2017.01.24徳岡孝夫さん
埼玉大学名誉教授、国語学者の山口仲美さん
後白河天皇の皇女。賀茂神社の斎院になった。斎院は神に捧ぐるため、身は清浄でなければならず、恋は許されない立場である。「忍ぶ恋」の激しさと不安感を詠んだ歌として、山口さんは紹介された。
・第三回は、サブタイトル「キャリア系・清少納言の恋愛事情」。冒頭に、紫式部、清少納言、和泉式部、道綱母の四人の女子力タイプを掲げ、チャート図を描き、明るい、暗い、男っぽい、女っぽいに分けて説明された。山口さんらしいアイデアと機知に富んだ分析だ。
チャート図でいえば、男っぽいと陰性の紫式部(オクテで地味な妄想女子)は、さしずめ、出演者でいうと大久保佳代子さん。男っぽいと陽性の清少納言(ウィットに富んだキャリアウーマン)が山口仲美さん。女っぽいと陰性が道綱母(美人でプライドが高いセレブ妻)で壇蜜さん。女っぽいと陽性は和泉式部(恋多き魔性の女)と分析し、それぞれ女子力タイプを解説した。それにしても、男性ホルモンのテストステロンや神経伝達物質のドーパミンの多寡を、平安女性に当てはめるという発想がユニーク。ドーパミンが多いと「アウトドア派」、少ないと「インドア派」である。
「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも
よに逢坂の 関はゆるさじ」――清少納言
(夜が明けないうちに、鶏の鳴き声でだまそうとしても、函谷関の関ならともかく、逢坂の関はそうはゆきますまい。わたし、あなたとは決して逢わないわよ)
清少納言の才気煥発ぶりが如実に現れた歌だ。漢詩文の素養を武器に男友達の誘いを、魅力的に断った歌である。一条天皇の中宮定子に仕え、その博学さで定子の恩寵を受けた清少納言の、清少納言らしさが出た歌。「逢坂の関」は「逢う」という言葉から男女関係を持つという意味を含むと、山口さんは解説された。
・第三回までの、「恋する百人一首」の展開と内容、歌を簡単にかいつまんで書いてみた。僕の下手なまとめ方では、登場された百人一首を詠んだ歌仙もご不満であろう。山口さんも、同じような感想を持っているにちがいない。だから、今後は「テーマ」と「サブタイトル」と代表的な歌だけで、各回をおさらいしてみようと思う。
・第四回は、サブタイトル「モテ女・和泉式部に学ぶ魔性テク大研究」。和泉式部は男性を惹き寄せる力の強い歌を詠んだ女性。一条天皇の中宮彰子に女房として出仕されたが、とくに身分の高い男性との恋愛に命をかけたことが分かる。
「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな」――和泉式部
(わたしはもうすぐ死んであの世に行くかもしれません。思い出にせめてもう一度だけあなたにお逢いしたい!)
真に迫る切実さをもっている歌で、平易なレトリックも使わずに心情を吐露し、相手の心をぐっと摑むところにこの歌の特色があると山口さんは言う。
・第五回は、サブタイトル「女の分かれ道 セレブ美人妻・道綱母」。女性にとって、もっともつらく許せないのが恋人や夫の浮気である。それは平安時代も同じだった。右大将道綱母は類まれな美貌を誇り、歌才もあったが、人一倍強い自尊心の持ち主だった。夫がほかの女性のところに通っているのを知ると、猛然と夫に対抗する。和歌に託し、
「嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は
いかに久しき ものとかは知る」――右大将道綱母
(あなたが来ないのを嘆き嘆きしながら、一人で寝る夜が明けるまで、どれほど長いかご存じでしょうか。いや、おわかりにはなりますまい)
本朝三美人に数えられるほどの美貌で、歌才もある方で、「一夫一妻多妾制」の平安時代に、現代のような「一夫一妻制」の時代にのみ可能なかたちを求め続けた道綱母の歌に嫉妬心の凝縮を見た思いがする。
・第六回は、サブタイトル「オクテな地味女・紫式部」。紫式部は、恋の歌は少なく、恋愛の実体験があまり豊かではなかったと察せられた。紫式部は年の離れた男性と結婚し、夫と死別するまで幸せな家庭を築いている。いわば良妻賢母型の女性であった。
「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲隠れにし 夜半の月かな」――紫式部
(幼友達と偶然会って、その人かどうか見分けがつかないうちに、雲間に隠れてしまった夜半の月のように、あの人はあわただしく姿を隠してしまったことですよ)
紫式部は藤原道長の娘・彰子のもとに出仕する。女の友情を詠んだ歌を紹介した。幼友達に偶然再会し、その状況を、その夜の月の情景に重ね合わせている。また、紫式部は内面に強い自負心があり、後宮で活躍している清少納言や和泉式部の悪口を日記に記している。
・第七回は、サブタイトル「はじめよう! 恋する心の伝え方」。和歌はそもそも思いを伝える手紙との役割を持っていた。まず、恋をスタートさせるには、恋する思いを相手に伝えることが大切である。
「みかの原 わきて流るる 泉川
いつ見きとてか 恋しかるらむ」――中納言兼輔
(みかの原を分けて流れる泉川。湧き出て流れる泉のように、あの人をいつ見たからといって、こんなに恋しいのだろうか)
この歌の言いたいことは下の句で、「泉川」は「いつ見」を引き出すための「序詞」(じょことば)。まだ見ぬ人への泉のようにこんこんと湧き、清らかな恋心が心を打つ。
今回は、登場する百人一首の歌がことごとく、いずれも平安時代の貴族が恋を和歌にして、いわば「手紙」として、相手の思いを伝えるのがよいか悩んだことが分かる仕掛けになっている。この講座で、山口仲美さんが、百人一首の実用学に力を入れているのがよく分かる。
また今回は、ゲストに森川友義さん(早稲田大学国際教養学部教授)が登場された。「恋愛学」の第一人者(著書に『一目惚れの科学』、『結婚しないの? できないの?』)の立場から、発言をされた。「平安時代の和歌は、現代で言うメールだ。当時は和歌の上手な男性がモテていたと言われる。現代に恋心を上手に伝えるための、恋愛学的「正しいモテメールの出し方」を伝授したいと言う。31文字に思いを込める和歌と同じく、現代のメールは「短い文章で、想像させる余地を残すことが効果的」をおっしゃる。
・最終回は、サブタイトル「恋の終わりの処方箋」と分かっているが、まだEテレの再放送がまだないので書けない。どのようなエンディングを迎えるのか、今から楽しみである。
・冒頭にご紹介した通り、山口仲美さんには、毎号、月刊『清流』に「ちょっと意外な言葉の話」と題したコラムを連載して頂いている。毎回、楽しみに読ませて頂いているが、これもおさらいしてみよう。
初回の2014年8月号から以降、取り上げられた言葉を拾ってみると、「ざっくばらん」、「おべんちゃら」、「総すかん」、「じゃじゃうま」、「てんてこ舞い」、「とんとん拍子」、「ぐる」、「とことん」、「いちゃもん」、「へなちょこ」、「たんぽぽ」、「ぺんぺん草」、「パチンコ」、「ばった屋」、「ひいらぎ」、「はたはた」、「とろろ汁」、「しゃぶしゃぶ」、「おじや」、「どんぶり」……等々。
それぞれの言葉の、発生から成り立ち、どのような変遷を経て現代まで生き伸びてきたかをやさしく説いている。まさに日本語の蘊蓄が詰まった文章で、日本語の持つ奥深さ、豊かさ、その魅力を再認識させられること必定である。
・また、山口仲美さんには不思議な縁を感じている。実は同じ出身中学であることを知った。豊島区立第十中学校の同窓生なのだ。僕の尊敬する担任の小寺(旧姓・小高)禮子先生(月刊『清流』の創刊号からの定期購読者)が、二人の接点を見出してくれた。山口さんは、その後、お茶の水女子大学を卒業し、東京大学大学院修士課程を修了、文学博士、埼玉大学名誉教授となったわけだ。
擬音語・擬態語の研究者として第一人者であり、著書『日本語の歴史』(岩波新書、2006年5月刊)で日本エッセイスト・クラブ賞、平成20年、日本語学の研究で紫綬褒章受章者となった。今を時めくお方なのだ。山口さんとの出会いは、僕にとってまぶしいほど輝かしいものと思っている。
・また、山口さんは、不屈の闘志をお持ちだ。というのも、2009年夏、大腸ガン(S状結腸ガン)を患い闘病、また2013年夏には膵臓ガンと続けて病魔に侵された。それを克服し、『大学教授がガンになってわかったこと』(幻冬舎新書、2014年3月刊)を執筆されている。この250ページの本を何回も読んで、僕は心底納得したものだ。山口さんはこう書いている。《ガンは、わたしに「謙虚」と「受諾」という、自分に最も欠けていた精神的な贈り物をくれました》と……。
僕も二回の脳出血を経て、右半身不随、言語障害の身になって、全く同じ思いをしている。山口さんには、今後も大いに活躍して欲しいと思っている。山口さんの才媛ぶり、才能の発露には、誇らしい気持ちが湧いてくる。応援団の一人にすぎないが、僕にとっても人生における希望の光となっていることをお伝えしておきたい。