2013.04.22わが恩師、小高先生を囲んで…
小高先生(前列左から二人目)を囲み、クラス会。
・小高禮子先生は、われわれが中学2年になる時、東京学藝大学を卒業して豊島区立第十中学校へ赴任し、わが2年2組のクラス担任となられた方である。その時から、すでに約60年という長い歳月が経っている。その間、クラスの仲間たちが、高校・大学進学、仕事や結婚など、さまざまな悩みごとや壁にぶつかったとき、相談相手になっていただくなど、温かい気配り、心配りをされ、大いに支えとなっていただいた。僕も小高先生から懇切丁寧な手紙をしばしば頂戴している。恐らく僕にとって、生涯で一番多く手紙をもらったのが小高先生ということになるのではないだろうか。このように長いお付き合いが続いてきたのは、なんといっても先生の人間的魅力のしからしめるところであろう。今回も、野村育弘君(後列左)の呼びかけで、先生を慕うクラスメートたちが集まった。
・特筆すべきは集まったクラスメートたちに、月刊『清流』の購読者が多いことだった。まず小高先生ご本人が、自分と恩師に贈る分と二部有料購読してくれていた。だが、残念なことに小高先生の恩師が齢101歳と高齢になったため文字が読めなくなり、この5月号をもって購読終了の手続きをされたとのこと。浅野応孝君(後列右から二人目)もご自分と知人のため、二部有料購読をしてくれている。松本邦明君(後列右から三人目)も、創刊以来、有料購読してくれているほか、『清流』創刊号の表2に帝人の企業広告を出稿してくれた。当時、松本君は帝人の広報部長だったのに甘え、僕が頼み込んだのである。心から感謝したい。ただし、これには後日談がある。
・出稿してもらった帝人の広告は、「坂田明のミジンコ観察」がテーマだった。企業広告らしからぬイメージ広告である。その後、弊社では画家・堀文子さんの対談集『堀文子 粋人に会う』(2009年11月刊)を刊行することになるのだが、追加対談のお相手に坂田明氏を指名された。そこで、ホテルグランドパレスの一室を借り、対談の運びとなった。当日は僕も同席したのだが、坂田さんがミジンコの細胞分裂やプランクトンの遊泳などの説明をすると、堀さんは身を乗り出してメモを取り、微妙な動きは図解して説明してもらうほどの入れ込みようであった。ご高齢(刊行時91歳、現在95歳)にもかかわらず、知的好奇心が旺盛で、年齢をまったく感じさせない方だった。改めて月刊『清流』は、創刊時から、堀文子さんと坂田明さんの出会いを予定調和していたのではと思った次第だ。
・小高先生は、これまでにも数回、月刊『清流』の特集企画や読者欄に登場していただいた。松原淑子編集長兼出版部長が、その間の事情をよく知っている。ある意味で、弊社の大事な協力者の一人でもある。そして、先生は体操、コーラス、絵手紙、書道、水彩画、ピアノ等と多彩な趣味の持ち主で、体操、コーラスなどは地域のリーダーをされている。一昨年、ご主人を亡くされたが、今は自宅近くの高齢者マンションで、悠々自適な生活を送っておられる。
・高齢者マンションでの生活の一端を見せていただくことが、今回のクラス会の狙いの一つでもあったわけだが、まずロビーの豪華さと広さに圧倒された。またライブラリーも充実している。ダイニングルームも高級リゾートホテルのようだった。シアター・ルーム、ビリヤード・ルーム、麻雀ルーム、アトリエ、カラオケ・ルーム、大浴場、サウナ、プール、ヘアサロン、フィットネス・ルーム、応接室、カフェ・ラウンジ、メール・ルーム、屋上庭園、駐車場、駐輪場、フロント、ロビー等、ホテル並みの共用スペースが素晴らしい。老後を十分にエンジョイされている様子が見て取れた。先生の個室も見せていただいた。ご自分の習作された水彩画が数点、壁に掛けられている。部屋は一人住まいにほどよい広さで、キッチンで自ら調理することもできる。実際、共用のレストランでの会食も良かったが、先生のお部屋で手作りしたご馳走もよかった。美味しい家庭料理を堪能させていただいた。お酒もたっぷりと供され、自ずから話も弾んだ。入居一時金、管理費、食費、健康管理費などを含め、費用はそれ相応にかかるが、このような施設に入れば、老後の快適な人生が保証されることは間違いないと感じ入った。
・この日、いろいろな話題が出たが、僕のアルツハイマー気味の短期記憶では論理が明快にならない。おまけにお酒を呑んでいて呂律がまわらない。それにもかかわらず高柳幸子さん(前列右から二人目)がした読書の話が印象に残っている。彼女が最近読んだ本では、三浦しをんの『舟を編む』が面白かったという。2012年の本屋大賞を受賞した作品だ。僕も読んだが、辞書編集部をテーマにした優れた作品だと思う。折しも、原作にした映画『舟を編む』も公開されている。主演は僕の贔屓にしている松田龍平である。原作とどこがどう違うか、ぜひ映画を観てみたいと思っている。
・僕は「魂の旋律――音を失った作曲家、佐村河内守(さむらごうち・まもる)」についてつたないながら話をした。小平晋士君(後列左から三人目)が早速、持参していたiPadを開いて、佐村河内守がどんな人物なのか検索してくれた。NHKテレビで佐村河内守が出ていた番組を見た僕は、大きなショックを受けた。ちょうど、14年前、NHKテレビが取り上げ話題となった67歳のピアニスト、フジ子・ヘミングの時のように衝撃的だった。フジ子・ヘミングも片耳がほとんど聴こえない。佐村河内守は両耳が聴こえない上、眼も不自由だという。本人曰く、耳はいつもゴーッという異音に悩ませられるとか。そんな肉体的ハンディがありながら素晴らしい作曲をする。このテレビを見て受けた感動や印象を、なんとか語ろうとしたのだが、言語障害があるため、悲しいかな伝えたいことの半分も伝わらなかった。
・それでも、彼の『交響曲第1番《HIROSHIMA》』は、別名「希望のシンフォニー」と言われ、絶望と希望と祈りを込めた80分の超大作であることを話した。ベートーヴェンを超えるほどの壮大なスケールで、CDがクラシック界では異例の10万枚突破となっている。また、曲中、「悪魔の音程」と言われる禁じ手「トリトヌス」の多用はまれであることなど、自分がさも音楽通であるかのように強調した。そのあとも、佐村河内守について思い出すまま述べたが、皆さんには迷惑だったかもしれない。上野博司君(後列右)が、うまく合いの手を入れてくれ、知ったかぶりの恥をかかずに済んだ。
・小高先生は、われわれと9歳違いだが、いつお会いしても感覚が若々しい。恐らく知的好奇心に裏打ちされた多彩な趣味、つまり壷中の天をお持ちだからこそ、ではないかと推測している。9歳年下のわれわれよりも、よほど感性がしなやかである。そのような方を先生にもって、幸せを感じられるのは稀有のことかもしれない。先生がこれからもますます壮健で、周りの方々に、幸せのおすそわけをしてほしいと願うばかりだ。