2020.10.26アルヤ・サイヨンマーさん フジコ・ヘミングさん

●アルヤ・サイヨンマーさん

 
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会場で歌うアルヤ・サイヨンマーさん  

・自宅で資料関係の整理をしていたら、懐かしい写真が出てきた。フィンランドにアルヤ・サイヨンマー(SaijonmaaArja)という歌手がおり、“フィンランドの歌姫”と呼ばれている。彼女が来日して東京都新宿区初台のオペラシティでコンサートをしたときの写真である。実は、弊社はアルヤさんの本の版権を取得し、翻訳出版したのだ。その際、販売促進も兼ねて来日して頂いたのである。僕は原著を手にしたとき、アルヤさんのサウナを通して魂と肉体の「癒し」の大切さを問いかけると同時に、北欧の文化や母国に対する深い愛情や想いが伝わる本だと確信し、版権取得に踏み切った。書名は熟考した末に、『アルヤ、こころの詩――サウナと神話に癒されて』(2002年10月刊)とした。内容を簡単に説明すると、都会の慌ただしい生活を逃れ、故郷へ帰ってきたアルヤさんが、湖畔のサウナで心身の疲れを癒しながらもの思いに耽る。サウナと「カレワラ神話」を介して、現在と過去、現実と幻想が交錯する、彼女の精神世界が垣間見えてくるものであった。サウナの素晴らしさ、サウナにまつわる様々な思い出と逸話、そしてフィンランドに伝わる叙事詩「カレワラ」について語る、詩的で幻想的なエッセイ集である。

 
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『アルヤ、こころの詩―サウナと神話に癒されて』


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アルヤさんと僕

・アルヤさんは、ヨーロッパではよく知られた存在だが、日本ではまだ知名度が低かった。どんな歌を歌う歌手なのか、知ってもらうための意味もあって、僕はこの本に「Millionere Rosor」(「百万本のバラ」のフィンランド語版)ほか、本邦初公開のアルヤさんのヒットナンバー3曲入りのCDを付けることにした。アルヤさんは1965年に歌手としてデビューして以来、これまでに26枚のアルバムを発表してきた。クラシックからポピュラー・ソングまで歌う歌い手として幅広く活動している。また、「フィンランド・タンゴ」という新しい音楽ジャンルも開拓し、ヨーロッパだけではなく、アメリカのブロードウェイやヴィレッジ・ゲイトにも出演し、好評を博している世界的な歌手なのだ。幅広いレパートリーを持ち、フィンランドの民謡や北欧調の現代音楽、サルサなどのラテン音楽なども手掛けている。

・とくにギリシヤの音楽家ミキス・テオドラキス氏とは深い親交があり、たびたび彼とは共演を果たし、世界各地で公演活動を行っている。他にも、ヒューマニタリアンの運動の一環として、各地で数多くのコンサートを開催している。ゴルバチョフ元ソ連大統領が「ペレストロイカ」を発表した1982年のモスクワ平和会議にスペシャルゲストとして招待され、特別コンサートを行ってもいる。スウェーデンの元首相オロフ・パルメの葬儀(1988年)や、ドイツの元首相ウィリー・ブラントの葬儀(1992年)では「レクイエム」を歌ったこともある。国連の平和活動の一環としても、たびたびコンサートを開催してきた。1987年には、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)親善大使にも選ばれている。行動的な国際人なのである。

 
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熱心なファンの栗原小巻さんも駆けつけた

・ヨーロッパでは、よく知られた三人の女性歌手がいる。もちろん、アルヤさんも含めてである。あとの二人はエンヤさんとヤドランカさんである。エンヤさんは、アイルランド出身の歌手で、作曲家、音楽プロデューサーでもある。「ウォーターマーク」(1988年)が成功し、シングル「オリノコ・フロウ」が各国のチャートでトップ10入りし世界的な名声を得た。その後も、「シェパード・ムーン」(1991年)、メモリー・オブ・トゥリーズ」(1995年)、「ア・デイ・ウィズアウト・レイン」(2000年)の各アルバムが数百万枚を売り上げた。

  ヤドランカさんも日本人にはお馴染みの歌手である。16歳の時にドイツに住む叔父のジャズグループに加わり、ベースとボーカルを担当。1984年、サラエボオリンピックのメインテーマ曲を作詞、作曲。自らそのテーマ曲を歌い、一躍ユーゴスラビアの国民的歌手となった。以前から日本文化、特に浮世絵、俳句に興味を抱いており、1988年、日本でレコーディングを行うために来日したが、その間に祖国ボスニアの内戦が酷くなり、それ以降、2011年まで日本を活動の拠点としていたという背景もあった。

・さて、著者を知ってもらうためのコンサートには、新聞各社の担当記者も駆けつけてくれ、記事を書いてくれた。この本の船出には恰好の宣伝材料となったと確信している。特に東京新聞で紹介された記事は素晴らしいものだった。今も僕の印象に強く残っている。また、アルヤさんの熱心なファンだという栗原小巻さんがお忙しい中を参加してくれ、フィンランドの国民的歌手ということからフィンランド大使館からも多くの参加者があったので、とても華やかな会場風景となった。僕は直木賞作家の常盤新平さんとは長いお付き合いだが、新平さんの奥様には、このコンサートで大変お世話になった。陽子さん(会議通訳)にこのイベントの司会をして頂き、大いに会場を盛り上げてもらったのである。外国のそれも売れっ子歌手を、販売促進を兼ね来日して頂いて、イベントを開催したというのは、後にも先にもこれ1回だけ。この時の想い出は、僕の記憶の中に息づいている。


 
●フジコ・ヘミングさん
 

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フジコ・ヘミングさん

・実は先月末の日曜日、WOWOWで“魂のピアニスト”フジコ・ヘミングさんの特集が放映された。なんと3部構成で4時間半に及んだこの特集は、改めてフジコ・ヘミングという不世出のピアニストを再認識させられたものだ。第1部が『フジコ・ヘミング ソロコンサート  ―いと小さきいのちのために― 』と題して、2017年に行われたチャリティーコンサートの録画であった。よく知られた「別れの曲」「月の光」や「ため息」に加え、代表曲となる「ラ・カンパネラ」など、全13曲が演奏された。第2部はドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミングの時間』であった。60代後半になって遅咲きのデビューを果たし、一躍人気に火が付いた奇跡のピアニストの知られざる素顔と魅力に迫った秀作映画である。デビュー以来、88歳になった今でも、世界中で演奏活動を続けるフジコ・ヘミングさん。ヨーロッパ、日本、北米・南米と、世界を股にかけて行われるコンサートは、実に年間約60回に及ぶという。チケットは即完売で新たなオファーも絶えない。その情感あふれるダイナミックな演奏は、多くの人の心をとらえ、“魂のピアニスト”と呼ばれている。そんなフジコ・ヘミングさんを2年間にわたって撮影し、これまであまり明かされることのなかったオンとオフの素顔に迫った初のドキュメンタリー映画だ。


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DVDにもなった「フジコ・ヘミングの時間」

・お気に入りのアンティークと猫たちに囲まれて暮らすパリの自宅で迎えるクリスマスの情景、宮大工がリフォームした古民家で過ごす京都の休日、留学時代の思い出が宿るベルリン郊外への旅など、初公開のプライベート映像も満載している。そこから浮かび上がるのは、自分の芸術に対してはストイックであり、私生活では弱者と動物に対して優しく、おしゃれが大好きなフジコさんの愛すべき人柄だ。世界中の人々を魅了してやまないフジコさんの音楽は、どんなライフスタイル・人生から生まれてきたのか。本作は、その秘密を解き明かしていく。

 
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シンガーソングライターで牧師の陣内大蔵氏


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番組中で紹介された弊社の本
 
・第3部が『フジコ・ヘミング 教会ソロ演奏 2020 ―くすしき調べ、とこしえなる響き―』と題し、今年8月に日本基督教団 阿佐ヶ谷教会にて無観客で行われた1時間半の彼女のピアノソロ演奏の模様が放映された。ナビゲーターはシンガーソングライターであり牧師でもある陣内大蔵氏が務めている。この第3部では、この困難な時代に心豊かに生きてゆくフジコ流の心得や自粛生活中の暮らしぶりなど、心温まるインタビューも行われ、好きなピアノ演奏も楽しめる構成になっていた。しかし、なんといっても感動したのは、冒頭に弊社刊『フジコ・ヘミングの「魂のことば」』からの言葉が引用されているのだ。また、番組の中でも陣内大蔵氏がこの本を取り上げており、フジコさんもお気に入りの1冊であることが窺い知れたからだ。残念なことに、現在、在庫がない。増刷ができればいいのだが。

・フジコさんの経歴を復習しておこう。東京音楽学校(現・東京芸術大学)出身のピアニスト、大月投網子さんとロシア系スェーデン人画家/建築家だったジョスタ・ゲオルギー・ヘミング氏を両親にベルリンに生まれる。5歳から母、大月投網子さんの手ほどきでピアノを始め、10歳から、ロシア生まれのドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツアー氏に師事する。東京芸大卒業後、28歳でドイツへ留学。ベルリン音楽学校を優秀な成績で卒業。長年にわたりヨーロッパに在住し、ブルーノ・マデルナに才能を認められ、彼のソリストとして契約した。この契約に際し、フジコの演奏に感銘を受けたレナード・バーンスタイン、ニキタ・マガロフ、シューラ・チェルカスキーからの支持、及び援助があった。しかしリサイタル直前に風邪をこじらせ、聴力を失う。失意の中、耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得、以後はピアノ教師をしながら、欧州各地でコンサート活動を続ける。

・1999年2月、ピアニストとしての軌跡を描いたNHKのドキュメント番組、ETV特集『フジコ ―あるピアニストの軌跡―』が放映され大反響を巻き起こす。1999年に発売されたファーストCD『奇蹟のカンパネラ』は200万枚(2012年4月現在)を超え、記録を更新し続けている。2001年、ニューヨーク・カーネギーホールでのリサイタルでは、感動の渦を巻き起こした。2012年には、自主レーベル「ダギーレーベル」を設立。これは、フジコさん自身がリスナーに届けたい曲を、納得できる音質で録音し、世界に発信するという本人の音楽に対する強い決意によるものだという。猫や犬をはじめ動物愛護への関心も深く、長年の援助も続けている。また、米国同時多発テロ後の被災者救済のために1年間CDの印税の全額寄付や、アフガニスタン難民のためのコンサート出演料の寄付、3.11東日本大震災復興支援及び被災動物支援チャリティーコンサートといった支援活動を続けている。88歳を過ぎてなお、年間60回ものコンサートを続けているフジコさん。今後のより一層のご活躍をお祈りしたい。