2015.05.28山田真美さん
3月27日(金)神田神保町ビアレストラン「ランチョン」にて。黒生ビールで乾杯する山田真美さんと僕。明治42年創業の老舗で吉田健一が愛した店である。
・忘れもしない1995年は、阪神淡路大震災があった年である。その年、僕は魅力的な著者に出会った。それが今回登場いただく山田真美さんである。真美さんは、いまでこそ有名人となっているが、その頃はまだ、出身県の長野以外ではそれほど知名度の高さはなかった。だから真美さんの才を認めて、広く世に知らしめたのは、他ならぬ僕だと思っている。出会いとは不思議なものである。真美さんとの出会いもそんな不思議に満ちたものだった。
・1994年3月に清流出版を立ち上げた僕は、月刊誌『清流』を刊行するかたわら、単行本部門を立ち上げていた。ジャンルは文藝エッセイ的なものが多かったが、特に限定せずに様々な分野から魅力的な著者を発掘し、世に知らしめたいと意気込んでいた。だから鵜の目鷹の目で、さまざまなマスコミ媒体に目を通し、神保町巡りをするなど著者探しも続けていた。僕が山田真美さんを初めて知ったのは、初夏の6月19日月曜日のことである。なぜ、こんなに詳しく書けるのかというと、僕のメモが残っているからだ。
・その日、僕は自宅から会社に向かう電車に乗っていた。たまたま前に立った人がスポーツ新聞を読んでいた。見るともなく見ると魅力的なお嬢さんの記事が載っていた。僕の琴線に響いてきた。そんな閃きが単行本企画には大切である。だからその記事を無性に読みたくなった。そのサラリーマン風の男性に、「すいませんが、その新聞記事を是非読みたいので、見終わったら譲ってくれませんか?」と声をかけていた。それが山田真美さんを知るきっかけだった。早速、新聞社を通して連絡先を手に入れた僕は連絡を取り、真美さんと会った。
・二葉亭で昼食を摂りながら話をした。話せば話すほど、小柄で華奢に見える真美さんが、エネルギーの塊のような方だと分かった。意気投合して1995年、オーストラリア人のハリー・ゴードン氏の書いた本を翻訳していただいた。『生きて虜囚の辱めを受けず――カウラ第十二戦争捕虜収容所からの脱走』(清流出版)がそれ。続いて1997年 には、インドで魔法使い探しをすることになった著者が繰り広げる奇想天外な冒険物語『インド大魔法団』(清流出版)を刊行させてもらった。真美さんの実体験を元に書き下ろした、冒険小説仕立てのノンフィクションである。刊行後、しばらくしてあの幻冬舎の見城徹氏が文庫化を打診してきた。それを聞いて僕は、旬の著者を発掘できたことが証明できたとほくそ笑んだ。
自著『インド大魔法団』を手にした真美さん
・真美さんの略歴をご紹介しておこう。とにかく五つの大学を出ているのだから凄い。明治学院大学を卒業(経済学士)した真美さんは、単身シドニーに渡り、ニュー・サウス・ウェールズ大学に留学する。当時、捕鯨国日本はクジラの獲りすぎだと世界から糾弾されていた。真美さんは自ら検証してみなければ納得できないタイプである。そこで海洋学科に在籍し、指導教官のマッキンタイヤー教授、鯨類学のエキスパート(アレン博士、カークウッド博士)の指導のもと、南半球に於けるマッコウクジラの回遊を研究した。日本捕鯨の歴史と現状をテーマに、教授および院生を対象としたレクチャーも開催するほど精通することになる。
・1990年には インド外務省の外郭団体であるインド文化関係評議会の招聘により、インド全土を取材旅行している。1996年、インド外務省の外郭団体であるインド文化関係評議会の招聘により、インド留学(デリー大学大学院哲学科)を果たす。以後、家族と共に2001年までニューデリーに在住する。1998年、インド最大のマジック大会「Vismayam '98」(ケララ州トリヴァンドラムにて開催)のゲスト審査員を務める。2004年には、第14世ダライ・ラマ法王猊下に謁見し、「日本人と自殺」をテーマに単独インタビューに成功する。弘法大師空海が日本に密教をもたらした年から数えて1200年目に当たる2006年、高野山大学大学院文学研究科修士課程密教学専攻(通信教育課程)に進学。2007年には、作家として長年にわたりインドを日本に紹介してきた功績を認められ、インド国立文学アカデミー(India's National Academy of Letters)より世界で3人目となるドクター・アーナンダ・クマラスワミ・フェローシップを受けている。
・2006年、ダライ・ラマ法王猊下に2年ぶりに謁見、「第三次世界大戦を回避するために私たち一人一人にできること」をテーマに2度目の単独インタビューに成功。2009年には、高野山大学大学院修士課程を修了し、修士(密教学)の学位を取得する。さらには2011年、カウラ事件を博士論文にまとめるため、お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科博士後期課程に進学する。そして2年後の2013年、 明治学院創立150周年の記念すべき年に、明治学院大学経済学部特命教授第1号に任命される。2014年、論文「捕虜を生きる身体―第二次世界大戦期・カウラ第十二戦争捕虜収容所に於ける日本兵の日々―」を博士論文として、お茶の水女子大学大学院博士後期課程を修了し、博士(人文科学)の学位を取得した。お分かりのように、4つの大学院の研究テーマはまったく別物であり、興味の対象が見つかると、体当たりでぶつかっていく真美さんの面目躍如ぶりが際立っている。
・去る3月27日、真美さんと神田神保町の「ランチョン」で旧交を温めたのだが、話を聞くと最近の活躍ぶりも目覚ましい。現在、理工系大学でMITに勝るとも劣らないインド工科大学ハイデラバード校教養学部客員准教授に任命され、日本文化を講義しているというのだ。インド工科大学は、工学と科学技術を専門とするインド国内16ヶ所に点在する国立大学の総体、または、その各校である。国家的な重要性を有した研究機関と位置づけられ、研究水準の高さは国際的にも認められている。1947年インドの独立後、インドの経済的・社会的進歩を目的として知的水準の高い労働力の育成が求められ、科学者と技術者を養成するために、1951年にジャワハルラール・ネルーにより第1校が設立された。その名門インド工科大学の准教授に招聘されたのである。
・2006年版のThe Times Higher Education Supplementによれば(理工系大学ランキング)、1位 MIT、2位 UCバークレー、3位 インド工科大学、4位ロンドン王立大学、 5位 スタンフォード大学、6位 ケンブリッジ大学、7位 東京大学となっている。現在ではMITを抜き、世界No.1になっているとの声もある。インド工科大学は年間20万人が受験して合格率は1%台。入試倍率が130倍になる学科もあるという超難関大学だが、今年日本人で初めてこの難関を突破した方がいるという。灘高から進学した下西啓一郎君である。今後、東大・京大の工学部へ進学するより、インド工科大学へ進学する学生が増える可能性がある。なぜなら、NASAの科学者の3割強、米シリコンバレーのIT企業の管理職の7割を占めるのがインド系。つまり多くがこのインド工科大学卒業生なのだ。
・もはや「インドの理工系人材は優秀」というのは世界の共通語になった感があり、IT企業を中心に、彼らをめぐる採用競争(ウォー・フォー・タレント)は世界的に熾烈を極める。グローバルトップ企業の本社から採用責任者がこぞって獲得にやってくるとか。2013年には、オラクルがインド工科大学の学生に対して、初任給で年収1300万ルピー(約2200万円)を提示したというニュースが伝えられた。この他にも、グーグルやサムスンといった企業が1000万円を超える年俸を用意し、アプローチしている。これは中途採用の提示金額ではない。大学新卒の初任給の話だというから驚く。
・このインド工科大学で真美さんが教鞭を執っているというのだから愉快である。そして優秀な学生を日本に送り込みたいという。そのためには日本の魅力を伝えていかなければならない。そんな役割を果たすには、真美さんこそ恰好の人材である。真美さんの講義内容だが、「七福神信仰を通して見た日印関係」というテーマ、さらには日本の弁財天信仰(注:弁財天の原型はインド由来の「智恵と学問の女神」であるサラスワティ)を通じて日本文化や歴史、ひいては日印関係を広く深く講義していくらしい。学生達はなかなか活発らしく、ポンポン質問も飛び出し活気のある授業だという。また(当然かも知れないが)彼らは日本のアニメやマンガにも強い関心を持っている。日本文化に触れ、日本の魅力に触れることで、日本への関心が深まれば幸いである。
・真美さんは先日、エチオピアの複数の大学で特別講義をしている。最初のテーマは「女性の力―1934年にエチオピアの王子と婚約した日本人令嬢の場合」。2つ目の講義では「モッタイナイとその先にある『3つのR』」。そして3つ目の講義は「継承することの大切さ―世界最古のロイヤルファミリー・企業・ホテルに見る日本的マネージメント」というテーマであったという。講義の使用言語はすべて英語、さすが真美さんはグローバル・スタンダードな人である。
エチオピアでの講演チラシ
・准教授として赴任して、思うところもある真美さん。インドの学校と日本の学校の教科書、授業の進め方等がどう違うのか、日本がインドから学ぶべき点、また日本が優れている点など、比較文化論をまとめて出版する予定だという。灘高から進学している下西啓一郎君にも会い、すでに取材も済ませている。日本のトップクラスの高校を出た下西君が、世界トップクラスの理工系大学で何を学び、何を感じているのか興味深い。刊行する出版社も決まり、全体構成もほぼ見えてきた。これから執筆にかかれば、年末頃には書店に並ぶに違いない。真美さんのインド工科大学での活躍ぶり、そこから導き出される世界的な理工系大学の長所と欠点、さらには今後の課題など読みどころは満載で、大いに楽しみである。
・蛇足だが、インド工科大学をモデルにした映画『きっと、うまくいく』(監督ラージクマール・ヒラニ、2009年、インド、170分)をぜひご覧になってほしい。エリート軍団を輩出する超難関理系大学ICEを舞台に、3人の学生“3 idiots”(三バカトリオ)が、ハチャメチャの珍騒動を巻き起こし、鬼学長を激怒させるというのがあらすじである。彼らの合言葉は、「きっと、うまくいく!」。抱腹絶倒の学園コメディに見せかけつつ、ミステリー仕立てであり、彼らの10年後を同時進行で見せている。その根底には「加熱化する学歴競争とインドの教育問題」に一石を投じる意味がある。そして万国普遍のテーマ「いまを生きる」ことの素晴らしさを問いかける映画である。あのスピルバーグ監督が「3回も観たほど大好きな映画」と絶賛し、ブラッド・ピットは「心震えた映画だ」と称した。世界各地でリメイクが決定している至高の感動エンターテイメント「きっと、うまくいく!」。山田真美さんと僕の意見が一致し、意気投合したインド映画である。