2017.06.27佐藤初女さん

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佐藤初女(はつめ)さん

・前回、僕は鈴木秀子(シスター鈴木)さんについて書いたが、実は関連して、どうしても書いておきたい人がいる。それが青森県で「イスキアの家」を主宰していた佐藤初女(さとう・はつめ)さんである。初女さんは、残念ながら2016年2月に鬼籍に入られ、今は亡い。そもそも初女さんは、龍村仁監督作品「地球交響楽(ガイヤシンフォニー)第2番」に登場して、一躍人口に膾炙するようになった。龍村仁さんに初女さんを紹介したのが、外ならぬシスター鈴木だった。映画の中での初女さんは、ごく自然体であった。東北の豊かな四季を背景に、雪の下から蕗の薹を優しく掘り出したり、梅干し用の梅を干したり、ご飯を炊いておにぎりを握ったり。当時、73歳だった初女さんの穏やかな日々の営みが、淡々と映像で綴られていただけだった。どのシーンでも印象的だったのが、初女さんの物に触れるときの手の優しい動きである。生まれたての赤ちゃんに触れるとき、人は傷つけまいとして無意識にとる手の動き。そんな優しさが表れていた。

    シスター鈴木は、数回、青森県弘前市の初女さん宅を訪れている。月刊『致知』で対談もしている。初女さんは最初、弘前の自宅を開放して活動していた。素朴な素材の味をそのままに頂く食の見直しによって、心の問題も改善することができる、との考え方を実践していたのだ。同じカトリック信者でもあり、シスター鈴木は初女さんのこの活動に共感を覚えた。食に対する思いに感じ入ったシスター鈴木は、初女さんの夢であった、森の中に憩いの場を作りたいとの実現のため募金活動を開始する。初女さんを母のように慕う全国のファンからの後押しもあって、1992年10月、岩木山麓に「森のイスキア」が完成する。初女さんの念願の夢がここに叶ったのである。ちなみに「イスキア」とは、イタリア西南部のナポリ湾の西に浮かぶイスキア島の名前から採られたもの。実はイスキア島には、こんな逸話があった。ナポリの富豪の息子で、何不自由ない暮らしをしていた青年が、この島を訪れて司祭館に滞在し、贅沢三昧だった生活から、自分を静かに振り返ることを学んだ、というエピソードである。シスター鈴木は、この逸話に感動し、この家を「イスキアの家」と名付けたのだ。

・初女さんの性格は、シスター鈴木が日本に普及させたエニアグラムによれば、タイプ9に分類されるという。タイプ9の解説文にはこうある。
 
【何事にも心を乱されたくない、平穏を愛する者です。人の望みを優先し、相手に共感する能力が高いので、聞き上手です。対立する複数の意見があれば白黒付けずに公平な視点で整理し、天性の調停者として振る舞います。穏やかで、うんうんと頷きながら話を聞く姿勢は皆が好感を持ち、周囲に落ち着きと安らぎをもたらす事でしょう。癒し系と評価される事も多いかもしれません。動物、温泉、運動が好きな事が多いようです。また繋がっているという感覚を大切にするため、道路や線路が繋がっているのが一目で分かる地図や路線図などを好む場合もあります。興味がある物を収集するのも好きです。また、人の内面を感じ取る才能を持ち、その色に染まる傾向があります。周囲が明るく活発であれば活発になり、落ち着いた知的な雰囲気であれば物静かで知的になります。相手の悩みや喜びまで感じ取れるので、他者をまるで自分自身のように支える事ができ、周囲に癒しと安らぎを与え、対立を鎮める潤滑油として機能します。】
 タイプ9のプロフィールはまさに初女さんそのものである。

 
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すり鉢で胡麻を擂る佐藤初女さん
 
・初女さんは1921年、青森市に生まれ、青森技芸学院(現在の明の星高等学校)を卒業後、3年間小学校教員をし、1944年に勤務校の校長だった佐藤又一氏と結婚している。又一氏にはすでに3人の子があり、再婚だった。その後、初女さんは教職を退き、弘前市内に在住して、ろうけつ染めの指導などをし、1964年より15年間、弘前学院短期大学で非常勤講師として家庭科の教鞭をとっている。1979年には、弘前染色工房をオープンさせている。
 
    女学校時代、胸を患ったことが初女さんの人生の方向性を決めた。喀血を繰り返しながら17年間の闘病。その体験が「食べる」ことと深く関わって、生きるきっかけとなった。 「その頃、注射や薬の効き目は些細なもので、これでは治らないということを感じていた。反対に、美味しい食べ物を頂いたときには体内の細胞が躍動するように感じ、注射や薬に頼るのでなく、食べることで元気になろうと思うようになっていった」。17歳での発病以来、自然と少しずつ体を動かせるようになっていく。「もう闘病は終わったとはっきり実感できたのは35歳ぐらいのころ。健康であること、そして働けることへの喜びと感謝の気持ちでいっぱいだった。これ以上の幸せはない、これからは何をすることも厭わないと心に決めた」。
 
・初女さんの心には、幼い頃の思いが刻まれている。それは、近所の教会の鐘の音に惹かれ、何度も教会の前に佇んだ記憶である。“誰がどこで鳴らしているのか”と不思議に思ったという。その後、初女さんは老人ホームを訪問したり、様々な生と死の出会いを重ねるうち、「心だけは人に与えることができる」との結論に思い至った。そこで自宅を開放し、ろうけつ染めを教えるかたわら、心を病んだ人々を受け入れることにした。これが「イスキアの家」のスタートであった。

    多くの出会いから深いものを受けとってきた。≪『私、苦しいんです』と訴える人に対し、頭であれこれ考えても、本当の解決にはなりません。『そう、苦しいね。でも、もっと苦しまなくちゃ』って伝えるときもある。もちろん、私も活動を続ける中で、心の葛藤が生まれることがしばしば。そんなときは苦しみを否定せず、自分の心を真っすぐ見つめ、苦しみを感じきることを大切にしてきた。苦しんで苦しみ抜いて、もうどうにもならない、というところで『神様におまかせ』すればいい≫。

・「一期一会という言葉通り、私たちはそのときの限られた時間しか触れ合えません。疲れたと思いながら会えば、その気持ちが相手にも伝わるので、心を素早く切り替え、いつも新鮮な気持ちで会うこと。それを大切にしている」という。「また、どんなときも自分の都合を優先せず、その人が求める形で出会いたい。何かに取り組むとき、ある限界までは、誰でもできる。けれども、その一線を越えるか越えないかが、大きな違いになる。そして1つ乗り越えると、また限界が出てくる。そのように限界を1つずつ乗り越えることによって、人は成長するし、その過程は生涯続くもの。確かに、このような生き方は大きな犠牲を伴うし、時々自分でも厳しいなあと感じるときがある」。

    以来、「食はいのち」を標榜し、心のこもった食事を提供し、悩める人の話に耳を傾けた。評判は評判を呼んで、国内はもとより 海外からも、迷い、疲れ、 救いを求めて訪れる人が後を絶たなかった。 初女さんのおむすびを食べて自殺を思いとどまった青年がいる。 食べることは、「命」をいただくことだと気づく高校生がいる。悩める若人に伝説のおにぎりで知られるように、食事を通して生きる勇気を鼓舞してきたのだ。
 
 
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岩木山麓に佇ずむように建つ「イスキアの家」

・初女さんの語録は、雑誌や本でも披露されているので、ご存じの方も多いだろう。弊社の月刊『清流』にも「ひと欄」でご登場いただいている。特に僕の印象に残った言葉を取り上げてみよう。

「長い冬に耐えて、雪解けとともに芽ばえた“ふきのとう”の生命をいただいて、おひたしや天ぷらを作る。ただ『美味しく食べさせて上げたい』という心を込めて料理した時、その蕗の薹の生命が、“美味しさ”になって食べる人の生命を活かし、心を癒してくれる」
「お漬物が呼ぶ。もうこの石は重いって。だから夜中でも起きて、小さい石に取り替える」
「放っておけば腐ってゆく自然の生命に、手を加えることによって、別の生命となって生きて頂く。お料理とは生命の移し替えなのかも知れません」
「私の祈りは“動”の祈り。毎日毎日の生活の中にこそ祈りがある」
「自分が喜びに満たされると、人は必ずその喜びを分かち合いたいと思うようになる。霊的な喜びこそ、人間の最大の喜び」
「食事することが『生きる』そのもの。茹でるとか、切るとか、味付けするって、どれ1つ、おろそかにできない。『調理すること』が『生きる姿』そのものだと思う。ごはん炊くのだって、米の研ぎ方とか、スイッチを入れる時間とか、もちろん水加減、できたときのほぐし方、よそい方、ご飯1粒ひとつぶが呼吸できるようにって。食べてみて初めて見えない何かを感じてくれる」
  「食材は特別なものでなく、身近で手に入るもので作る。やはりそれを美味しく作るというところ、それしかない。食べると心の扉が開いて、順々に話し出してくれる。話していると、自分自身で答えを見つけていくもの」
    このように、初女さんの生きとし生けるものへの慈愛に満ちた言葉は、見えない世界を見ているようで実に奥が深い。


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ある日の「イスキアの家」の食事。伝説の真っ黒なおにぎり

・初女さんの台所での動作はゆっくりに見えて無駄がない。必要な速さで動いていることに気付く。お手伝いの数人のスタッフとの間に柔らかな緊張感が流れている。ふわりとして「凜」。例えば食材を茹でている場合、切り上げ時の一瞬を決して逃さない。慌てるふうもなく、しかも速い。この瞬間を初女さんは「いのちの移し替えの瞬間」と呼ぶ。私たち人間は地球上の色々な「いのち」を食べて生きている。食べるもの、すべてが生き物である。「いのち」が「いのち」を食べている。
 
「食材を、ただ『もの』だと思うのと『いのち』として捉えるのでは、調理の仕方が変わってくる。ものだと思えば、ただ煮ればいい、焼けばいいのですが、いのちだと思えば、これはどうすれば生かせるだろうか、になる」。
  「調理の間は意識を集中しないと、食材のいのちと心を通わせることができない。野菜を茹でていると、大地に生きていたときより鮮やかに輝く瞬間がある。そのとき、茎は透き通っている。その状態を留めるため、すぐに水で冷す。透明になったとき火を止めると美味しく、血が通うお料理ができる。素材の味が残るだけでなく、味が染み込みやすいときでもある。野菜がなぜ透き通るかといえば、野菜が私たちのいのちと1つになるため、生まれ変わる瞬間だから。それを≪いのちの移し替えの瞬間」と呼ぶ。」
「蚕がさなぎに変わるときも、最後の段階で一瞬、透明になる。焼き物も同じ。焼き物に生まれ変わる瞬間、窯の中で透き通る。透き通ることは、人生においても大切。心を透き通らせて脱皮、また透き通らせて脱皮というふうに成長し続けることが、生きている間の課題ではないか」

    僕は初女さんと直接、お会いしたことはない。しかし、ご縁を感じている。そもそも、詩人・エッセイスト堤江実さんが企画提案して佐藤初女さんの語り下ろしの本を作ろうと思っていた。だから出版部の臼井雅観君を編集担当に、堤さんと「イスキアの家」に取材に行ってもらった。2泊3日の出張から帰った2人から、初女さんのことを色々と聞いたので、僕もお会いしたような気分になった。臼井君は食事の準備を手伝ったらしい。笊をもって庭に出て、生えているシソの葉を摘み、クルミ和えを作るためのクルミを金槌で割って中身を取り出す作業をした。あの真っ黒なおにぎりの作り方にはビックリしたらしい。まず、釜を覗き込みながら、水加減の調整をする。お米の顔を見ながら、微妙に水を足したり引いたり。炊き上がりのご飯はといえば見事に立っている。そのご飯に初女さんが漬けた梅干しを入れ、心を込めて一つひとつ握る。そして、ご飯の白い色が見えなくなるように、海苔で優しく包む。こんな心のこもったおにぎりだからこそ、食べた人の心に染み入る。自殺を思い留まったり、生きる気力がわいてきたり、来たときと帰るときの顔付きが、まるで違っているというのだから。本当に惜しい方を亡くしたものである。
    最後に、初女さんを知るきっかけを作ってくれたシスター鈴木に感謝を、また、天国の佐藤初女さんには、長い間、お疲れ様でした、と言ってあげたい。