2021.12.17新井苑子さん

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新井苑子さんの表紙画最終12月号

・月刊『清流』とともに歩んできた新井苑子さんの表紙画が、2021年12月号をもって最終回となった。僕の大好きな表紙画だった。どんな表紙を描いてくれたのか、と毎月『清流』が届くのを楽しみにしていた。それだけにとても残念である。新井さんは、日本を代表するイラストレーター、画家として知られる。その絵も独特であった。四季折々を彩る草花や樹木に、動物、昆虫、魚類、風景、行事などを織り込んだ絵は、『清流』の顔として読者に親しまれてきた。月刊『清流』の創刊は、1994年のこと。そして新井さんには、1997年5月号から2021年12月号まで25年近くにわたり表紙を飾って頂いた。40年間にわたって描き続けた和田誠さんの『週刊文春』の表紙画も凄かったが、新井さんもそれに勝るとも劣らない。トータルすると300点近くにもなろうか。新井さんには、数え切れないほどに描き溜めてきたスケッチや旅先のメモという財産があった。だからこそ、遅滞なくこれだけ長く描き続けてこられたのであろう。「今月は何をどのように組み合わせようかと、毎号楽しく取り組んできました」と語った言葉によく表れている。

 『清流』は新井さんの画業に敬意を表し、12月号で4頁にわたって特集記事を組んだ。これを読むと新井さんの幼い頃の読書体験が、その後の人生に大きく影響したことが分かる。幼い頃から母堂が絵本や童話の読み聞かせをしてくれた。映画にもよく連れて行ってくれた。それらが楽しく、大人になったら物語の挿絵を描きたいと思ったという。女子美術大学に進むと、顕微鏡で花などを観察する授業が行われ、そこで観察したミクロの世界の美しさに魅せられた。特に、まるで抽象画のような石の断面図に感動し、自らの心に映った美の世界を表現していこうと決意する。この学生時代の「観察して、感動したものを描く」という原点はいまも変わらない。新井さんは、美はごく身近にもあるという。「多くの方は日頃、仕事や家事、育児などに追われ、感動する余裕などない、と思っているかもしれません。けれども、道端に咲く花、料理に使うトマトやピーマン……そんなありふれた物にも、美を見つけることができるし感動できる」と説く。「私たちは奇跡の星である地球に“奇跡的”に住んでいるのですから、感動する心を忘れず、いきいきと過ごして欲しい」と結んでくれた。

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新井苑子さんの表紙絵25年を特集した『清流』12月号

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新井さんの特集記事

・令和元年6月、東京銀座の永井画廊で行われた新井さんの個展を見に行ったことを思い出した。『「宇宙の花」を描く』で、案内状にはこうあった。
《青く美しい地球は「宇宙の花」です。花や樹、虫など小さな自然から。人、海、山、宇宙まだ私にとって地球の森羅万象はインスピレーションの宝庫です。
 美大生の頃、顕微鏡で石の断面を見て、抽象画のように美しく感動しました。道端の石にも美の世界があることに気づかされたのたのです。以来、目には見えないけれどその奥にあって訴えかけてくるもの、私の心に映った美を表現したいと思い、こんにちまで描き続けてきました。私は宇宙の奇跡、水の惑星「地球」に生まれた幸運に喜びを感じると同時に、人類は地球を大切にしてきたのかしら? と問いかけたいのです。私達は「宇宙の花」に住む花人なのです。》

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個展案内状
 
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永井画廊の個展会場
 
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会場で展観された作品

 以来、目には見えないけれどその奥にあって訴えかけてくるもの、心に映った美を表現することというのが、今日まで描き続けてきた新井さんの大きなモチベーションになった。月刊『清流』での連載テーマも地球という「宇宙の花」を描いてきた。新井さんは、切手のデザインでも優れたお仕事をされてきた。新しい郵便切手をデザインする度、律儀なことに僕にも送ってくれた。「九州・沖縄サミット」の記念切手、「日本ユネスコ50周年」の記念切手、2001年度年賀葉書(郵政省)なども手掛けている。最近では、「冬のグリーンティング切手」が素敵だった。雪の名前がついた50円切手と花の名前がついた80円切手の組み合わせで、花はシクラメンとポインセチアをお描きになっていた。理由については聞かなかったが、日本ではなくフランスで印刷されたものだという。

・新井さんに表紙画を頂いたことも印象深く心に残っている。『清流』の表紙絵をジークレー(Giclee)版画(「画題・オランダの花祭り」)にしたものだった。ちょうどその頃僕は、夏風邪をひいており、2週間ほどうんうん唸っていた。好きな酒も飲む気にもなれず、ジャズやクラシック音楽、映画やミステリー番組にも興味が湧かず落ち込んでいた。そんな絶不調の時、この絵が届いたのだ。この絵は見ているだけで、気持ちが明るく弾んだ。近年、ジークレー版画は吹き付けて着色する方法で、最も原画に忠実な表現ができる技法として注目されている。実際、「オランダの花祭り」は、木靴の中から美しい花々が咲いている情景が印象的であった。新井さんによれば、京都新聞社、読売新聞西部本社(福岡)から依頼を受けて制作したもの。年末に行われた「美術家チャリティー展」に出品された版画だった。私の家内は、自宅マンションの小さな庭で、色んな草花を育てるのが趣味なのだが、綺麗な草花が描かれたこの絵が特に気に入っているようである。

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贈られた「オランダの花祭り」

  新井さんのプロフィールを簡単にご紹介しておく。1942年、東京都の生まれ。高校時代は<新制作>の角浩氏に師事した。女子美術大学図案科グラフィックコースを専攻し卒業後、1965年、日本デザインセンターイラストレーション部に入社。トヨタ自動車、伊勢丹デパートの広告などを手がける。 1971年、フリーとなり、本の装丁、エプロン、スリッパなどのデザインといった分野でも活躍する。1973年、チェコ国際原画展に『もうひとつの地球』(大日本図書刊) の原画を日本代表作品として出品。現代グラフィックアートセンターにポスター等約100点の作品が収蔵された。 武蔵野美術短期大学特別講師、女子美術大学非常勤講師を務めた。 主な著書に、『イメージの旅』(グラフィック社)、『花の森』(岩崎美術社)、『イラストレーションの発想と表現』(美術出版社)、『フローラ美術館』(河出書房新社)、『ハーブ絵画館』(文園社)、『アーリーアメリカンクックブック』(中央公論社)、『新井苑子のハーブのぬり絵』(文園社)など多数ある。これまでに「九州沖縄サミット」、「日本ユネスコ加盟50周年」等の記念切手52種類以上を制作してきた。東京イラストレータズソサエティ、日本自然保護協会の会員でもある。

・僕は長らく八王子の山の上に住んでいたのだが、身体が不自由になったこともあり、成城のマンションに引っ越すことにした。元々、成城にお住まいだった新井さんと同じ町内に住むことになった。本来ならば、われわれ夫婦が引っ越しそばを持ってご挨拶に伺うべきところである。ところが新井さんは、ご親切にも成城学園駅にほど近い、イタリアン・レストラン『オーベルジュ・ド・スズキ』にお招きしてくださった。この日はちょうど、来年度の1月号の表紙デザイン画を描き上げたということもあり、担当の松原淑子副編集長(後列左)も急遽駆けつけた。絵のお話やご家族の話など、興味深い話を聞きながら、美味しいイタリア料理に舌鼓をうった。われわれには至福の時間であったのだが、お忙しい身の新井さんには散財とご迷惑をかけてしまった。優しく温かなお心遣いには、痛み入るしかなかった。

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われわれ夫婦と新井さん(後列右)。後列左は松原淑子(現・社長)

 新井さんのご家族について少し触れておきたい。ご母堂は97歳で逝去されたが、長らく『清流』の”有料購読者”であった。この有料購読者だったことが、僕には驚きであった。娘さんに表紙絵の連載をお願いしているのである。当然、贈呈してしかるべきである。ところがご母堂は頑として有料購読にこだわっておられた。そして『清流』を隅々まで読み、分からないことがあれば、辞書や事典を使って調べるほど向学心のある方であった。このような読者がいるだけで、編集者は元気をもらえる。熱心な読者に支えられていることが実感でき、大いに励みになったものだ。

・新井さんご夫妻の職業は、グラフィックデザイナーとイラストレーターだが、令息は医学博士である。日本形成外科学会認定専門医であり、米国ハーバード大学に形成外科研究員(2007~2009年)として赴任されていた。現在、日本医科大学の形成外科医である。ご趣味も多芸多才そのものである。モダンジャズが好きでドラム演奏もするし、米国のSF・サスペンス映画がお気に入りとか。スポーツ万能で、スキー、バドミントンが得意と聞いている。

 形成外科医としての仕事上においても、数々の画期的な医学的解析法や治療法を編み出された方らしい。一体、どうしたらこんなお子さんが育つのか、じっくりお話を聞いてみたいところだ。もっともご主人の姪御さんとその旦那さんが病院を経営しており、身内だけで全身どの部分でも診察してもらえるというから、僕には羨ましい限りである。『清流』の表紙画は12月号をもって終了となったが、新井さんには、新しい活躍の場が待っている。「宇宙の花」に住む花人として、瑞々しい美への感性を磨かれ、より一層の高みへと歩まれんことを祈念して筆を擱こうと思う。