2013.11.22猪狩誠也さんと月刊『清流』を囲む会

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自由学園クラブハウスしののめ寮の方々

 

猪狩誠也さんの提案

 

11月のある晴れた金曜日、僕は東久留米市学園町にある自由学園に招かれていた。自由学園といえば、キリスト教精神に基づいた教育の実践を理想に掲げ、1921415日に開校されている。校舎は当初、東京府北豊島郡高田町(現・豊島区)にあったが、1934年、東久留米市に移転され、現在にいたっている。ここでの楽しく且つ有意義に過ごした1日を書いてみたい。招かれたメンバーは、僕のほかに、月刊『清流』編集長&出版部長の松原淑子、それに弊社外国版権担当の斉藤勝義顧問である。なぜこの3人が呼ばれたのか、不思議に思われる方もおられよう。僕の古巣であるダイヤモンド社の大先輩、東京経済大学名誉教授・猪狩誠也さんからのお誘いだったからである。付け加えれば、顧問の斉藤勝義さんも同じダイヤモンド社出版局の同僚であり、奇しくも猪狩さんと同じ東久留米市の住人だったからである。

 

・猪狩誠也さんには、大学のほかに、もう一つ肩書がある。「自由学園クラブハウスしののめ寮」の寮長という肩書がそれ。しののめ寮では、「二金会」という集まりを持っている。「二金会」では、社会から色々なことを学ぶため、外部から人を招いて話を聴いたりする。その人選を話し合ううち、メンバー数人が、月刊『清流』を話題にし、良い雑誌であると盛り上がったそうだ。猪狩さんは「その雑誌は、よく知っている人が創刊した雑誌だ。ここにゲストとして来てもらえるかどうか、話してみようか」とメンバーに図り、了承を得たのである。猪狩さんから弊社へは、こんな提案がなされた。「主にご婦人が対象だから、出版社を知らない方が多い。そんな方にもわかりやすく、清流出版という会社の出版理念について語ってほしい。また、月刊『清流』の編集コンセプトや具体的な編集作業の流れなどについても、話してくださいませんか」と。

 

・そもそもこの話がきたのは、半年前までさかのぼる。猪狩さんは、こちらの都合も慮ってじっくり時間をとってくださった。4月に最初のお電話があり、翌5月にはご本人と、「しののめ寮」幹事役のご婦人が、打ち合わせのため来社された。その幹事役、宮崎一江さんも『清流』の有料購読者であり、毎号、愛読してくださっているとのこと。弊社としてもより一層、清流出版という会社を知ってもらえるし、これまで購読していただいた方へのご恩返しの機会でもある。そんな観点から、『清流』編集長、松原淑子が全面的に対応することになった。松原は、更なる万全を期すため、東久留米の自由学園に都合2度、打ち合わせに出掛けている。

 

・以下、冒頭に猪狩誠也さんが挨拶と三人の清流出版メンバーを紹介してくれた。それを受けて松原淑子の簡単なこれまでの経緯と御礼の言葉があり、次は僕の挨拶となった。

 

●加登屋の挨拶

 

・清流出版という小さな出版社を創りました加登屋です。不規則な生活や仕事のストレスが原因で、僕は二度、脳出血に見舞われ、言語障害となり右半身不随の身になりました。清流出版という会社、月刊『清流』についての詳細は、後で松原淑子が申し述べますので、今日、こちらにお伺いした経緯について一言、お話しさせていただきたいと思います。

 

・本日は、しののめ寮の寮長である猪狩誠也さんが、自由学園の自由人を育てる教育現場や建造物を見せてくれるそうで、今から期待に心が弾んでおります。自由学園といえば、池袋の明日館(みょうにちかん)が特に印象深く私の心に残っています。20世紀を代表する建築家フランク・ロイド・ライトと弟子の遠藤新(あらた)が手がけた美しい建物。1921(大正10)年、羽仁吉一(よしかず)・羽仁もと子夫妻によって女学校として創立されたことも存じています。また、お二人が始められた婦人誌『婦人之友』(元『家庭之友』、1903年創刊)は、今年413日で創刊110周年を迎えられるとのこと、誠におめでとうございます。

 

・今回、招いてくださった猪狩さんは、ダイヤモンド社で取締役出版局長や子会社の「地球を歩く」シリーズで有名なダイヤモンド・ビッグ社の社長を務めたお方です。20代にして目覚ましい業績を上げ、社会心理学者の南博さんや石川弘義さんらの知遇を得て、社会心理学研究所に入所され、社会心理学の研究にも勤しんでこられました。それがご縁で、南さんや石川さんが学んだ成城大学でもパブリック・リレーションズの講義をされています。また、ダイヤモンド社をお辞めになってからは、現代経営研究会を設立し、現代広報研究所長などを歴任。その後、東京経済大学コミュニケーション学部の発足に伴い招聘されて教授になりました。2004年、定年退職となり、同大学の名誉教授です。現在、日本広報学会副会長経営行動研究学会理事等などを務めておられます。猪狩さんは、私の知るダイヤモンド社諸先輩方の中でも、最も輝けるキャリアの持ち主ではないでしょうか。

・こちらにお伺いしたかったもう一つの理由、それは御校ご出身の市岡揚一郎さんの存在です。市岡さんがどんな環境のもとで、どう学び育ったのか、私は興味津々でした。市岡さんの業績は30年ほど前から認識しておりました。上海生まれで、自由学園最高学部を卒業し日本経済新聞社に入社、ワシントン支局長、総編集次長等を歴任された後、作家(ペンネーム水木揚さん)として世に出ました。現在、学校法人自由学園の理事長を務めておられます。市岡さんは、今から28年前、サイマル出版社から『アメリカ100年の旅――新・米欧回覧実記』という本をお出しになっています。岩倉具視が率いた明治時代の遣米欧使節団一行の随行員の一人でもあった久米邦武が編纂した『米欧回覧実記』を題材にしたものでした。実に632日に亘る岩倉使節団の大旅行の精細な記録で、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文など、明治の主要な閣僚が参加し2年弱の長きにわたって日本を留守にした使節団でした。政府のトップが長期間政府を離れ外遊するのは異例でしたが、直に西洋文明や思想に触れたという経験が彼らに与えた影響は大きく高い評価を受けました。その著書に魅せられ、ダイヤモンド社出版局の編集者であった私も類書に挑戦することにしました。 市岡さんの刊行から遅れること2年、今から26年前のことになりますが、無事刊行にこぎつけることができました。書名は・米欧回覧の記――世紀をへだてた旅』。本書の著者、泉三郎さんは、1996 年、「米欧亜回覧の会」を創立し、同会の代表を現在に至るも務めておられます。市岡さんのご著書がきっかけとなり、このような意義深い会が生まれたのであり、感謝の念に堪えません。

 

・最後になりましたが、私どもが編集している月刊『清流』を、8000円という少なくない年間購読料にもかかわらず、宮一江さん以下、東久留米市学園町にお住まいの方々が有料購読して下さり、本当に有難うございます。同じ町内にこのように購読者が沢山いてくれることは、わが社にとって奇跡ともいうべきこと。今後とも、よろしくお引き立てのほどお願いいたします。

 

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松原、斉藤、加登屋の清流出版メンバー

 

●松原編集長の説明

 

・続いて松原編集長が、(1)なぜ、この催しが実現したのか、(2)月刊『清流』創刊から今日までの道のり、(3)月刊『清流』が出来上がるまでの進行スケジュール、(4)制作現場においてのアクシデント、失敗談、(5)心に残る取材対象者と、制作過程の裏話など、40分にわたってお話しをした。

 

・大変興味深い話だったのだが、公開するのは控えたい。取材対象者がご存命であること、また毀誉に関係することもある。当日、出席者だけ記憶に留めておけばよい。だが、このオフレコの部分が、僕には一番面白かった。

この会をきっかけに清流出版という会社に興味を持ってもらうこと、定期購読者へのご恩返しすること、そんな意味でお受けした話だったので、所期の目的は達したと思っている。附随して、月刊『清流』を購読してみたいという方が出てくれば、弊社にとってこんな嬉しいことはない。

 

「二金会」の催しなど

・猪狩さんは、われわれを楽しませる催し物まで準備してくださっていた。まず、当日10時から11時まで、藤枝貴子さんによるアルパの演奏会があった。アルパとは耳慣れない言葉だが、ラテンアメリカ諸国ではハープ全般をアルパと呼ぶのだそうだ。16世紀頃スペイン人が南アメリカに入植した際、カトリックの教会で使われていたハープを、原住民が真似て発展したものが現在の形になった。パラグアイ、ベネズエラ、コロンビア、ペルー、メキシコなどのフォルクローレ音楽には欠かせない楽器で、中でもアルパ・パラグアージャ(パラグアイのアルパ) は完成度が高いという。別名、ラテンハープ、インディアンハープとも。スペイン語でアルパ奏者のことはアルピスタ(arpista)と呼ばれている。藤枝さんはこの楽器演奏を習得されたのだった。演奏曲は「思い出のサリーガーデン」から有名な「コンドルは飛んでゆく」、さらには日本の「秋のメドレー」(「小さい秋みつけた」、「里の秋」、「もみじ」)、「鐘つき鳥」、最後にアンコール曲「故郷」と、われわれが好きな郷愁を誘われる選曲で大いに堪能した。アルパ独特の音色も実に心地良かった。

・藤枝貴子さんについてもう少し触れておこう。都内の音楽専門学校を卒業後、楽器店に就職された。そこでアルパの音色に出合い、衝撃と感動を覚えたという。そこで、アルピスタとして日本で活躍中だった日下部由美さんに奏法の基礎を学び、パラグアイ音楽の魅力を学び始める。全日本アルパコンクールで第3位に入賞したことを機に楽器店を退職し、パラグアイで本格的にアルパを学ぶために留学を決意する。美しい音色にこだわり続けるパピ・ガランさんに師事し、ソロアルバムを2枚制作している。

 

・今や東京都公認のヘブンアーティストとして路上や公園などでのライブ活動も積極的に行なっている。2011年、第1子出産後も各地でボーダーレスに活動中である。そういえば、月刊『清流』を囲む会の途中、小さい子の話し声を聴いたが、藤枝さんのお子さんの声だった。

 

・演奏後、楽器のアルパ、別称ラテンハープを見せてくれた。また、衣装が独特で素晴らしい。ニャンドゥティ(nanduti)といわれる民俗衣装である。

 

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アルパ奏者・藤枝貴子さん。衣装も素晴らしい。

 

 

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右から二人目が高安流大鼓方の佃良太郎さん。お父さんも高安流大鼓方の名人だ。右は、佃さんの奥様。

 

・次の催しに登場する方もご紹介いただいた。高安流大鼓方の佃良太郎さんである。能は、シテ方、ワキ方、笛、太鼓、大鼓、鼓、狂言……から構成される芸術である。来年5月、しののめ寮主催で演じる予定だという。

 

・月刊『清流』を囲む会の後、メンバーがわれわれに、お抹茶、手製のパンとコーヒーをふるまってくれた。手製のパンといっても、むしろパンケーキに近いもので、この美味しい昼食を味わったら、大抵のゲストが「二金会」にまた招かれたいと思うのもむべなるかなである。

 

・その後、猪狩さんは自由学園の校舎やグラウンド、各種施設や自然環境などをゆっくりと回りながら説明してくれた。乗っていた僕の重たい電動車椅子を、猪狩さん自ら手動に切り変え、誘導してくれた。恐れ多いことである。そして、自由学園の幼児生活団幼稚園、初等部、男子部中等科・高等科、女子部中等科・高等科、最高学部の各校舎を見せてくれた。約2万坪に亘る広い学校施設で、約1000名の生徒たちが寄宿舎生活を送っている。みなさん、見るからに生き生きとし、楽しい学園生活を送っていることが見てとれた。学園内には樹木や草花など丹精された植物も多い。外部の見学者が、三々五々、10名位ずつ集まって、案内役に樹木や草花の説明を受けている姿も見られた。

 

 

・自由学園は冒頭に記したように、キリスト教精神に基づいた教育の実践を理想に掲げ、女学校として創立された。だが、学校の評価が高まり、規模が拡大するにつれて手狭となり、1925年に現在の東京都東久留米市に購入した学校建設予定地周辺の土地を学園関係者などに分譲し、その資金で1934年、新しい学校施設を建設して移転した。全部合わせると10万坪にもなる敷地面積。そのうち、2万坪を使って、校舎、寮、グラウンド……等を建設した。素晴らしい学習環境である。すべて最初に計画、起案した人――羽仁吉一・羽仁もと子夫妻の優れた感性と教育への燃えるような情熱があったればこそである。「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」の標語を見て、僕は自由学園の理念を少しだけ理解できた気がした。