2021.03.23養老孟司さん
(写真:臼井雅観)
・新型コロナウイルスは「変異ウイルス」の感染者が増えており、政府もその対応に苦慮している。こうしたコロナ禍での巣ごもり生活やテレワーク(在宅勤務)などの影響もあり、空前のペットブームが到来しているらしい。長引く外出自粛や在宅勤務で、疲れた心をペットに癒してもらうという期待感があるのであろう。だから体の大小に極端な差はない猫はともかく、人気の犬の種類は室内で飼えるチワワやプードルといった小型犬種だという。「ペットフード協会」の調査によれば、昨年、新たに飼われたとされる犬猫はおよそ46万匹以上と類推されるとか。一昨年と比較して実に6万匹以上も増加したといわれる。どうしてこんなことから書き始めたかというと理由がある。440万部を超える大ベストセラー『バカの壁』の著者で、ネコ好きとしても知られた解剖学者・養老孟司さんの愛猫「まる」が昨年末のことだが、亡くなったと共同通信社などが報じていた。18歳だったという。なぜ、1匹の猫の死がこのように報じられたのか。それだけ世間的にもよく知られた猫だったからである。
「まる」(写真:臼井雅観)
・猫の18歳は人間でいえば、90歳近い老猫である。僕は犬猫にはまったく関心がないのだが、この養老さんの愛猫「まる」の死の報道は、僕の心の隅にあった記憶を呼び起こした。たしか対談企画で弊社の藤木君と臼井君が、養老さんの鎌倉のご自宅に伺ったときの様子を聞いていたからだ。科学ジャーナリスト・林勝彦さんと養老さんの対談企画で、何回か収録をして原稿にまとめようとするものだった。二人からはこんな話を聞いていた。春のポカポカ陽気に誘われて、「まる」が養老邸の縁側でのんびり昼寝をしていた。たまたま家の普請中で、その日、養老邸には職人さんが何人か来て作業をしていた。その職人さんに、「まるが歩き回ることがあるから、蹴とばさないように足元に気を付けて」と養老さんが注文をつけていたのだという。養老さんが、いかにこの猫を可愛がっていたのかがこの話からも偲ばれる。
・「まる」はスコティッシュフォールドという種類の猫だという。耳が寝ているのがこの種の猫の特徴だ。愛嬌のある猫で写真集になるほどの人気ぶり。養老さんは『猫も老人も、役立たずでけっこう』、『うちのまる 養老孟司先生と猫の営業部長』、『そこのまる 養老孟司先生と猫の営業部長』、『まる文庫』、『ねこバカ いぬバカ』など、猫についての著書も多く出版している。2017年には、養老さんと「まる」の日常生活を綴ったNHKの人気ドキュメンタリー番組『ネコメンタリー 猫も、杓子も。』の初回放送に、「養老センセイとまる」というタイトルでテレビ出演している。放送後、全国の猫好きを中心に大反響となり、後日、特別編となる『養老センセイと“まる”鎌倉に暮らす』が放映されている。養老さんのプライベートな時間の過ごし方などとともに、「まる」の存在は世間に広く知れ渡ることになったのである。「まる」が、名物猫として来客を迎えるので、訪れる編集者の間でもよく知られた存在だった。
河出書房新社 2018年 有限会社養老研究所 2010年
・臼井君は北の丸公園の野良猫を撮り続けてきたほどの猫好きだから、「まる」の写真もちゃっかり撮ってきた。写真を見ると、なるほど大きな猫で顔付きも愛嬌たっぷり。縁側に我が物顔で鎮座している。動作もゆっくりで、貫禄さえ感じるほどだ。しかし、動物の寿命は人間より短い。2002年生まれだという「まる」は歳とともに、心臓の筋肉が固くなる拘束型心筋症を患い、晩年はほぼ寝たきりの状態が続いていたという。そして心不全により天国へと旅立ってしまった。養老さんは、自らの著作で「死といかに向き合うべきか」「死を受け入れることについて」を説いてきた一方で、「まるは、私の生きることの “ものさし”である」とも語っていた。その愛猫が亡くなって、そのご心痛はいかばかりであろうか、察するに余りある。
・実は弊社では、養老さんの対談本を3冊出させて頂いている。ライフサイエンス出版から病院薬局向けに刊行されていた『薬の知識』という月刊誌に、1997―2004年にかけて掲載されていたものを弊社が単行本化させてもらった。養老さんの対談相手は実にバラエティに富んでおり、テーマも相手次第で自在に変わる。対談者も小説家、考古学者、生物学者、漫画家、彫刻家、武術家、画家、精神科医、指揮者、役者、メディア作家、写真家など実に多岐にわたっている。対談の内容は得意の人体や解剖学、昆虫の話から、言語学、日本の病理、文明論、食文化、芸術論など、多様多彩な人物との対話によって対談テーマは一層深まり、説得力を増している。
・1冊目は『話せばわかる――養老孟司対談集 身体がものをいう』で、16人のゲストが登場し、心ときめく対談をしている。対談相手と対談テーマについて触れておく。対談内容をなんとなく分かっていただけよう。1人目はなんと猫ブームの立役者の1人岩合光昭さん。テーマは「フィールドワークは動物的勘で」であった。以下、神谷敏郎(非言語的コミュニケーション)、田部井淳子(人間は歩く動物)、立川昭二(“固い社会”を身体で変える)、石毛直道(日本人の食文化と自然)、橋本治(身体感覚を信じる)、山本容子(人は何を表現するのか)、竹宮惠子(マンガと解剖)、中村紘子(演奏家の身体)、岩城宏之(日本人の音楽的アイデンティ)、米原万里(論理の耳に羅列の目)、天野祐吉(言葉の響きと黙読)、日野原重明(身体運動と脳の入出力)、北林谷栄(においと体験の記憶)、大森安恵(“人間らしい生活”という価値観)、多田富雄(能と脳の可能性)となっている。テーマをざっと見ただけでも、読みたくなったと心誘われた方もいるのではないだろうか。
(2003年9月)
・続いて2ヶ月後に刊行されたのが、『見える日本、見えない日本――養老孟司対談集』である。いま、何を信じて生きたらいいのか? 混迷する現代日本への処方箋ともなっている。対談相手の15人とその対談テーマに触れておく。荒俣宏(混ざる文化・混ざらぬ文化)、奥本大三郎(虫を愛でる日本人の自然観)、田崎真也(香りの認識のメカニズム)、酒井忠康(日本の景観とパブリック・アート)、藤原正彦(数学と日本的美意識)、水木しげる(無意識に身を任せる)、横尾忠則(魂の復権)、岸田秀(現実とは脳が作り出した産物)、中村桂子(“個”を救済する新たなシステムを)、上田紀行(疑似“癒し”からの脱却)、大石芳野(ベトナムの森に思う)、池内紀(言葉の壁を超えて)、ピーター・バラカン(メンバーズ・クラブの国、日本)、阿部謹也(“世間”から飛び出して生きる)、黒川清(“本気”のスピリット)。この本の対談で僕は、博覧強記同士の荒俣宏さんとの対談が特に面白かった。海洋生物採集で奄美大島を訪れていたという荒俣さんが、黒潮による影響で、奄美大島は鳥羽や伊勢神宮周辺の言葉につながると語ると、養老さんはマイマイカブリのDNAから日本列島の形成史を語ることができるなどと返し、僕には興味津々の対談であった。
(2003年11月)
・3冊目が翌2004年7月に刊行された『生の科学、死の哲学――養老孟司対談集』で、19人の斯界の第一人者と対談している。対談者と対談テーマを掲げておく。夢枕獏(生物と自然の不思議な話)、佐原眞(解剖学と考古学)、中村方子(ミミズのいる豊かさ)、東海林さだお(生物の感覚という自然)、妹尾河童(記憶、生命、連綿と続いてゆくもの)、舟越桂(身体をめぐる具象と抽象)、甲野善紀(古武術が語る身体の可能性)、吉村作治(集めて、調べて、考えるおもしろさを発掘する)、安部譲二(生体と死体、どちらが怖い?)、安野光雅(生と死への処方箋)、船曳建夫(自己意識を舞台に上げる)、香山リカ(スピリチュアルとマテリアル)、佐藤雅彦(ひらめきは快感とともにやってくる)、いとうせいこう(鏡の錯覚、公私の錯覚)、池田清彦(二十一世紀の代謝と循環)、池田晶子(身体を使って考え続けよ)、夏目房之介(マンガの文法を“脳”で読み解く)、関川夏央(憂国の時代)、橋口譲二述(生きる哲学との出会い)。解剖学、哲学から社会時評まで、縦横に語り尽くしている。
(2004年7月)
・ある対談ではライフワークともいうべき昆虫話で盛り上がり、さらにスパークして話は飛翔する。ある対談では日本の病理に言及し、一体どんな処方箋が必要なのかを語る。そして心からの共感を呼び、励まされる対談もある。知の巨人は実に幅広い知識と蘊蓄を披露してくれる。読者は読んでいて色んなことに興味が惹かれるはずで、これがきっかけとなって、より専門的な勉強をしてみたくなる方もいることだろう。弊社で刊行した対談集の中でも、僕が自信をもってお薦めできる内容だと自負している。ただ、だいぶ前の本なので、古書店でしかお目に掛かれないかもしれない。もし、お手に取って頂く機会があれば幸いである。