2022.02.18手塚夫妻、天満敦子さん
手塚貴晴・由比さん夫妻 長女と生まれたばかりの長男
・日々の新聞を読むのは好きで、ゆっくりと時間をかけて読むのが僕の楽しみであり、日課ともなっている。長く出版業界に携わってきたので、自分に関わりのあった人物が記事で紹介されていたりすると気になる。2月1日付けのA新聞に「建モノがたり」というコラムが掲載されていた。そこで東京都立川市にある「ふじようちえん」という幼稚園が紹介されていた。僕はこの新聞記事を見て、とても嬉しくなった。というのも、この幼稚園の建築設計者、手塚貴晴・由比さん夫妻には、随分と前から惚れこんでいて、弊社からも『きもちのいい家』という単行本を出させて頂いているからだ。手塚夫妻はかつて、TBSテレビ系「情熱大陸」という番組で取り上げられたことがあり、光、風、緑を活かした空間づくりの建築設計者として僕の記憶に刻まれていた。そんなところにフリーランス編集者の宣田陽一郎さんが、手塚さん夫妻の単行本企画を提案してくれたから、僕はすぐにゴーサインを出した。
新聞で取り上げられた「ふじようちえん」は、老朽化にともない、2007年に建て替えられたもので、特長の一つは建物の屋上が楕円形のドーナツ型になっていることである。敷地面積が約4700平方メートルとかなりの広さがあり、600人強の園児たちが、このドーナッツ形の屋上を、毎日のように走り回っている。屋上の外周はなんと183メートルもあるから、駆け回るのに不足はない。また、いくら走っても、ぐるりと回って元に戻ってくるから、見守る側も安心して見ていられる。建物自体も様々な工夫がなされ、あたかも遊具のように設計されている。子供たちが遊びたくなる仕掛けがあちこちにあるのだ。たとえばウッドデッキが敷かれた床面から欅の大木が、3本突き抜けており、空に向け大きな枝を広げている。もともとあったこの欅の大木を、設計上切らずにそのまま生かしたわけだ。子供たちは自由にこの木に登ったり、取りついたりして遊んでいる。落下を防ぐために張ったネット越しに階下が見えるが、園児たちはまったく怖がることもない。中庭の砂場に滑り降りることができる滑り台も、園児たちに大人気だ。雨が降って屋上で遊べなくても、子供たちは遊び場を見つける。軒先から落ちる雨水を、中庭のたらいで受けて遊び道具にしてしまうのだ。だから雨の中でも平気で遊んでいる。
弊社 (2005年刊)
・実は弊社で刊行された『きもちのいい家』のエピローグに、手塚夫妻の「設計してみたいと思うのは、幼稚園や学校である」とし、すでにこの幼稚園の模型が紹介されている。この本が刊行された2年後に「ふじようちえん」が竣工となったのだから、当然、この時点で設計コンセプトはでき上がっていたのである。エピローグからその一部を引用させてもらう。
《とにかく子供をたくさん受け入れられるような大きな空間を作ってみたいと思います。これは自分たちに子供ができたことが、大きく影響しています。というのは我が子を通わせるための保育園や幼稚園を探しに見学に行ったのですが、がっかりさせられることがとても多かったのです。建物にカラフルなタイルが貼ってあったり、石を置いたくらいのことしかやっていなくて、子供の視点から見た幼稚園が少ないように思います。
子供を育てていてわかったことは、同じ人間でも子供はまったく別の感性を持っているということ。だから大人の一方的視点で作ってはいけない。子供の目線はとても低いので、天井が高いというのは必ずしもいいとは限りません。(中略)子供は大きな扉より自分の手で開けられる小さな扉が好きであったり、小さなスペースが好きだったりします。僕の娘は小さなスペースがあると喜んで入ります。そういう視点が建築の中にもあってほしいなぁ、と思うのです》
・この本の刊行時、ご夫妻には 3歳の女の子と生まれたばかりの男の子がいた。由比さんは「3歳だった娘を見ていて、子供というのは走るのが好きなんだな」と思ったという。貴晴さんは、「子供と大人が自然に集まる場所として円形を考えた」と述懐している。こんな夫妻が考えた理想の幼稚園が「ふじようちえん」として結実したわけだ。しかし、こんなユニークな発想が簡単に実現するべくもない。教室を区切る壁を設けないなど、当時の幼稚園施設の基準に合致せず、調整するのに苦心したという。しかし、いいものはいい。国内での複数の受賞歴に加えて、2011年に経済協力開発機構(OECD)の効果的学習環境センターが出版する学校施設好事例集の最優秀賞に選ばれ、世界的にも評価を受けることになった。国内でもこの斬新な建築設計が受け入れられる契機となったのである。
『きもちいい家』のエピローグで公開されていた外観模型
・手塚夫妻のプロフィールを紹介しておく。貴晴さんは、昭和39年、東京都の生まれ。武蔵工業大学卒業後、ペンシルバニア大学大学院修了。平成2年からリチャード・ロジャース・パートナーシップ・ロンドンに勤務。平成4年、由比さんと結婚。同6年に帰国。手塚由比さんと手塚建築研究所を設立する。建築家として活躍しながら、平成8年より武蔵工業大学専任講師、平成21年より東京都市大学教授として教鞭をとっている。由比さんとともに、「副島病院」の設計で通商産業大臣賞グッドデザイン賞金賞、「屋根の家」の設計で第18回吉岡賞、JIA新人賞などを受賞した。由比さんは、昭和45年、神奈川県の生まれ。武蔵工業大学卒業後、ロンドン大学バートレット校へ留学。平成11年から東洋大学非常勤講師、同13年から東海大学非常勤講師として教鞭をとっている。
楕円形の屋根というのは、遊ぶうち子供たちに一体感を生む。仲間外れも起こりにくい。イジメもこの幼稚園ではあり得ない。というのも、何か起きても必ず、先生の目がいき届いている。また、教室のように閉じた空間ではないから、そのクラスが嫌になったら、隣のクラスに行けばいいのだ。実際、隣のクラスの子がいきなりチョロチョロッと入ってきたりする。先生同士の合意ができているから、こんなことが可能なのだ。自分の居場所を子供自身が選ぶことができる。これは社会のあり様と同じではないか。園庭で行なわれるイベントでも興味深い光景が見られる。園児たちは、屋根の上に一周するように集まる。大抵、柵から足を投げ出して中庭を見下ろす形である。また、砂場には定期的に綺麗な石が撒かれ、見つけた石で気に入ったものがあれば持ち帰ってもいい、のだという。ポニーが飼われており、誕生月になる園児は背中に乗せてもらえる。大人も心躍らせずにはいられないコンセプトなのだ。今どきの子供たちは運動しないといわれる。ところがここの園児たちは違う。自分の自由意志で、屋根の上を走り回っている。よく走る子供は、朝方だけでも30周もするというのだから驚きだ。30周といえば、単純計算で6キロ近い距離なのだ。5歳児が6キロ近く走るということは、凄いことだと思う。少ない子供でも、帰るまでに10周くらいは走るのが普通だというから、この施設は掛け値なし素晴らしい。
・遊びを見つけるところに、子供たちの成長の基本があるとする手塚さん夫妻は、遊具もわざと作らなかった。天井屋根の軒先も歪んでいるままだ。あえて手描きで描いた線を、手塚建築研究所の所員がスキャンして、線をつないだ時の形をそのまま残したという。手塚さん夫妻の事務所は、早い段階からCADを入れ、コンピュータを使いこなしてきた。ところがCADの使用は、プラス面だけではないらしい。コンピュータの都合のよい形に、だんだん変わってしまうというのだ。それが悔しいからと、あえて手描きに戻しているのだ。そして高気密・高断熱住宅とは無縁である。1年の3分の2はこの幼稚園の窓は開けっぱなしだという。秋でも中庭側はあけっ放しで外側の窓だけを閉めている。真夏は中も外もあけっ放しで風が吹き抜ける。高気密・高断熱住宅は、先走りするとものすごくエネルギー負荷が高い。アウトドアが一番贅沢というのが、手塚さんの夫妻の持論であり、できるだけ開けっ放しで使うことを推奨する。当然ながら、空調を使わずに済み、省エネともなっている。
捕捉するが、この幼稚園は、世界経済協力機構とユネスコにより、世界で最も優れた学校に選ばれている。この施設以降も、夫妻は子供たちのための空間設計を多く手がけている。特にその斬新さで知られているのは、「チャイルド・ケモ・ハウス(2013年)」である。この施設は、小児がんの子供とその家族が、当たり前のように一緒に生活をしながら治療ができる設計となっている。従来の医療従事者中心の治療法とは違い、家族が子供に寄り添いながら治療することができるのだ。また、ユネスコより世界環境建築賞(Global Award for Sustainable Architecture)を受けており、手塚貴晴さんが行なった海外のプレゼンテーション・イベントTEDトーク(英語 日本語字幕付き動画)で、この幼稚園を紹介したところ大評判となり、世界中から視察が連日殺到することになった。一気にその名が世界に轟くことになった。
・TEDトークの再生回数は、なんと2015年の世界7位を記録しているほどだという。国内でも日本建築学会賞、日本建築家協会賞、グッドデザイン金賞、子供環境学会賞などを受賞したのは、いかに優れた建築であったが伺い知れよう。手塚由比さんも、文部科学省国立教育政策研究所において、幼稚園の設計基準の制定に関わってきた。現在は建築設計活動に軸足を置きながら、世界経済協力機構より依頼を受け、国内外各地にて子供環境に関する講演会活動を行なっている。その子供環境に関する理論は米ハーバード大学により「yellow book」として出版されている。また、「ふじようちえん」の素晴らしさの詳細については、園長の加藤積一さんの著になる『ふじようちえんのひみつ』が小学館から刊行されている。
園長・加藤積一著 (小学館 2016年刊)
・こうした柔らかな発想は、弊社刊行の『きもちのいい家』で紹介された家にも随所に見られる。第一章では、夫妻が手がけた1999年の第1号から2004年までの個人邸を紹介している。自ら設計した住まいを訪ね、建築当時の経緯や裏話を振り返るもので、それを読むと、いかに施主が手塚夫妻の設計した家を気に入っているかが伝わってくる。例えば、16メートルの大開口部を開けると、家全体が縁側になる「縁側の家」、敷地が住宅街の端に位置し、道路側からは窓が一切見えない「隅切りの家」の発想などは、驚き以外の何ものでもない。なんと窓なしの家のようでいて、実は長方形の二方が大きな開口部となっており、開放的な大きな空間が広がっているのだ。デッキと大きな窓が特長の「鎌倉山の家」、太平洋を望む崖の上に建つ「腰越のメガホンハウス」も、雄大な景色を一望したいという施主の要望に見事に応えたもの。木のデッキの屋根の上に、テーブルや椅子、シャワーなどが設置され、屋上で家族か団欒しながら楽しめる「屋根の家」も、ユニークそのもの。この「屋根の家」は、今回の「ふじようちえん」のコンセプトにも十分に生かされている。「屋根の家」と同様に屋根を遊び場として使えるとともに、天窓が円形の屋根の各所にあり、園児たちは天窓を開けて、下にいる園児とコミュニケーションができる。上から「おーい」と叫ぶと、下の園児が「おーい」と応える。これだからお仕着せの遊具などいらないわけだ。天窓で遊ぶほうが、園児たちの心をよほどときめかせている。まさに世界に誇れる建築設計家夫妻である。こんな素晴らしい本を刊行できたことに感謝するとともに、これからも夫妻の活躍ぶり見守り続けていきたい。
●天満敦子さん
・天満敦子さんは僕の大好きなヴァイオリニストだが、ちょっと気になる情報があったので書いておきたい。実は毎年11月末、天満さんは東京・紀尾井ホールでピアニスト・岡田博美さんとデュオ・リサイタルを開催している。僕も清流出版時代から毎年、定例のように聴きにいったものだ。昨年、僕は、体調が優れなかったので出かけられなかった。しかし、臼井君と藤木君は例年通り出掛けたという。特に藤木君は、奥さんとお子さんの家族連れで楽しんだようだ。臼井君によれば、座席が近かったこともあり会場内で会って、しばらくぶりにお互い近況報告をし、旧交を温めたという。昨年は天満さんにとって、受難の年だったといえるかも知れない。熱烈な天満敦子ファンであった小林亜星さんが、5月30日、心不全で亡くなった。享年88であった。また、長野県松本市で天満さんの演奏会を何度もプロデュースして天満さんと親しかった石川治良さんも8月29日、90歳で鬼籍に入った。天満さんにとって相当にショックだったと思う。11月26日の紀尾井ホールでは、小林亜星さんを偲んで「旅人の詩」「落葉松」等を演奏したらしい。ただ、心配になったのは天満さんの体調不良だ。聞けばこのコンサート中、天満さんはずっと座ったままだったという。臼井君が、この日の感想を書き送ったところ、天満さんからこんな返事が届いた。《紀尾井 おかげさまでした(中略)座って弾くなんて……情けなくて……回復に努めます 次回は5月13日(金)の紀尾井です がんばりたい!》この葉書が届いたので、臼井君も大いに安堵したらしい。
ニューイヤーコンサートのパンフレットより
ホテルで食事中、天満さんが挨拶してくれたことも
毎年、開智国際大学吹奏楽部の「ニューイヤーコンサート」が柏市民文化ホ―ルで行なわれる。市立柏高校を吹奏楽で全国大会入賞の常連校に導いた石田修一先生が指導する吹奏楽部なので、市立柏高校のOB、OGも多くレベルも結構高い。今年も4回目の「ニューイヤーコンサート」が1月8日に開催された。この開智国際大学学長の北垣日出子さんが天満敦子さんとお知り合いで、天満さんが第一回コンサートから毎回、スペシャルゲストとして出演している。天満さんが吹奏楽部メンバーと共演する曲もあり、「普段できない貴重な体験をすることをとても嬉しく思っています」とコメントしている。臼井君は柏市在住で、天満さんの紹介もあり、今年もチケットを手に入れ楽しみに出かけたらしい。ところが、天満さんがリハーサル中に、体調不良で会場からほど近い慈恵医大病院に救急搬送されたという。石田先生がその日の天満さんの様子を説明したということだが、とにかく急なことだったようだ。天満さんの演奏を楽しみに来場した人はさぞ落胆したことだろう。その後の天満さんの回復具合が気になったので、僕もネットで調べてみると、5月13日(金)の紀尾井ホールのコンサートはすでに中止となっていた。訃報が相次いで精神的な落ち込みもあり、体調不良が続いているのではと、とても心配になる。年末の紀尾井ホールコンサートまでには、万全の体調で復帰されることを待望している。コンサート会場で元気に演奏する姿を拝見したいものである。