ぶりで、パネリストの先生方もハッスル。『大野耐一生誕100年記念フォーラム』は熱い議論の場になった。
・“炎のジャーナリスト”三戸節雄(78歳)さんがその健在ぶりを示し、その影響を受け、久しぶりに僕も燃えた。三戸さんはトヨタ生産方式の生みの親、大野耐一氏との共著で、『トヨタ生産方式』(ダイヤモンド社刊)を著している。この本は世界中で30年以上も読み継がれている経営バイブルである。三戸さんは弊社からも『日本復活の救世主 大野耐一と「トヨタ生産方式」』(2003年刊)、『大野耐一さん、「トヨタ生産方式」は21世紀も元気ですよ』(2007年刊)の2冊を刊行されている。その三戸さんが発起人の一人であり、司会進行しての『大野耐一生誕100年記念フォーラム』が開催された。時は10月15日、場所は千代田区飯田橋にあるホテルグランドパレスの「ダイヤモンドルーム」。主催は「大野耐一生誕100年記念フォーラム」実行委員会 、モノづくり日本会議/日刊工業新聞社で、テーマの総タイトルは『21世紀「ものづくり思想」の探究』とあった。三戸さんのご厚意で、僕と藤木君、臼井君の3人が招待され列席した。300人という定員だったそうだが、日刊工業新聞社のホームページを覗いてみると、定員になったので締め切りましたと社告が出ていた。実際にトヨタ生産方式を現場に導入して奮戦中の中小企業の経営者が参加者の中心。だから意気込みが違う。開催前から熱気を感じていた。
・まず三戸さんが開会の挨拶をされた。フォーラム実現に向けて、それこそ三戸さんは東奔西走されたと聞く。言葉の端々に感慨無量の思いがにじんでいたように思う。続いて、「大野耐一の思想」と題して、下川浩一氏(法政大学名誉教授)の基調講演があった。下川氏は大野耐一の神髄を三つに要約された。一つは徹底的なムダの排除、二つ目が現場主義を貫く、三つ目がプロダクトプッシュからマーケットプルへという流れ、と説明された。その後、大野耐一とトヨタ生産方式 21世紀『ものづくり思想』の探究と題して、パネル・ディスカッションが行われた。パネリストは、張 富士夫氏(トヨタ自動車株式会社会長/「モノづくり日本会議」共同議長)、門田安弘氏 (筑波大学名誉教授)、中沢孝夫氏(福井県立大学「地域経済研究所」所長/特任教授)、藤本隆宏氏(東京大学大学院経済学研究科教授/東京大学ものづくり経営研究センター長)の4人。司会は前述した通り、三戸節雄さん(経済ジャーナリスト)である。
・実は会場に入った途端、ウォールの写真に惹きつけられていた。大野耐一の写真が3点飾られていた。講演中の写真、応接間で身振り手振りを交えて熱弁をふるう写真などだ。飾られていなかったが、実はジャスト・イン・タイムの現場を案内する大野耐一の写真が多数あったのだ。この大野耐一が熱弁を振るった相手、つまり取材者は若かりし頃の三戸さんである。大野耐一が徹底的なムダの排除を追求し続けた空間こそ工場であった。背筋を真っ直ぐに伸ばして颯爽と工場を案内していた大野耐一。五感をフル動員して人間が働く生産現場をトコトン観察する姿は生き生きしていた。こうした一連の写真を実は以前見せてもらっていた。懐かしかった。もちろん、単行本に所収される前の話である。弊社の応接間で見せてもらったのも、ついこの間のような気がする。実はこの写真の撮影者こそ、今は亡きデザイナーの大御所・廣瀬郁さんである。なぜ廣瀬さんがカメラマンをしていたのか。不思議に思う方もおられよう。もともと廣瀬さんは写真が好きだった。当然、カメラにもお詳しい。すでに三戸さんと大野耐一共著の装丁デザインをしていた廣瀬さんは、大野耐一の風貌姿勢を想像するうち、どうしても直接触れてみたくなったらしい。会っておかなければ後悔するとの熱い思いが、三戸さんと同行しての、カメラマン廣瀬郁を誕生させたのである。
・1985年11月20日(水曜日)、豊田紡織本社工場で廣瀬さんがほぼ1日がかりで大野耐一を追った貴重な写真だ。撮影当時、大野耐一73歳、三戸節雄51歳、廣瀬郁48歳。この貴重な写真が出てきたからこそ、弊社の『大野耐一さん、「トヨタ生産方式」は21世紀も元気ですよ』の本が生れることになったのだ。大野耐一の勇姿とともに、トヨタ生産方式の現場が見事に写し撮られていた。廣瀬さんは大野耐一を評し「工場を見て歩くうち、大野さんが要所、要所でカメラを操ることに驚きました。問題点を頭に入れると同時に、しっかり問題箇所を写真に撮っておく。これは凄いことです」と言っていた。三戸さんがすぐにこう付け加えた。「大野さんは、改善できるところは今すぐやればいい。大きなムダを生みそうな箇所は、気配だけでも写しておいて、考える材料にする」とおっしゃっていた、と。
・廣瀬さんは僕より2歳年上であった。1960年日宣美特選以来、数々の賞を受賞してきている。日本図書設計家協会設立発起人で、同協会初代事務局長なども歴任してきた文字通り、デザイン界の大御所だった。前年の春先、喉頭がんと肺がんの手術を受けたとはいえ、お会いした2005年の12月には術後とは思えないほど元気だった。予後がよいので運動を始めていると言っていた。それにしてもプールで毎日600メートルも泳いでいるとは知らなかったが。本文設計、全体構成の最初の打ち合わせに来た廣瀬さんは、三戸さんと僕に付き合って、焼酎、日本酒、ウイスキーをちゃんぽんで飲みながら、卓抜なアイデアが溢れ出し止まることがなかった。その後も三戸さんと廣瀬さんは、ワインに珍しいチーズなど海外の手土産などを持って何度も弊社に打ち合わせをするため訪れた。体調がいいときの廣瀬さんは、陽気なお酒で実に楽しそうに飲んでいた。その廣瀬さんが、この本が出来上がった翌年の2008年8月、暑い盛りに、幽明境を異にされたのは、かえすがえすも残念だった。三戸さんも交えて、もっと談論風発する楽しい酒を飲みたかった。
・話はあらぬほうに飛んでしまったが、弊社の単行本のタイトルそのままに、大野耐一さんの「トヨタ生産方式」は、形を変えながらも21世紀に息づいている。三戸さんはいわば、「大野耐一教」の伝道師のような方である。これからも炎のジャーナリストとしてジャスト・イン・タイムの行く末を見守るとともに、この素晴らしい経営バイブルをもっともっと世界中に広めていって欲しい。
追記:このフォーラムが開催される数日前、新国立劇場でウィリアム・シュイクスピアの「リチャード三世」(翻訳:小田島雄志、演出:鵜山仁)を観た。パンフレットを見ていたら、公益財団法人新国立劇場運営財団の評議員に張 富士夫氏が入っていた。張氏が文化事業にも興味をもち、一役噛んでいる。経営者としてももちろん優秀だが、文化人としての張氏も生き生きと活動している。ものづくり(車)と人間性追究(劇)を同時に両立させた張氏、そんな懐の深さに感銘を受けた。