2012.12.20清流出版の忘年会
・衆院選挙が間近に迫り宣伝カーが騒々しい師走のある夕べ、弊社の忘年会が行なわれた。冒頭、弊社社長の藤木健太郎君が「日頃お世話になっている方々(ライター、デザイナー、イラストレーター、校正者、外部編集者、印刷会社営業マン……)などに感謝するのが、この忘年会の趣旨であるとし、本年同様、来年も宜しくお願いします」と挨拶した。次に、松原淑子出版部長が、「今日は、月刊『清流』の”村上信夫のときめきトーク”でご活躍の村上信夫(元NHKエグゼクティブアナウンサー)さんを特別ゲストとしてご招待しました」とコメントし、村上さんにご挨拶をお願いした。それを受けて村上さんは、「今年3月、NHKを退職しフリーになったが、昨夏、清流出版を訪ねて“ときめきトーク”企画を売り込みに行き、清流スタッフの面接を受け、どうやら合格をもらえた云々」と、現在の連載を引き受けるに至った経緯を話された。
・村上信夫という名は、僕には懐かしい。口髭をたくわえ“ムッシュ村上”の愛称で親しまれた料理人の村上信夫さんが頭に浮かぶのだ。東京オリンピック女子選手村の料理を取り仕切り、シェフ300人超のリーダーを務め、各国選手団のために腕を振るったことで知られる。晩年、帝国ホテルの専務取締役料理長を務めた方だ。アナウンサーの村上さんとは別人であるが、料理人の村上さんもNHKとは関係が深く、「今日の料理」の名物講師として各家庭へプロの味を広めた。バイキング方式を初めて行ったことでも有名。不思議な縁というものはあるもので、「NHKニュースおはよう日本」という番組で、アナウンサーの村上さんが、料理長の村上さんをインタビューしたこともあるという。そのアナウンサーの村上さんが、将棋番組(NHK BS2チャンネル)を担当している姿を僕は記憶している。“村上信夫のときめきトーク”の編集担当者・秋篠貴子は将棋道場に毎週通うほどの将棋ファン。今では、村上さんを将棋の師と仰いで研鑽を積み、弊社内でも1、2を争う腕前となっている。村上さんの担当編集者としては、うってつけの適任者である。
・行われた場所は神田神保町の「新世界菜館」。よく昼食などを食べに行っていた店なので、勝手はよく知っている。人気店であることから、早くから予約をしておかないと取れない。弊社も10月上旬に予約して、なんとかこの日を抑えたものである。料理は美味しかった。四種の前菜からフカヒレスープ、自家製チャーシュー、芝海老と茸の炒め料理、大黒神鳥産牡蠣の湯引き、豚腹肉捲き、太刀魚の寧波風高菜旨煮、お好みひとくち麺まで全八品、それにデザートがついている。5、6品目を食べ終わる頃には、お腹がいっぱいになり、食べきれないほどだった。お酒も、紹興酒、ビール、ワイン、日本酒、焼酎と各種取り揃えており、僕のような呑んべえにも嬉しい店である。ちなみにこの店のご主人・傅(ふう)健興さんは、ワイン通として知られており、ヴィンテージワインを貯蔵している自宅のワインセラーが雑誌に取り上げられたほど。
《12月13日発売の『週刊文春』に注目すべき記事が二つあった。一つは、“祝100万部、本誌だけが知っている阿川佐和子「聞く力」オフレコメモ”という記事。二週間前に刊行された『清流』1月号の”村上信夫のトキメキトーク”の対談相手がこの阿川佐和子さんだった。6ページの記事だったが、対談の当日、阿川さんの『聞く力』(文春新書)は50万部を超えるベストセラーと書いてある。それがこの年末には倍の100万部になった。この『清流』の対談記事で村上信夫さんも100万部達成に貢献されたと思う。いや、めでたし、めでたしである。もう一つは、『清流』の「ニュースを聞いて立ち止まり…」で活躍中の徳岡孝夫さんが“勘三郎「鏡獅子」に泣いた夜”と題して、素晴らしい文章を書いている(後日、ご本人はこの文は電話取材で起こされた記事で、自分は文壇に関係していないし、歌舞伎通ではないとしているが……)。
……鏡獅子は役者の踊りだけを見る「所作事」である。気力充実した完全無欠な演技が、客の呼吸とピタリと合う。痒いところにすっと爪を立てる。勘三郎は、そんな神業の持ち主だった。…(中略)…その夜の感想を、のちに私はこう記している。〈若い娘、若い獅子。満開の牡丹。舞う胡蝶。世の春。だが若者も、やがて老いては衰えて死んでいく。華やかさと表裏一体の悲哀。槿花一朝の夢。それを「鏡獅子」に感じたのも、その日が初めてのことだった〉(『妻の肖像』より)…(中略)…終戦直後から歌舞伎を見てきた者として、贔屓の役者を失うのは、もちろん初めての経験ではない。だが、勘三郎の早世は、あまりにも無念である。掌の宝石を、深い闇の底に落としてしまったような思いがしてならない。》……と。